第49話 私がその馬鹿な孫娘なんです!!

 みやびは自分の部屋に戻るとすぐに作業用デスクに先程仕上がったばかりの『キミキス』の原稿を置く。そして長い後ろ髪をゴムでまとめ、そして原稿を茶封筒から取り出した。


今は手書きではなく、パソコンで書くのが主流で作家とのやり取りもUSBメモリなどの記憶媒体で処理するのが主だ。だがみやびは編集者としてまたむつみの担当としても「ちゃんとした紙媒体で読んで確認したいから……」っと、むつみにプリントアウトしてもらっていたのだ。


誤字・脱字・文章の構成・繋がり・人物像・設定・などを一枚一枚念入りに確認していく地味な作業。先程は大幅な修正とむつみには言ったが、誤字が少しあるくらいであとは大丈夫だろう。


「(よし! これなら……)」


 時間にすればあっという間に確認の作業は終わった。ずっと文字ばかり見ていて目が疲れたみやびは担当の必需品である愛用の目薬を取り出すとピッピッと両目にし、目を瞑りながらむつみの言葉を思い出していた。


「先生から……担当を外れてほしい、か」


まただ。また頭の中で、むつみのあの言葉が響いた。

目に点した目薬が少し垂れてしまう。それが何だかみやび自身の心を表しているようだった。

それほどショックな出来事だったのだ。


「ふぅっ」


 みやびは一息ついて落ち着こうとするが、なぜか落ち着かなかった。両手を額の前で組み支えるように前のめりに俯いてしまう。

長時間の往復の車の運転と先程までしていた原稿の確認作業で体は疲れていて眠気が襲うが、むつみの言葉を何度も思い出し、頭は逆に冴えていた。


「むつみ先生……」

「みやび……まだ会社に残っていたのか?」


その言葉に顔を上げるとドアには祖父の大次郎が立っていた。


「おじい様こそ……こんな時間までどうされたのですか?」

「ワシはちょうど今、出社してきたとこだわい」


 そこでみやびはハッとパソコンの時計を見ると既に朝の5時を過ぎていた。どうやら疲れからか少しの間意識が飛んでいたらしい。


「みやび……あの小僧の様子どうなのだ?」


あの小僧とはむつみを指しているのだろう。あの押し倒し事件以降、大次郎はむつみを嫌っていた。


「先生なら大丈夫です。原稿もほらこのとおり既に出来上がってます。あとはデビューするのを待つだけ……ですわ」

「なら、何故そんなに元気がないのだ? あの小僧が作家としてデビューするのだろう? 自分の担当なら喜びはすれ、そんな風に泣きはせぬぞ」


大次郎からむつみのことを言われ、またアレを思い出し泣きそうになるのを祖父の手前目を擦り誤魔化す。


「な、泣いてないです。少し眠いだけですのでご心配には及びません」

「まったくあの小僧は一体何をしておるのやら……ワシの大切な孫娘を泣かせおってからに」


大次郎は怒りを露にするが、それは怒りよりも呆れたような口調だった。


「おじい様、実は私先生から担当を……」


大次郎に相談するか悩み言い淀む。


「担当を……外されたのか?」


大次郎のその確信を突いた言葉にみやびは驚いた。


「ふん。お前の顔を見れば大体検討がつくわい! 小僧の担当になれた日は耳にタコができるほど喜んでおったくせに、今はまるで死人しびとのよう顔じゃわい」


みやびはその死人という表現に反論できなかった。


「小僧には小僧なりの考えがあるのであろう?」

「でも!」

「みやびよ……お前あの小僧のことをいておるのだろう? だったらなぜ信じてやらぬのだ? お前のあの小僧に対する想いとはその程度で揺らぐものなのか?」


祖父のその厳しい言葉にみやびは言葉が出なかった。


「…………」


 そして腕を組み、俯き、そして泣きそうになってしまった。


「ならそれ・・を信じてやるのがまことに相手を思い遣ることではないのか? 小僧をいておるならば尚の事であろう」

「……やはりおじい様には敵いませんね」

「ふん。伊達にワシも年はとっておらぬわ。かかかっ」


「みやびはむつみのことが大好きだ!」だからみやびはむつみの事を信じることにした。


 そしてちょうどその頃、むつみはみやびとは別の意味で思い悩んでいた。


「あー、どうしよう……」


むつみは悩んでいた、いや後悔していたのだ。勢いに任せとんでもないことを口にしたのだ。


『デビュー作で100万部からの~、みやびにオレの嫁になれ!』宣言。

 しかもそれを一週間でページ数が短いとはいえ、新作のスピンオフを完成させる。

どれもこれもがむつみを悩ませていた。もっとも自分が原因なのだから、弁解の余地もない。


 そもそも何を書くのかさえ、まだ決めかねていた。だがここで逃げては作家になるなど夢のまた夢になるだろう。それになによりもみやびのことを諦めるわけにはいかなかった。


「そっか……そういうことだったのか!!」


 むつみが何かを思いついたようにパソコンを立ち上げ、まるでピアノを奏でるように軽やかな手付きでキーボードを叩き始めた。



 それから二週間後……つまりはむつみのデビュー作品発売当日の朝、みやびは会社近くの小さな本屋に来ていた。もちろんお目当てはむつみの新作のラノベである。

自分の会社が出版元なのだから会社に頼めばいくらでも発売前に手に入るのだが、みやびは敢えてそれはしたくなかった。

むつみから担当を外された今、一ファンとしてむつみの作品に触れたかったのだ。

小さな本屋のラノベの新刊コーナーに早々と足を向ける。


期待と不安が入り混じり心が落ち着かない。そして『新刊本日発売!』と書かれたポップが目立つ。たぶんこの書店の手作りなのだろう。

目を向けると一番目立つ正面には今日発売の有名ラノベ作家の作品が所狭しと置かれ、カワイイ表紙が目立つようにと表紙が前にくるよう横向きに並べられている。

その真下にもたくさん新刊ラノベが積み上げられていた。


「(有名作家さん(他社)と発売日が被ったのはまずかったかも……)」


 そう心に思うが納期の関係から今日4月2日しかなかったのだ。


「(昨日なら冗談エイプリルフールで済んだのになぁ……)」


みやびは有名作家の新刊を尻目にむつみの作品である『キミにキスを、あなたに花束を。(キミキス)』を探すことに。むつみは無名の新人作家なのできっと『横置き』ではなく『縦置き』にされ本棚に収まっているはずだ。


基本的に本の配列は各書店任せだが売れる本は目立つように、そして売れない本は出版会社に即返品される。昨今の出版不況からその風潮はより強いモノとなっている。それをみやびは実際に肌でそれを感じ取っていた。


特に新刊発売日は書店としても、店の売り上げを大きく左右しかねない死活問題なので余計にシビアになるのだ。無名の新人なら『売れないのが常識』なのでより厳しく扱われるのだ。


目でタイトルを、それと同時に指で一つ一つ見逃さないよう確認しながら探す。……が、どこにもむつみの『キミキス』なんてタイトルはなかったのだ。


「(もしかして発売日までに間に合わなかったの?)」


「いいや、そんなはずはない!」何故なら、自分と担当を代わった佐藤に発売日だけは確認を取っていたからだ。


  売れた本の在庫を補充するのであろう店員が束ねられた本を持ってみやびの横に来ていた。こんなときは店員に聞くのが一番手っ取り早い。


「あ、あの! 今日発売予定の『新刊』がないんですけど!? も、もしかして……売り切れたんですかね!!」

「た、た、た、タイトルはなんでしょう?」


みやびのその鬼気迫る態度に店員はたじろぎながらも、前エプロンのポケットから新刊発売の予定表を取り出す。店員のたじろぐ姿を見て自分の態度が悪かったことに気づき、みやびは冷静さを取り戻す。


「こほんっ。本日4月2日発売予定の大槻むつみ先生作の『キミにキスを、あなたに花束を。』ってタイトルです。出版社は不死身フェニックス書店です!」


その店員は焦りながらも4月の予定表だけでなく、5月発売の予定表もめくりながら指でタイトルを追うのだが、


「うーん……そのようなタイトルは4月にも、5月にもないですね。もしかして入稿に間に合わなくて原稿が落ちて発売日が延期されたか、ズレたのかもしれませんよ?」

「そんなはずはないわ! ちゃんと探したの!?」


 みやびはA4サイズの予定表を店員から奪い必死に探す。


「そ、そんなばかな……」


そこには『キミキス』のタイトルは愚か作家であるむつみの名前すらなかったのだ。


「(先生の名前が無いだなんて……名前っ!?』)」


みやびは失念していた。小説作家にペンネームは付き物だということを。


 むつみのペンネームは英語でscarletスカーレットであった。指で弾きながら作者の名前の欄を追ってゆく。

「あった!」4月2日発売の欄の著者名に『scarlet』と英語で書かれているのを見つけた。


 でも何故かそれはみやびが知っている作品のタイトルと名前が違っていたのだ。そこに書かれていたタイトルにはこう記されていた。


『売れない人気ライトノベル作家と、その担当さんとの恋愛事情と、その結果。』


「こ、このタイトルは……」

「あぁ~お探しのはそれをお探しでしたか? 確か無名の新人作家さんでしたよね? それならここに……」


っと店員が指差したのは足元にある出版社への返品用のカゴの中である。


 今日は発売当日だというのにむつみの小説は既に返品用のカゴの中に何冊も入っていたのだ。その現実を目の当たりにしてしまいみやびはショックを隠しきれなかった。


「この本ウチの近くの不死鳥フェニックス書店さんが『ウチが期待する大新人だから置いてくれ!』って頼まれて置いたんですけどね。正直言って今日が発売当日なのにまだ一冊も売れず、出版社へ返品しようとしていたところなんですよ。普通新刊出す時には出版社が大々的に宣伝するんですが、入稿納期がギリギリだったんでしょうね。まったく宣伝しないもんだからこの本、朝から一冊も売れないんですよ。今の時代SNSやネットなどでキチンと宣伝していかないと有名な作家さんでさえまったく売れませんからねぇ~。無名の新人作家さんなら余計にですよ(笑)」


 みやびがその元担当であるだと知らずに書店員は文句を口にしていた。


「ところでこれ……お買いになるんですか?」


 書店員からそう聞かれたがみやびにはそのショックが大きく、言葉を満足に発せなかった。

 そんな反応からか、やっぱり買わないだろうと判断したのだろう。みやびの返事も聞かずにまだ棚に並んでいるむつみの新刊を無造作に引き抜きバサバサ、バサバサ……っと乱雑に返品用のカゴに投げ入れていく。


「こんな売れない本、出版社は返品されてどうするんですかね? 資源の無駄だっつーの(笑)」


店員はみやびの心中を知らず、更には心無い言葉でこう話を続けた。


「何でも会長の孫娘だかが周囲の反対を押し切って、選考落ちした作家に書かせた本らしいですよ。しかもその作家さん入稿納期も守れないもんだから、出版社もまともに宣伝できずこの有様なんですよ。書店ウチらとしてもこんな売れない本を出版社から押し付けられていい迷惑ってもんです。ったく、ほんとまったく困ったモノですよね」


 などと書店員は苦笑いをしながら、まだ新刊コーナーの本棚に残っているむつみの新刊を返品用のカゴに放り投げ入れた。


「私がその…………なんです」

「えっ? なんですか?」


 俯いたままのみやびが何かを喋っているが、書店員にはその声が小さく上手く聞き取れない。


「だから!! 私が・・その馬鹿な孫娘なんですってば!!」


 まるで親の仇とばかりに書店員を睨みつけ怒りをあらわにするみやび。

それは明らかに普段とは違う怒りであり、それは殺意を含んでいるものだった。


「あっ、いや……その……い、今のは違うんですよ……言葉のあやって言うか……」


弁解の余地もない。店員は言い訳もできずに言い淀む。


「このカゴに入ってるの、コレ全部私が買いますから! あと倉庫にある在庫もいますぐにここに全部持ってきてください! それも全部私が買取ますからね!!」


自分のことを馬鹿にするのはいい。だがむつみを……むつみの作品を読まずに馬鹿にされるのだけは元担当として、またむつみのファンとしては許せなかった。


「ちょちょちょ、ちょっと倉庫を見てきますね!」


そう言い残すと店員は慌てて倉庫に逃げ出した。

一人残ったみやびは返品用のカゴを見て、それから棚に一冊だけ取り残されたむつみの新刊に目を向けた。


『売れない人気ライトノベル作家と、その担当さんとの恋愛事情と、その結果。 作:scarlet 画:やよい 不死鳥フェニックス文庫』


 むつみのペンネームである英文字上から下へと指でなぞりながらこう口にした。


「先生。私の……私の言うことをちゃんと聞かないから……。私を担当から外したからこんなことになったんですよ。もう先生は、ホント、バカなんですから……」


周りにいる人には聞こえないようそう小声で呟いた。


みやびのその瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。

その涙を指で拭い、本棚に一冊だけ取り残されたその本を丁寧に引き抜くと、まるで宝物のように優しく手に取った。

表紙のイラストもみやびが知っていたそれとは少しだけ違っていた。

きっとスピンオフを書き上げてから追加で書き直したのだろう。

締め切りに追われ修羅場モードになっているやよいさん原画家の姿が目に浮ぶ。


表紙のイラストの左半分側にはみやびも知っている『キミキス』の主人公智也がヒロインであり、男装女子の格好をした葵を後ろから抱きしめ首筋にキスをしている画だった。傍らにはちゃんとロードバイクなんかも描かれていた。

そして右側半分には……見たことのない若い男女が描かれていたのだ。


 その二人にはどこか見覚えがあり、それは……自分とむつみの姿に少しだけ似ていた。

作家らしき男性は顔半分を開いた『キミキス』ラノベで隠すように、またすまなそうに女性の方を見ていた。女性はたぶんその担当なのだろう、納期厳守と書かれた用紙を作家である男性に見せつける様に突き出していた。

それがどこか自分とむつみとのやりとりのようで少しだけ笑ってしまう。


みやびは包装されていたパッケージを破るとパラパラっとページを捲っていく。

どうやら『キミキス』自体ははみやびがチェックしていた頃とほぼ同じ内容のようだ。

中盤も過ぎた頃、みやびのページを捲る手が止まってしまう。


「こ、これが先生の新作?」


そこには第二章のタイトルとして『売れない人気ライトノベル作家と、その担当さんとの恋愛事情と、その結果。』と書かれていた。

たぶんコレがむつみが言っていたスピンオフ作品なのだろう。


「ふぅ~っ」


緊張からか、はたまた期待からなのか、みやびの心は落ち着かない。だがそうも言ってはいられないず、思い切ってその場で読むことにした。

みやびは心を落ち着かせながら『担当』としての顔になり、真剣に一ページ一ページ読み深めていく。

そしてその途中みやびは泣きそうになるのを必死に抑えるよう、涙が流れぬように顔を上げて本に涙が落ちるのを堪えた。


そこに書かれていたのは、これまでのむつみとの思い出が描かれていた。

知らぬ人にとってはただの恋愛の内容なのだが、みやびにはすぐ『それ』を理解した。

それはむつみとみやびだけが知る2人だけの秘密。それをみやびが解からないわけがなかった。初めての出逢いから作品制作への苦悩、取材と称してのデート、その本の中にはむつみとの思い出がすべて詰め込まれていたのだった。


「先生……私この時はまだこんなこと想ってませんでしたよ」


本の中にはもちろん作家である男性の感情だけでなく、その担当さんである女性の心の内もそこには描かれていた。


「ふふっ。ホント先生は勝手ですね。人の心の中を見透かすように心情を描くだなんて……」


そして物語も終盤に差し掛かり作家である男性が告白するのだが、担当である女性は「自分はあなたの担当で、作品を公平に評価できなくなってしまう……」と断ってしまうのだった。

そこで作家である男性は「もし自分のデビュー作が100万部売れたら結婚して欲しい……」と女性に勝負を挑んだ。

本当にむつみとみやびとの現実のままのやり取りをそのまま物語にしたようだ。


「先生、私に断らず勝手にこんなの書いて……著作権で訴えちゃいますからね!」


泣きそうになるのをみやびはキツイ口調で誤魔化す。いや、誤魔化そうとしたが、誤魔化せなかった。突如としてポッポッ、ポッポッ……っと本の文字がにじんでしまった。


初めみやびは「なんだろう?」っと思いながら、そっとソレを指でなぞってみる。だが今度はなぞる指先に冷たいものが当たり、みやびは反射的に頬に手を当ててしまう。


指先に伝わる冷たい感触。それはツーッ、っと指を避け流れ落ちてしまい、また一つまた一つ……っと文字を滲ませてゆく。


そこでみやびは自分が泣いていることに今初めて気づいたのだ。

本に涙が落ちないようにと指で拭うが止まらない。

溢れる涙、そしてなによりも自分の今の感情を抑えることができない。


 その異変に気づいた書店員が「お、お客様! 大丈夫ですか? 何かあったんですか?」っとみやびに声をかけてきた。

どうやらそれは先程の店員らしく手にはむつみの新刊が数冊抱き抱えられている。


 みやびは言葉を発する代わりにうんうんっと、頷きその書店員が持ってきたその数冊の本を受け取ると大切そうに抱きしめ周りの人目も憚らずに泣き出してしまうのだった。

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