第39話 僕だけの眠り姫。ずっとずっとこの瞬間(とき)が続けばいいのに……

 ―それから数十分後


「みやびさん? みやびさんってば、寝ちゃったの? みやびさん。おつかれさま」


 みやびはむつみに体を預けたまま、「すーすー」と寝息をたてている。どうやら疲れて眠ってしまったようだ。


「ふふっ。みやびさん僕よりも年上なはずなのに、子供みたいなかわいい寝顔♪」


 むつみはみやびの髪を優しく撫でながら素直にそう思う。そして自分の中でみやびの存在が少しずつ大きくなっていくのを自覚していた。


 みやびと出会い、そして自分の担当になってくれて約半年。最初は担当として仕事が出来きるっと、みやびを尊敬するだけだった。恋愛モノを書くのにデートすらにも行ったことのないむつみの為に、一緒にデートの真似事で映画や遊園地でのデート(仮)をしたこともあった。


 そのときからむつみはみやびのことを好きになっていたが、美人すぎるみやびは自分にとって高値の華であり、作家にすらなれない自分なんかでは釣り合うわけがない。だからそんなみやびのことを、ただ遠くから眺めているだけで満足だった。

 花は観る分には美しいが、だからといって摘んでしまえばやがて枯れしまう。そう言い聞かせて自分自身を納得させていたのだ。


 自分みたいなデビュー前の売れるか売れないか、判りもしない似非作家ではみやびのことを不幸にしてしまう。仮に告白できたとしても振られるのがオチだろう。だったら今の作家とその担当さんという居心地の良い関係を続けていくのも、アリだと考えていたのだった。むつみはそう考えることで、みやびへの自分の気持ちを押し殺していたのだった。


 だがそれも……最近みやびへのその気持ちが抑えきれないと気づいた。毎日毎日、逢うたびに違う表情をみせてくれるみやび。時に怒られ、共に笑い・泣き、そして共に作品作りを通して、お互いを知る。そんなみやびのことをむつみが好きにならないわけがない。これほどまでに人を好きになったことは人生でも初めてだった。


 今日だけでもお菓子好きなことや、車に乗ると性格が変わること、ウーロン茶を飲ませると酔って、かわいい感じになり、そしてカワイイ寝顔を見せてくれること……むつみにとってそれだけでみやびのことを『好き』になるには十分だったのだ。


「みやびさん起きてる?」

「(すーすー)」


 どうやら起きないようだ。部屋には眠り姫のように美しく眠るみやびの寝息と、うるさいくらい高鳴っているむつみの心臓の鼓動だけが聞こえた。自分の肩に頭をもたれているみやびの髪を、起きないよう少しだけかきあげてあげる。


(とても綺麗だ……)


 艶やかでシルクのような手触りの長い黒髪に整った顔、想わずキスをしたくなるような魅力的でリップを塗ったくちびる、とても柔らかそうな大きめの胸、抱きしめたら折れてしまいそうな腰、いつでも触りたくなるようなお尻、すらっとした長い足。


 むつみには、その一つ一つがなにものよりも魅力的に映っていた。自分の作品である『キミキス』の展開を思い出し、胸のドキドキが止まらなかった。そしてついに我慢できずみやびを起こさぬよう耳元で、主人公である智也と同じセリフを甘く囁いた。


「みやびさん…………好きだよ」


 告白としてはあまりにも何の捻りがない。だが、恋人どころか告白すらしたことのない、妄想オンリーまっしぐらのむつみにとっては、眠っているみやびに『好き』の一言を言うだけでも精一杯なのだ。そして何故だか、みやびの頬がやや赤くなったように見えた。


「みやびさん起きてるの?」

「……(すーすー)」


 返事はない。寝息も変わっていない。みやびはまだ眠り姫から覚めないようだ。


『キミキス』だと寝ている葵に智也がキスし、その瞬間葵が起きてしまう展開だった。だが寝ているとはいえ、好きな人に告白したことによって逆にむつみのみやびに対する好きという気持ちは抑えられるものではなかった。


 そしてもう一度だけ……みやびの耳元に口を近づけ、セリフを甘く囁いてみた。


「みやびさん、起きないの? 起きないと……き、キスしちゃうからね!(照)」

「…………」


 まだ反応はなかった。


「みやびさん……今ならまだ間に合うよ? ボクほんとにしちゃうからね……」

「…………」


 もしここでみやびが目を覚ましたらどうしよう……。これはキミキス物語とは違い、むつみとみやびはまだ恋人同士ですらないのだ。今この瞬間にみやびが目を覚ましたら、絶対に今の関係は続けられなくなるだろう。


 下手をすれば担当を外れ、もう二度とみやびとは逢えなくなるかもしれない。でももし……ここでキスしなかったら、一生みやびとキスをすることができないかもしれない。そう思い、むつみは決断した。

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