第1話 出会いは1ページの中で①

 整えられた芝生の上を歩きながら、ハア、と漏らした来栖くるすアラトの溜め息は、チャイムの音に掻き消された。


「あ……」


 思わず足を止めて振り返れば、校舎の窓越しに談笑している何人かの生徒が見えた。授業へ向かう者、一足先に放課後を迎えた者など、様子はそれぞれだ。


 その中の一人と窓越しに目が合いそうになった気がして、アラトは慌てて、中庭を早足で進み出す。


「えっと……」


 身を隠せそうな陰を探しながら、無意識に再度、大きく息を吐いた。


「今頃、美術特別授業始まってるよね。また……授業サボっちゃった……」


 誰に聞かせるでもない独り言は、懺悔に近い。つい、スケッチブックと筆箱を抱える腕に力がこもる。


 本当は行くつもりだった。だから必要な道具も持っている。数分前には、美術室の前にも立ったのだ。

 まあそうはいっても、結局部屋へ足を踏み入れることもなく、こうやって逃げ出したわけだが。


 授業に参加したのは、入学してから数えるほどしかない。

 今ではもう、サボり続けて一ヶ月近くが経過している。


「鞄は教室に置いたままだし……」


 授業に参加するわけでもなく。だからといって開き直って帰るわけでもなく。

 こうやって逃げるのは、もう何度目だろうか。毎度、人のいないところを探して彷徨ってばかりだ。


 視線を落とし、緑を踏みつけるローファーの先を見つめる。


 とりあえず、誰にも見つからないように隠れて、人が少なくなったところを見計らって鞄を取りに行って……と、恒例になりつつある手順を思い浮かべていれば。


「おいお前! そこで何してる!」

「ひゃ……!」


 唐突に聞こえてきた低い声に、びくん! と肩が揺れた。


「ご、ごめんなさ……!」


 サボっているところが見つかった! 怒られる! と、反射的に謝る。腰を九十度に曲げたところで、ハタ、と気づいた。


 美術特別授業を担当している先生は、女性だ。声の主に覚えもない。


「……って、え……誰……?」


 自分が怒られているわけではないのでは……?


 そろそろと顔を上げる。近くに人影はない。

 だが聞き間違いと呼ぶには、あまりにもはっきりとした声量だった。

 周囲に視線を巡らせたアラトは、自分のいる場所より少し先に人影を見つけた。自分とその人のちょうど間に木が立っていたため、すぐには気づけなかったようだ。


 大人っぽい少年だった。

 一瞬先輩かと思ったが、ネクタイの色が同じなのを見て、同じ一年生だと悟る。

 真っ直ぐに立つ彼は、手に十枚にも満たない紙の束を持っていた。


「危ないから来るなと言っただろ!? オレは……お前に何かあったらと思うと……ッ」


 少年の言葉を聞きながら、アラトはきょとんと目を瞬かせる。


 中庭にいるのは、今のところ自分と彼だけだ。一体、誰に向けて言っているのだろう?

 少年はアラトに気づいていないらしく、紙を捲ると一瞥する。


「僕を独りにしたくない? ――ありがとう。そうだね。行くならいっそ……一緒に……」

「わ……」


 先ほどまでの低い声のトーンが、一気に優し気なものに。怒りを露わに吊り上がっていた目尻が、柔らかく下がり。


 少年の纏う雰囲気が瞬時に変わったのを見て、咄嗟にアラトは足音を立てないように木の陰に隠れた。


「演技の練習、かな?」


 呟きながら、そっと少年を窺う。なんとなく、邪魔をしてはいけないと思ったのだ。


「――あ」


 ふわり、と、光る何かが見えて、アラトは声を上げた。


 爪ほどの光が次々と現れ、少年を囲う。ひとつひとつは小さいが、星のように輝きながら少年を照らす様は、まるでスポットライトのようでもあって――。


「うわぁ……!」


 その光の正体が何なのかは、すぐに分かった。


「マギカルトだ……!」


 マギカルトは、芸術――正確には、芸術に伴う技術を媒体に発生する、不思議の力だ。


 例えば絵が魔法陣の代わりとなっているとか、物語を紡ぐことが詠唱の代わりを果たしているとか。

 だがその理屈自体は解明されておらず、能力も人によって様々な上、使用できる者も限られているという、未知のもの。


 それでもある程度の技術を会得せねば使用できないということもあり、マギカルトを使えるようになるべく、芸術及び技術を学ぼうとする者は多い。


 アラトの通うこの学園も、通常の勉学に加え、芸術や技術も共に教えている場所だ。しかも一流のマギカルト使い――所謂いわゆるマギカティストを比較的多く輩出してきた、世間的には有名なところでもある。


 といっても、他者のマギカルトを見る機会はあまりない。


 そのためアラトは、瞳をキラキラさせて、少年とその周りを見つめていた。


 煌々とした太陽にも負けない、それでいて優しい光。少年を照らす、不規則に宙を舞う光景から目が離せない。まるでここが舞台上かのような錯覚に陥る。


「好きだなあ……このマギカルト」


 純粋な想いが、勝手に唇から飛び出す。


 見ている人をあっという間に虜にする。させられる。羨ましいと思った。


「僕もこんな風に……好きになってもらえたら……」


 目を伏せかけたアラトの視界で、光がゆっくりと空気に溶けていくのが映った。


 もっと見ていたい。消えてほしくない。


 無意識の感情に突き動かされて、アラトは咄嗟にスケッチブックを開いていた。真っ白なページにペンを走らせる。この瞬間をモノクロで描きとめていく。


 アラトは必死だった。

 ――だから。


「君、こんなところで何してるの?」

「ひゃああああ!?」


 背後から肩をポン、と叩かれて、ぎょっとした。


 慌てて振り返れば、アラトの声に驚いたらしく、肩を叩く動作のままで目を丸くする女の子の姿があった。


「え?」


 しかもアラトの悲鳴に、少年も顔を上げる。その瞬間にマギカルトも、弾けるようにしてすべて消えた。


 背後の女の子と。少し先にいる少年と。二人分の視線に、カーッとアラトの顔が熱くなる。


「ご、ごめんなさい! 他意はないっていうか、その……」


 了承も取らず、勝手に描いていたことが気まずいやら恥ずかしいやらで、アラトは瞳を彷徨わせた。言いわけも浮かばない。


 そのため。


「っ!」


勢いよく頭を下げると、走り出した。女の子の横を通り過ぎて行く。


「あっ、ちょっと!?」

「うわっ!」


 女の子の声を無視した罰か、躓いて転んでしまった。が、すぐに立ち上がると、校舎に向かってひたすら駆ける。


「うぅ……」


 唸ったのは、転んだときの痛みと、後悔からだ。


 思わず逃げ出してしまった。絶対に変な人だと思われただろうし、そもそも勝手にこんなことをするなんて気持ち悪がられてもおかしくない。上手く言葉が出てこず、焦って逃げてしまったのも、確実に悪印象だ。


 だからといって今さら戻るわけにもいかず。


 心の中で謝りながら、アラトは自分の教室に向かって走るばかりだった。


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