第47話王女23
「へ、陛下っ!?」
そんな異常に気が付いたのでしょう。アランの方へと振り返った騎士達は再び国王の方へと振り返しました。
ですが、騎士達が振り返った先にいたのはこの国を治める彼らの主人である国王陛下ではなく、膨れ上がった肉を纏う人型の化け物がいるだけでした。
肉の化け物は体の至る所から人の顔のような凹凸を作りました。
そしてそれを顔なのだと考えて見るとその顔は笑ったかと思えば怒り、かと思えば嘆き、そうしてそれは絶えず止まることなく形を変えています。
「なっ——! ミザリスっ! どういうつもりだ! お前、やはり狂っていたか!」
「狂った? ——そうですね。そうかもしれません。今の私を突き動かすのは、あの日からずっと胸の中にあるこの想いだけです。この想いはきっと、理解されないものなのでしょうから」
異形の姿へと変わってしまった自分たちの父を見て二番目の兄は叫びました。
確かにあの国王は私の父親でもあるのですから、自分の父を魔物へと変じさせるなど、狂っていると言われても仕方がないでしょう。
ですが、狂っている、なんて言われても、そんなことは今更です。アランが死んだあの時……いえ、根本はそれよりもっと前ですね。誰も私のことを見向きもしなかったいらない存在なんだと理解したその時、私は壊れたのでしょう。そしてアランに出会ったことで壊れた私が動く理由ができた。
「こんなことをして何になる! 今更私たちを殺して逃げるつもりか!?」
「違います。逃げたところで、私の願いは叶いませんから」
術の起点はこの城にあります。僅かな期間であれば離れたとしても問題ありませんが、それが半年、一年となると術は完全に崩壊してしまうでしょう。ですのでこの場所から逃げることはできません。
「願い……その願いは死者の蘇生か?」
「流石は次期王というべきでしょうか。話が早いですね」
そう。全てはアランを生き返らせるためだけにやってきた。辛くても、苦しくても、やりたくなくても、それでもアランのためにと動き続けてきた。
「その者はすでに死んでいるわけか……」
「そんなこと、できるわけがないっ!」
一番目の兄の言葉に二番目の兄が乗っかるように叫びました。ですが……
「違います。アランはまだ死んでいません」
確かにアランは一度死にました。ですがその後蘇ったのです。今はまだ完全ではないですし放っておけば死んでしまいます。
けれどアランはまだ生きていて、術が完成すれば完全に元に戻すこともできるのです。
だから私は、アランが死んだなんて認めません。
「それに、できますよ。そのために今までやってきたのですから。現に、お父様は動いていらっしゃるではありませんか」
国王陛下は一度死にました。だからこそ私が好きなように操ることができたのです。私が動かすことができるのは死を纏った者だけですから。
ですが、死んだにも関わらず国王は今もなお生きています。
「魔物として、か?」
「魔物と人の違いなんて、理性があるかないかくらいなものですよ」
「違う! 人は魔物などではない!」
「違いませんよ。時には、人は魔物以上の醜悪さを見せます。私はヴィナートにいってその一端を向けられましたもの」
人間なんて、結局のところ汚い生き物なんです。ともすれば魔物よりも余程醜悪な種族。その代表例と言っていいのがあのヴィナートで私を飼おうとしたフラント皇子でしょう。あれは類稀なるほどの醜悪さをもった下衆でした。
あれほどではないにしても、人間なんてほとんど同じようなもの。全部、と言わないのは中にはアランのように純粋で素晴らしい者もいるからです。
けれど、大半の人間は魔物などよりもよほど汚い。
「私は、いつまでもこの『城』という庭園で愛でられるだけの蝶ではありませんよ」
今まで私はこの城の中でだけ生きてきました。陰口を叩かれつつも『お姫様』と言うことで愛でられ、大切に育てられてきたのです。
ですが、いつまでもそうであるとは限りません。
「——確かに、同じ蝶であっても、毒を撒き散らすものであったな」
一番目の兄はそう言いました。毒などとは妹に言うような言葉ではありませんが、私もあちらも、お互いに兄妹であるなどとは思っていないでしょう。
それに、毒を撒き散らすと言う言葉は、私のやろうとしていることを知らないにしては的を射ている言葉ですね。
「毒……ひどいことを言いますね。ですが、そうですね。ええ、私は毒を撒き散らします。それが私の願いを叶えるために必要なことですから」
「その願いのためにどれほど周りを犠牲にしてもか?」
「当たり前です。人間、誰だって自分の願いが一番大事でしょう?」
「どうしてお前はそんなに狂ったんだ……」
二番目の兄が顔を歪めながら私と一番目の兄の会話に入ってきましたが、私としてはその質問の意図がわからないと言いますか、本気で言っているのか、と言いたくなりました。
「どうして? おかしなことを聞きますね。恋とはそう言うものでしょう? その想いのためならば狂ってもおかしくないくらいの衝動を恋と言うんです」
私はアランに出会ったその時から恋をしていた。だからこそ当時周囲のもの達から嫌われている状況であっても強引に動いたし、アランをそばに置けるようにしたのです。
あの日からずっと、私はアランのことだけでいっぱいでした。
「だって、私は一人だったんです。ずっと、ずっと一人だった。小さい時から王女らしくと勉強をさせられ、友達なんて作ることもできずにずっと城の中。妾だった母は死に、父と兄は私を見ず、姉はろくに話すこともなく消えていった。侍女は私に取り入って利用しようとする者か虐げる者ばかりで、騎士は仕事だから守っているけれど深く関わろうとはしない。私、小さい頃から誰かが私に向けている感情というものが理解できていたんですけれど、お兄様方も私のことを疎んだ時があったでしょう? どうしてあんな妾の子供がいるんだ、と」
私の母は貴族ではありましたが、行儀見習いとして入った爵位の低い貧乏貴族の娘でした。
一応は平民ではなく王の血を引いているために王女として受け入れられましたが、それでも周りからは疎まれ続けてきました。「陛下を誘惑した売女の娘」と。
それは嫉妬も混じっていたのでしょう。と言うよりも、ほとんどが嫉妬だったのでしょう。私の身の回りの世話としてつけられた侍女たちは、全員が私の母の家よりもはるかに身分の高い御令嬢達だったのですから。
城の行儀見習いとして活動し、あわよくば陛下の子を……なんて考えていたのに、それがどこぞの貧乏貴族の娘に横から奪われたのですから、その怒りも理解できなくはありませんが。
みんな同じ穴の狢だと言うのに、自分が失敗すれば成功した人間を妬み恨み、足を引っ張り引きずり落とす。それが人間です。
そうして私は誰からも相手にされることなく、虐げられて生きてきました。
「けれど、当然ですよね。この国にとって、私は価値のない者でしたから。結婚道具としては、姉が他国に嫁いだせいで必要としない。あれば使うけれど、なくても困らない。むしろあれば変なことにならないようにするためにその使い道を考える必要があるので、いないほうが良かったかもしれない。いや、そもそもが妾腹の子なのだから生まれてこなければよかった」
王の血を引いているから安易に殺すこともできず、けれど道具として使うには必要としている場所がない。
使えないこともないけれど、いなくてもよかった。それは特定の誰かがそう思っていたのではなくてこの城で私に関わりのあったほぼ全ての人間が、です。そう思っていないものは私のことを受け入れていたのではなく、どうでもいいものとして扱っていただけに過ぎません。
「そんなふうに思われたのが私です。少し前のヴィナートへ私を送ったのは、お兄様の発案でしたよね? 死んでもいい、おもちゃにされてもいい。それでヴィナートをどうにかできるなら、私〝程度〟どうなってもいい——そう思いませんでしたか?」
私がそう言って二人の兄へと視線を向けると、兄たちはそれぞれ顔をしかめ、二番目の兄は僅かに私から視線を外しました。一番目の兄は表情を歪めながらも私から視線を外すことがないのは、流石は次期王といったところでしょうか?
まあ、この二人が何をどう思ったとしても過去は変わりませんし、私がどう思うのかも変わることはありません。
「そうしてみんなに囲まれながらも独りで、なんのために生きているのかすら分からないまま生きていた私が好きだった時間が、知らないものを知ることができる時とそれから、きれいなものを見ている時です。人は汚い。醜い。どれほど外見を取り繕ったとしても、内面の醜悪さがどうしても隠しきれない。そんな汚物などよりもよほど汚いものを見ているだけで私の心は空虚さが増していきました」
誰からも必要とされず、生きている意味を見出せず、人間という名前の汚物に囲まれて心が死んでいくのを自覚しながら生きなければならないのは苦痛でしかありませんでした。
一度と言わずに何度か死のうかと悩んだほどです。ですができませんでした。
生きているのは苦痛でしかなくとも、それでも死ぬのは怖かったからです。どうしても最後の一歩を踏み出すのが怖かった。
まともに生きることができず、死ぬこともできず、でも死んだように自己を殺して生を繋いできた私ですが、唯一『生きている』と思える時がありました。
「けれど綺麗なものを見ている時だけは、私は安心することができたんです」
周りに〝きたないもの〟ばかりだったからでしょう。きたない感情を持たない無機物、その中でも綺麗なものを見ているときは世界もまだ捨てたものではないと思えた。
ですが、ある時無機物ではなく私の大嫌いな人間だというのに、とても綺麗に見えた者に出会ったのです。それがアランでした。
「初めて見た時のアランの剣は綺麗でした。純粋に剣を振るうアランの姿は、人であるにも関わらず、ただひたすらに綺麗だったんです。その姿を見た瞬間、一目惚れをしました。それこそ、私にとって『人間』と言うのはアランだけだと思えるくらいには」
だからこそ私はアランをそばに置きたいと思い、アランに感謝してもらうためにアランの邪魔をしているものを多少強引でも面倒がられても排除したりしました。
私の護衛騎士となった後も、アランだけは私の生い立ちや城内の噂のことを知ってもなんの態度も変えることなく、ことさら丁寧になるでもなく、何も変わらず、それまでと同じように接してくれました。
アランにとって私は特別であっても特別ではない。見下されるような存在ではなく、そこにいてもいいのだと教えられたようでした。
自身の欲望のために他者を見下し、虐げる〝きたないもの〟に囲まれた中で、アランだけが私を見て、私を頼って、私を慕って、私を私として扱ってくれました。アランだけが私にとって世界にたった一人だけの『人間』だったのです。
「たったひとりの『人間』に生きてほしいと願うのは、それほどおかしいですか? 私にとっては、アラン以外の全ては魔物と同じですよ。〝お兄様〟」
そう言って笑いかけたことで決定的に相容れないものなんだとようやく理解できたのでしょう。一番目の兄は一度大きく深呼吸をすると真っ直ぐに私のことを見据えながら口を開きました。
「話を聞いた所で、意味のないものであったな」
「どのみち私のやろうとしていることは止めるおつもりだったのでしょう?」
「当たり前だ! 私はこの国の王子だ。国に害をなすものを放っておくわけにはいかない!」
二番目の兄は一番目とは違って少々頭の出来が悪く直情的なのは分かっていましたが、どうやら武器を持っていない状況で戦うつもりのようです。
確かに私を殺せば全ては終わるでしょう。ですが、こんな状況を作り出し、危険なことになるとわかっている私がなんの対策もしていないわけがありません。
私は変異した〝国王〟に指示を出してこちらに呼び寄せ——
「馬鹿がっ、逃げるぞ!」
「なっ! 兄上っ!?」
「あいつの用意した場所で戦ったところで勝てるわけがない! そんなことをするくらいなら騎士たちを起こして指揮をしたほうがいいに決まっている!」
——ようとしたところで一番目の兄が二番目の手を掴んで走り出しました。
突然のことに二番目の兄は驚き、批難したような声を出しましたが、二人のそばにいた騎士達は兄二人に置いていかれることなく追従して部屋を出て行きました。
このまま放っておけばあの二人は兵を集めて私たちを狙うでしょう。
ですが、私にとってそれは好都合でした。
元々、覚悟を決めたその時にこの城のものは全員殺すつもりなのですから。むしろ、全員集まるというのなら望むところというものです。
しばらくしてから〝国王〟とアランによって国王陛下を守っていた騎士達は殺し終わり、アランは無言のまま私の元へと戻ってきて跪きました。
〝国王〟は異形とかした体を震わせ、体表に見えている無数の顔を蠢かせながらもじっとその場で佇んでいました。僅かに漏れて聞こえる声は、きっと私の気のせいでしょう。
そんな二人の姿を見ながら、これからのことに想いを馳せます。
そして、私は目の前で跪くアランのことを見据えながら口を開き——
「アラン。城にいる者を、全員……殺してください」
——そう命じました。
「はっ」
私の言葉に返事をして立ち上がったアランは〝国王〟とともに部屋を出ていきました。かつての部下と、仲間を殺すために。
その時に見たアランの表情が歪んでいたように見えたけれど、すぐに走り出したことで一瞬しか見ることができませんでした。
でもあれは……泣いて、いたのでしょうか……
もしそうであれば、私はアランの主人として……
いえ、違う。そうじゃない。今はそんなことはどうでもいい。もうすぐ終わるのですから、今は目的を果たすために全力を尽くすべきです。
たとえその結果、アランに恨まれることになったのだとしても。
「……あなた達も、まだ働いてもらいますよ」
アラン達が出ていって私以外は死体しか残っていない部屋で、私はアランと〝国王〟によって殺された騎士達の死体に向かって命令をしました。
アランのようにしっかりと動かすには時間も手間も必要ですが、今だけの短時間であれば問題ありません。
私の言葉を受けて、騎士だった者達はガクガクと体を震わせると立ち上がり、歩き出しました。
これで、最低限の戦力は十分でしょう。あとは適宜死体を乗っ取り、操るだけ。それを続けていけばそう遠くないうちにこの城にいる者は全員殺すことができる。
そうすれば必要なだけの魂が集まり、今度こそアランを完璧な状態に蘇らせることができるはずです。いえ、はず、ではなく、できます。そうでなくてはダメなんです。
私はグッと拳を握ると、これから溢れるであろう球ウィ井を取りこぼすことなく回収するために、祈りの間へと歩き出しました。
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