第20話 初めてのカート

 智也は付き添いという形で葵と一緒に座学の講習を受けていた。基本的に保護者が最低一人付き添う。座学では赤旗や青旗の意味を習い、周回遅れでラインをゆずる時の注意点などレースにおける基礎、普通の車とレーシングカートの違い(主にタイヤ特性とブレーキング)などが中心だった。そして昼食を挟み午後の実地になる。


 カートは愚か、車すら運転したことのない葵はガチガチに緊張していた。


「お、お兄ちゃん、ヤバイ、ボク盗んだこのカートで逃げ出したいかも…………」

「バカ、せっかくここまで来てんだから。それにこれくらいで逃げるようじゃ、レースなんかできないぞ! ……ってか葵、実はお前結構余裕あるだろ」

「てへりっ♪」


 いつもの葵のようになっていた。

(そうか。そういえば葵にはスイッチ(自己暗示)があったんだよな。こんなときには便利なものだよなぁ~)


 そして「それでは名前順で5人ずつ乗ってもらいます」とカートの前で指導員からそう告げられた。今回のスクールには葵を含め10人ほどの参加者がいた。葵は『倉敷』なので最初のグループに呼ばれた。


「そ、それじゃ、お兄ちゃん行ってくるからね」


 それでも小刻みに震える葵に智也は、葵の手を握り「お前なら大丈夫だ」っと安心させた。

「うん♪」と力強く頷き、葵の名前が呼ばれた。


 広いピットレーンからカーナンバー3の青色のカートに乗り込む。講師が各生徒の身長や足の長さにシートを合わせる。葵のように身長が低い生徒には、クッションなどを間に入れ調整するようだ。

 カートはFJ(フォーミュラジュニア)に使われるモノと同じだった。マニュアル式なのでまずはクラッチを繋いでスタートしなければならないのだが、葵の前にいるカートが次々と出発して行くのに葵は『ぷすんっ』とクラッチを繋ぐのに失敗してエンストしてしまう。


「おいおい、葵のやつはあんなんで大丈夫なのかよ……」


 智也の心配ももっともだ。既にスタートしていないのは葵だけだったのだ。


「ま、大丈夫だろ。初めて運転するならエンストくらい誰でもするさ。それに“そんなこと”じゃ評価されねぇから安心しろよ」


 隣にいた若い講師に声をかけられる。確か現役F3で活躍している石井選手だと午前の講義で聞いたような気がした。


「あ、あのそれって……」

「ああ。オレも去年、コレに参加しててな。それがよ、今のアイツみたくいきなりエンストしちまってさ。さすがにあのときは焦ったのなんのでよぉ~(笑)」


 っと、去年の失敗を笑いながら話してくれた。

「そうゆうものなのか? それでも選ばれてここにいるんだから葵にも可能性もあるんだよな!!」と智也は内心思った。


「おっ! やっと行ったみたいだな」


 ブーン。ようやく加速した葵もやっとスタートを切った。

 走行中は旗とボード・無線で講師とやり取りをする。走らせながらその中で講師が色々と指導をする。ブレーキをかけるタイミング、アクセルの開け方、それらがすべてデータとして分析され、即時アドバイスがなされる。


「お前のツレ…………なかなかすじがいいな」

「そ、そうなんですか? でもスタート失敗から……」

「だからエンストなんて関係ねぇって! これはオフレコだけど、このスクールは上手い奴が選ばれるわけじゃねぇよ。むしろ下手でも短期間で成長できる奴が選ばれるだ」


「俺様みたいにな!」っと、にこっと笑いながら石井が付け加えた。


 レース前では走行時間と走行距離が厳しく制限される。これが他のスポーツなら練習時間がいくらでもあり努力すれば結果に結びつくが、モータースポーツだけは違うのだ。


 そもそも練習として走らせるだけでも、数百万と相当な金がかかるし、また人員も多くいる。レース主催者側としてはドライバーの公平さを保つために、走行距離と時間を厳しく規制するのだ。

 ……だからどんな環境下でも適応できる人間がレースドライバーとして選ばれるのだ。


 そしていつの間にか、葵は上から数えるほど早いタイムを叩き出していた。


「やっぱ葵はすげぇんだな……カートは初めてなのに」


 初めてカートというものを体験し、練習もせずこれだけ早く走れる葵にとても関心する。たぶん葵は走行中でもスイッチを使い分けているのだろう。じゃなければあんなに緊張してたのに、こんな冷静に走れるわけがない。


「ありゃ相当素質あるぜ。カートは素人とはいえ、さすがロードレースJrで優勝するだけのことはあるな。基本的なタイムの出し方を知ってる。それに体も基礎ができてるようだしな」

「えっ? ロードレースで優勝??? あの葵が!!?」


「なんだ知らなかったのか?」っと言った石井選手が逆に驚いた。


「アイツの履歴書にそう書いてあったぞ。まぁもっとも前の学校では、自転車部なんてものはなかったらしいから、アイツ個人で参加したんだろうな」


 そんなこと葵からは一度も聞いたことがなかった。どうりでロードが速いわけだ。


「お前らきょうだい・・・・・なのに、そんなことも知らなかったのか?」


 どうやら石井さんは葵が『お兄ちゃん』と呼ぶから、智也達を兄弟きょうだいと勘違いしたようだ。


「ま、苗字も違うし、複雑な事情ってやつがあるんだろうなぁ……」


 石井はどうやら智也と葵の間に事情があると勝手に勘違いしてくれたようだ。

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