第2話 キラキラのふたり①
教室を出て、廊下を進み、階段を上ったり――と、しばらく走って、アラトが連れて来られたのはとある扉の前だった。
「さ、着いたわよ。アラト君」
足を止め、ぱっ、と手を放したナキリが振り返る。
ナキリの視線を受けて、アラトは扉と、改めて周囲を見回した。
アラトの教室があった校舎とは別のところだ。普段来ることもない。
「ここって……」
「収録室よ。ここで声を録ってるの」
「声……?」
眉根を寄せるアラトに対して、ナキリは相変わらず笑顔のまま。
「
そう言って扉を開けた。
「え、あ、あの……」
「遅くなってごめんなさい。準備はもうできてる?」
ナキリに背を押されて、アラトは中へ足を踏み入れる。背後で、扉の閉まる音がした。
室内は、ガラスで二つに区切られていた。
入ってすぐ手前、つまり今アラト達がいるスペースには、スピーカーと機材が置いてある。壁際の長机上に配置された機材には、たくさんのボタンや摘まみ、さらに小さなマイクもついていた。
学校などの放送室にあるコントロールパネルに似ている。
「はい、できてます」
イスに座って機材を弄っていた女子生徒が、顔だけ向けてナキリに応えた。
「あれ、お前……」
「あっ」
スピーカーから聞こえてきた低い声につられて見れば、ガラス向こうにリクの姿があって、アラトは目を丸くする、
リクは数枚の紙片手に、スタンドマイク前に立っていた。
ナキリはアラトから離れると、女子生徒の横に立った。機材のボタンに触れながら、マイクに向かって話しかける。
「リク君も準備はできてる?」
ナキリに訊かれて、リクが頷く。
どうやら互いに、マイクとスピーカー越しでないと会話ができない仕組みのようだ。
「じゃあ始めましょうか。あ、アラト君はここに座って」
近くにあったイスを指されて、促されるがまま、アラトは遠慮がちに腰を下ろす。
「アラト君、ここに入るの初めて?」
「う、うん……」
「まあ機会がないとなかなかないわよね。結構いい機材揃ってるのよ。学生だったら使い放題ってお得よね。ま、こういうのも学費に含まれてるんだし、使えるものは全部使っておかないとっていうか」
「あの、僕なんで連れて来られて……?」
ナキリの勢いに気圧されながらも、疑問を口にする。
「あ、リク君も準備いい?」
が、ほぼ同時にナキリは、アラトから視線を外すとリクに話しかけ始めてしまった。
「ああ」
「それじゃあ『戦場に行く君へ』、エピソード1、『俺様な恋人』お願いします」
アラトの質問は聞こえなかったらしく、収録が開始される。
そうなれば無理に声をかけるのも憚られて、アラトは大人しくしているしかなかった。
女子生徒が機材を弄り、準備ができたのか首を縦に振る。
それを見て、ナキリはボタンから指を離し、手を挙げた。拳を広げるようにして前に出す。
その動きが、スタートの合図だったようだ。
手に持った紙――台本――を一瞥してマイクに向き直るリクの表情が、瞬時に変化する。
「ハア、ハア……、っ、くそ! ここまでか……!?」
まるで遠くからここまでを一気に走ってきたかのように。荒い呼吸を繰り返しながら、リクが眉間に皺を寄せる。
「っ、おいお前!」
「!」
顔を上げたリクが怒鳴った。
鋭い視線は、アラトの背後に向いていた。
反射的にアラトは体ごと振り返る。もちろん、そこには誰もいない。
「そこで何してる! 危ないから来るなと言っただろ!?」
けれどリクの真剣な瞳は、いないはずの誰かを映していた。
と、同時に。
「あ」
リクの周り、ブース内にキラキラといくつもの光が発生し、アラトは小さく呟いた。
「……やっぱり僕、このマギカルト好きだなあ……」
口元を緩ませながら、リクと、彼のマギカルトを眺める。
その間にも、彼の演技は続いていた。セリフはすべて聞き覚えのあるものばかりだ。
「これ、昨日の……?」
「これね、女性向けのシチュエーションボイスドラマなの」
「シチュエーション……?」
「リク君に色々なキャラを演じてもらって、そのキャラと恋愛をしているような。聞いている人にキュンとしてもらえるような。そういうのが作りたくて。といってもシチュエーションボイスはこれが初めてなんだけどね。前はミステリー系のボイスドラマを録ったわ」
自信満々に語るナキリが胸を張る。その様子から、こうやってボイスドラマを作ることを、心から楽しんでいるのが分かった。
「そうなんだ」
こうやって作っているところを見るのも聴くのも初めてのアラトは、へえともほうともつかない声を上げながら感心するばかりだ。
「オレは……お前に何かあったらと思うと……ッ」
ガラス越しに、リクの表情が歪む。キッと眼を吊り上げて怒りながらも、勝手についてきた恋人を心配しているのがありありと伝わってきた。
ここは戦場でもなければ、相手の女性が存在しているわけでもない。
それなのにリクの声を、演技を聞いているだけで、すべてが在るように錯覚する。
ただただ、アラトは聞き入るばかりだった。
――の、だが。
「んー……」
小さく唸ったナキリが、上半身を曲げるようにしながら、マイクに口を近づけた。指先で髪を掻き上げながら、もう片方の手でボタンを押す。
「ストップしてくれる?」
向こうにもナキリの声が届いたのだろう。怒ったような表情が、無表情に――いつものリクのそれに戻った。
「リク君、今のセリフ、もう少し切なげに言ってくれる?」
「切なげ……」
「死ぬかもしれない間際、目の前に恋人がいる。会えて嬉しい、でもこのままじゃ彼女の命まで……そんな葛藤。今のままだと、勝手についてきた彼女に怒ってる感じが強くて」
指先で顎を摘まむようにしながら、リクが台本に目を通す。
「……分かった」
「ん。じゃあお願い」
リクに頷いたあと、ナキリは女子生徒の肩を叩く。ナキリに合わせて彼女が機材を操作して録音、音声の確認をしているのだ。
「……今のでも、僕全然いいと思ったのに」
「少しの差なんだけどね」
思わず漏らしたアラトに、ナキリが眉を微かに下げて笑いながら、演技再開の合図を出した。
「オレは……」
噛み締めた唇から、掠れた声。
「お前に何かあったらと思うと……ッ」
眉尻を下げつつ、眉根を寄せて目を伏せる。
「あ……」
聞きながら、アラトは驚いた。
「でも今の……悲しいというか……胸が苦しくなるような……」
今の一言だけで、会えた嬉しさと、このままでは巻き込んでしまうという辛さが、胸に突き刺さってきた。
「これでいいか?」
「ありがとう!」
親指と人差し指で丸のマークをつくったナキリは、「それじゃあ次の……」とリクに指示を出す。
「その前に水いいか?」
「もちろん」
足元に予め置いていたらしい。ペットボトルを手にしたリクは、喉を潤しつつ唇も湿らせる。
「さっきの、一応聞いてもいい?」
「分かりました。ちょっと待ってくださいね」
リクの休憩時間もナキリは無駄にしない。女子生徒に頼んで、音源の確認を始める。
文字が声になり、一つの作品になっていく。その過程を、アラトはじっと見つめる。スピーカーから流れる音源に耳を傾ける。
「……うん。やっぱり断然、こっちね」
言い方の違う演技を聞き比べたナキリが、悦に入ったように唇の両端を吊り上げる。
「すごい……同じセリフなのに、言い方を変えるだけで全然違う……」
改めて聞いたアラトも、ついそう漏らした。
「面白いでしょ?」
「うん!」
喋っているのはリクなのに、全く違う誰かが目の前にいるようで。何もない空間が、今いる場所と全く違うところに変わる。彼が恋する、彼に恋する女の子が、存在しているかのようで――。
「水留、待たせた」
「あら、もういいの? なんならもう少し休憩しても大丈夫よ」
「いや、いい」
再開する収録を、アラトはワクワクしながら眺めていた。
◆ ◆ ◆
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