第二章 イラルの村

第10話 イラルの村へ

***


 私はまるで散歩をするかのように、ゆったりとしたスピードで魔獣の森を歩いていた。

 魔獣は、相手の心理状態を把握出来るらしい。

 逃げ帰るように、走るのならば、相手は焦っていると判断し、襲ってくるらしい。

 ならば、「私はお前らなんてすぐにぶちのめせますよ」といった感じで、余裕ぶっていれば、魔獣達は警戒し、襲ってこないかもしれない。

 しかし、イラルの村に行くには、「魔獣の森」の最深部を抜ける必要がある。

 魔獣の森の奥には、おそらく「上位種の魔獣」もいるだろうし、油断出来ない。

 気をつけないと。


 ***


「現れませんね……」


 私は小さくそう呟く。

 あれから結構な時間、同じぐらいのスピードで歩き続けているのだが、未だに一度も魔獣と遭遇していない。

 朝、三人の家で聞いたような魔獣の咆哮は時折聞こえるが、魔獣の姿は相変わらず見当たらない。

 やはり、私の行動をどこからか、監視して、様子を伺っているのだろうか?

 この現象は昨日も経験している。

 良く考えたら、昨日は魔獣狩りの為、かなりのスピードで行動していた。

 ガッツの悲鳴を聞いた時もである。

 それなのに、魔獣には全く襲われず、魔獣の森の奥でガッツを見つけた際に、ようやく遭遇したのである。

 やはり、「三人の家」からかなり離れた場所に移動したのだろうか……?


 ***


「結構進んだと思うんですが……」


 昨日は悲鳴の主を探すのに夢中で、距離感などは全く無かったので、具体的にどの位置で魔獣と遭遇したのかは、定かではないのだが、かなりの距離を歩いた気がする。

 そろそろイラルの村に辿り着いても良さそうな気もするのだが……

 さらに進んでいくと、やがて少し広い広場のような場所に出た。

 三人の家程では無いが、家一軒ぐらいなら建てれそうな場所である。

 四方は大量の木に囲まれている。

 中央には大きな岩があり、私は魔獣も出てこないし、ここで少し休もうかと思ったのだが……


 ガサッ……!!


「っ!?」


 何かが動く物音がした。

 まさか、魔獣……?

 やはり、監視されていたのだろうか?


 ギュルルルルル…!

 ガァァァ!!


 突如、私の前方に魔獣が現れた。

 上位種の魔獣では無い、群れに属している訳でも無い普通の魔獣だ。

 私は、ナイフを取り出して構える。

 普通の魔獣など相手にもならない。

 私が斜に構えて、魔獣の相手をしていると、


 ギュルルルルル!!


「別の魔獣!?まさか……」


 気づいた時には遅かった。

 私はいつもこのパターンだ。

 気づけば、私は大量の魔獣に囲まれていた。

 四面を囲まれていては、逃げ出す事も難しい。

 まさにこの広場は魔獣達にとって、獲物を追い詰める為の絶好の狩場であった。

 やはり、魔獣が居なかったのは、私を誘き出そうとしていたのだろうか?

 私が進んでいた道の先にはこの広場がある事を知っていて、その広場に私が足を踏み入れる事も予想していたのかもしれない。


 ギュオオオオオ!!


 けたたましい咆哮が魔獣の森に鳴り響く。

 私はこの咆哮に聞き覚えがあった。


「『上位種の魔獣』やはり……」


 一匹の魔獣が現れると、他の魔獣が一斉に道を開ける。

 やはり、こいつがリーダー的存在で、他の魔獣を率いているのか。

 さて、上位種の魔獣は私を襲う気満々のようであった。

 これだけの魔獣を私は相手しなくてはいけない。

 だが、上位種の魔獣は、その場を動かず、こちらの様子をじっと伺っているように見える。

 上位種の魔獣が、大きく叫ぶと、それを合図にしたかのように、他の魔獣達が、一斉に唸り声を上げて襲いかかってきた。

 私も、覚悟を決め、魔獣の大群に立ち向かっていった。


 そこから先は無我夢中だった。

 ナイフで魔獣の体を切り裂き、息の根を止める事だけを考えていた。

 魔獣に何度噛まれたかも分からないぐらいの、傷だらけの身体で、痛みさえも忘れてしまった私は、殺す、殺す、殺す!生き残る為に、只々魔獣を殺す殺戮マシーンとなっていた。

 魔獣の返り血を浴び、真っ赤に染まったその顔を誰かがみたらどう思うだろうか?

 死を恐れない人間程怖いものは無い。

 死ぬ事への恐怖さえ、克服すればどんな事だって出来てしまう。

 その後の代償など知るものか。

 今、この魔獣達を殺す事に全ての力を使えれば良いのだ、その後体がどうなっても構わない。

 今さえ、今さえ戦えれば良いのだ。

 だから私は戦った。

 ナイフを振りかざし、次々と魔獣を葬っていく。

 魔獣を殺すという意志の為だけに私は動いていた。

 その意志で目的を達成する為に。


 ***


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 私の周りには生を失った魔獣達の亡骸が大量に散乱していた。

 それでも、まだまだ魔獣達は私に向かってくる。

 私はふと前を見上げると、上位種の魔獣の姿が視界に映った。


「魔獣……魔獣……!!」


 落ち着け、今の私では上位種の魔獣ヤツには勝てない。今冷静さを失えば無駄に命を失うだけだ。

 心の何処で私は私自身を懸命に制御しようとしていた。

 しかし、体が言う事を聞かない。

 やはり私にもまだ暗殺傭兵組織ファーゼの戦闘本能が残っていたのかもしれない。

 結局、私は変われなかった。

 ロホアナが手を差し伸べてくれたのに。

 私はそれをまた……繰り返すのか……


「ぐぅっ!」


 二匹の魔獣が私の右腕と左足に噛みつく。

 いくら殺戮マシーンと言えども、体には当然限界が来るし、私の体には、確実に疲労が溜まっていた。

 本来なら避けれるはずの攻撃も、体が思うように動かず、避ける事が出来なかった。

 ジリジリと魔獣の牙が皮膚に食い込んでいく。

 既に私の体からは大量の血が流血していた。

 魔獣の返り血もあるだろうが、かなりの血を失った筈だ。

 せっかくロホアナの「治療薬」で治りかかっていた昨日の戦闘で受けた傷も、再び開いてしまった。


「ううう……痛い!痛い!くそ、放せ!」


 私は無理矢理動かない体を動かし、ナイフで二匹の魔獣を切り裂き、吹き飛ばす。


「はぁ…はぁ…ヤツは!?」


 段々と自我と冷静さを取り戻せるようになって来た。

 しかし、それと比例するかのように、激しい痛みを感じるようになる。

 昨日の傷よりもさらに深い傷を負ったのだ。

 もう無事でいられるはずが無い。

 死ぬかもしれない、私は自我を取り戻し、初めてそう感じた。

 死ーーーその言葉だけが頭の中に残る。


 その瞬間だった。


 ギュオオオオオ!!


「な、何ですか……?」


 ずっとだんまりを決め込んでいた「上位種の魔獣」が突如、大きな咆哮をあげた。

 すると、それを合図にしたかのように、私に向かってきていた魔獣達が、一斉に攻撃を停止した。

 これは……一体……?


 魔獣達が颯爽と私の元からそれぞれ、散り散りに去ってゆく。

 私の目の前には上位種の魔獣だけが残った。

 まさか、一対一タイマンで私と戦うつもりなのだろうか?

 自身と戦うだけの能力があるか、手下の魔獣に戦わせて、私の力量を測っていたのか?


 私はナイフを上位種の魔獣に向ける。

 宣戦布告である。

 私も逃げる訳には行かない。

 昨日のようにはいかない、ここで仕留めてやる。

 だが、上位種の魔獣はこちらを見つめるのみでその場を動かない。

 私も相手の様子を伺っていたので、その場を動かなかった。

 しばらくの間、お互いがお互いを見つめう、奇妙な時間を過ごした。

 魔獣が足を小さく動かす。

 ーーーくるか!?


 私の予想に反し、上位種の魔獣は私の方へは向かって来なかった。

 上位種の魔獣は体をさっと翻すと、そのまま去っていってしまった。

 私一人だけポツンと広場に残され、ようやく静寂な空間が戻ってきた。

 すう……と私は力が抜け、その場に倒れてしまう。


 疲れた、痛いし、辛い。

 どれだけの傷を受けたか分からない。

 ぬちょと嫌な感覚がした。

 魔獣の亡骸の上にどうやら頭を乗せてしまったようだ。

 まだ生きている頃の体温が残っているのか、ほんのり暖かった。

 猛烈な寒気がしたのだが、もう動く気力も無い。

 涙が出そうなくらいの痛みを抱えながら、今から立ち上がり、まだ先であろう「イラルの村」に行く事が私に出来るだろうか?

 私の体はもうとうに限界を迎えていた。

 いつ死んでもおかしくない状態である。


「はぁ……はぁ……眠たい」


 何故か急に大きな眠気が私を襲ってくる。

 目蓋が閉じそうになるのを耐え、無理矢理開けたりしながら、必死に頑張ったが、もう無理そうだった。

 心地よい眠気に体全体が包まれていく。

 ここで目蓋を閉じたら、そのまま死ぬのだろうか。

 でも、それでも良い気がした。

 目蓋を閉じ、眠気に体を委ねれば、そこに待っているのは痛みも苦しみもない、快楽の世界。

 イラルの村、ガッツ、猛毒。

 そんな事も考えなくて済む、理想の世界。

 眠りの中では現実から解放され、嫌な事は全て忘れる事が出来る。

 死んだら全てを捨てる事が出来る。

 それで良いんだ。

 私はここで死ぬ運命なんだ。

 上位種の魔獣が何故私を見逃してくれたのかは分からないが、もうどうでも良かった。

 ゆったりと「魔獣の亡骸」の暖かい枕の上で死ねるのなら、もう満足だ。

 ここで死ぬ運命だと言うのなら、それを受け入れよう。


 私は自らの運命を受け入れ、静かに目蓋を閉じ、睡魔に身を委ねる。

 もうすぐで理想の世界に行けるんだ。

 このまま幸せに私はーーー


『ニミが死ぬとロホアナ様が悲しみますからネ』


 ロホアナ……今も私達の為に……


『まあイイデス。でも……生きて帰ってきて下サイ』


 スス……「三人の家」で洗濯でもしているのかな……



『仲良くだよ。私達は”家族”なんだから』


 家族……



『誰かを助ける為に、自分の命を賭けるなんて事……ファーゼだけじゃ無い、普通の人間にできる事じゃ無いだろう?』


『ニミはそれをやってのけたんだ。それだけで随分変わったよ。いや、成長したというべきかな』


『ただいま、私の唯一の居場所』


 ロホアナ……スス……

 二人の顔と、二人の言葉が鮮明に浮かぶ。

 やっぱり私は……


 言葉にならない想いを抱きながら、私の意識は深い闇へと落ちていった。




 ***


「私見たんだよ!信じてよガッツ!!」


 少女と少年が迷いの森を二人で歩いていた。

 少年は剣を所持しており、少女は怯えるように、少年の裏に隠れながら、進んでいる。


「だから何をだよ……」


「大きな怪物だって!夜大きな咆哮が聞こえて、私こっそり迷いの森の方を見に行ったの……そしたら、巨大な怪物の影が見えたの!私怖くって……」


「お前……一人で『迷いの森』に行ったのか?村長にあれ程近くなって言われてたのに……」


「だって……ガッツが怪我して帰ってくるから……私心配で……」


「だったら尚更僕を呼べよ……僕は一応村長から許可を貰っているからさ……モーナ、お前一人じゃ危険すぎる」


「ガッツだって魔獣に負けたんでしょ?」


「別に負けた訳じゃなくて……危なかった所を、女の子に助けて貰ったんだ」


「女の子?こんな迷いの森の中で?」


「ハンターの女の子。年齢は僕と同じぐらいかな?ナグナ王国から来たって言ってた」


「ナグナ王国から?どうして?まさか村を侵略しようと……」


「モーナ、お前は村長の言う事を信じすぎだ。ナグナ王国の人達は確かにイラルの村を支配していた時期もあった。でも今は違うだろ?それにナグナ王国の人みんなが悪いって訳じゃない。王都で女の人に助けられた話、聞いただろ?」


「ガッツって女の人に縁があるんだね……」


「いや、別にそういう事を言いたいんじゃなくて……とにかく、今のイラルの村は明らかにおかしい。あんまり村の人達の言う事を信用するなよ」


「分かった、ガッツを信じるよ」


「ああ、にしても今日は魔獣が出ないなぁ」


「そうだね……あれ?ガッツあれって……」


「ん?な、何だあれは……」


 二人の視線の先にあったのは。大量の魔獣の亡骸だった。小さな広場が血に染まっていた。


「これは……一体……」


「ねぇ、ガッツ、見て!あそこに……」


「あれは人間……?生きているのか……?」



 真っ赤な血に染まった人間が魔獣の亡骸の上で倒れていた。

 側からみれば、とても生きている様に見えなかった。


「これは……酷いな。モーナ、下がってろ」


「うん……あ!ガッツ、この人………が!!」



「本当だ……!酷すぎる……一体ここで何が起こったんだ?」



 これが、イラルの村の大きな騒動の幕開けだったーーー




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