第32話王女15

 

「止まれ!」


 不甲斐ないことに私がそのことに気づいたのはアーリーが行軍停止の指示を出してからでした。

 そして私たちは止まって警戒体制へと移り周囲の確認をし始めましたが、それでも誰一人として武器に手をかけつつも抜かなかったのは、事前に何度も言い聞かせておいたからでしょう。もし万が一武器を抜いてしまって敵対行動と取られたら、私たちなど容易に死んでしまうでしょうから。


 けれど、警戒して周囲を見回しながらも反撃の準備をすることはできないために、私たちは動くことができません。できることと言ったら、ただ相手からの行動を待つだけです。


 しばらくの間……五分ほどでしょうか? 十分は経っていないのでしょうけれど、感覚としてはとても長く感じた時間待っていると、突如私たちの周りにあった木々が震え、森全体が揺れました。


 その揺れは次第に大きくなり、私たちの前にあった木々がより一層震え出し、もはや震えると言うよりも動くと言ったほうが正しいような気さえしてきました。


 ですが、そんな私の感想はあながち間違っていなかったようで、実際に目の前に存在していた木々が動き始めました。

 比喩でもなんでもなく、文字通りの意味での〝動き〟です。それもかなり予想外の動き。


 端的に言えば移動しました。


 移動です。震えるだとか動くだとかではなく、移動したのです。木がですよ? それも自分で歩いてです。そんなのは見たことどころか聞いたこともありません。


 そうして木が自分から移動するという不思議な現象を唖然としながら眺めていると、森が割れていき一本の道ができました。

 それからどれほどの間その道を見続けていたのでしょう?


「殿下」


 アランに声をかけられてハッと我に帰った私は道の先がどうなっているのかを確認するために目を凝らしますが、かなり距離があるのか障害物などないにもかかわらず何があるのか道の先は見通すことができませんでした。


 ですが、進路とは少しずれますがこうしてわざわざ道ができたと言うことは、これを進めと言うことなのでしょうね。


 どう考えても進んだ先には何かが待っているでしょうけれど、私たちがそれを拒むことはできません。ここで道を進まなかった時の方が恐ろしいですから。


 そうして私たちはできた道を進み始めたのですが、その道は平坦なものへと変わっていたのに先ほどまでよりも足取りが遅くなっているように感じます……いえ、感じるだけではなく実際に遅くなっているのでしょう。


「まったくも〜、せっかく道を作ってあげたのにおっそ〜い〜。早く来てよね〜」


 そうしてできた道を進んでいると、どこからともなく声が聞こえてきました。その声はのんびりと間延びした甘いもの。ですが、それと同時に傲慢さを感じるような、そんな声でした。

 おそらく、この森の主にして『危険』の正体でしょう。


「進め! これ以上待たせてはならない!」


 催促されてしまった以上はノロノロと進むことはできません。

 なのでアーリーに目配せをすると、彼女も同じ考えだったのかすぐに頷いて指示を出しました。


 そうして進んだ先では私たちの前にできた道同様に森の中にいるにもかかわらず開けた場所にでました。


 森の中にぽっかりと空いたその空間は、季節ではないのに様々な花が咲き乱れ、空中や花の上や木の上などには何十という数の妖精がいました。

 奥の木々の隙間からは泉が見え、そこからキラキラとした光がこちらへ届き、まさに御伽噺のような、そんな場所です。


「のんびり寝ていたのに、起こすなんてどちら様かしらぁ〜?」


 そしてそんな幻想的な空間の中心には世界一の美女と言ってもいいほどの、彼女自身がこの場で一番幻想的と言っていいほどの美しさをした女性が花畑の中で寝そべっていました。


 普通に見ればだらしないその格好も、彼女がしているだけでどんな芸術品よりも美しく、万人を虜にしてしまうほどの魅力がありました。


 現に、先ほどまでは恐々としていた兵達からは、男女問わず警戒の心が薄れているように感じます。


「我々はフルーフ王国のものです。この度は森への侵入、誠に申し訳ありません」


 けれど、そのまま見惚れているわけにはいかないので、私はすぐさま膝をついて口を開きました。


 目の前の女性に見える存在は確かにあり得ないくらいに美しく、この森は『精霊の森』という立派な名前で呼ばれています。


 ですが、別名……この森を知っているものからの通称としては別の名前があります。それは『悪意の住処』。


 どうしてそんな物騒な名前がついたのかというと、森に入ってからずっと聞こえていた声達が原因です。

 あれらは妖精。本来であればただ空気中を漂っているだけの精霊が意思を持ち、変異し、体を得た存在。

 ですが、意思と体を得た代償として悪意を持つようになりました。


 いえ、悪意とは少々違いますね。悪意と感じるのは人間からした感覚であって、強いて言うのなら興味、でしょうか。あるいはただ遊んで欲しいだけなのでしょう。基本的に彼らの思考は子供なのです。


 ですが、子供というものは残酷なもの。人間の子供であっても虫の頭をちぎったり翅をもいで戦わせたりします。

 それが人間と同等の知能を持って人間以上の力を持った子供となれば、その〝遊び〟も過激なものになってしまいます。


 故に、この森に入った者は皆彼らの〝遊び相手〟となりました。そしてその結果ついたのが『悪意の住処』という名前です。


 そして目の前にいる芸術品のような完璧な美しさを持つ女性は、そんな妖精たちの主人……悪意の元締めといえばわかりやすいでしょうか? 決して気を許していい相手ではありません。


「フルーフねぇ……そう。ヴィナートの方じゃなかったの。ならまあ、許してあげなくもないわよぉ」


 フルーフは過去にこの妖精に対して恩があります。詳しくはわかりませんが、この要請がまだ弱かった頃に命を助けたのだとか。

 それ以来フルーフの王族は人生において一度だけこの妖精に頼み事を聞き入れてもらえることとなりました。

 もっともそれはこの森の中で完結する願い事だけですが。例えば病を治して欲しいだとか、私たちのように森を通して欲しいだとかそう言ったものです。なのでヴィナートを滅ぼしてほしい、などの願いは聞き入れられません。


 これが私がこの森が危険だとわかりながらも通ることを決めた理由です。

 ヴィナート側からの侵入でしたので少々不安でしたが、どうやら問題ないようで良かったです。——ここまでは、ですが。


「まぁ、ただで、だなんてわけにはいかないけれど」


 この妖精も伊達に『悪意』達の主をやっているわけではありません。願いを叶えてもらうためにはそれ相応の対価が必要となります。

 相応と言っても、対価はその時の気分次第なので、何を要求されるかわかったものではありません。


 なので、まだ完全には安心できません。


「はい存じております。あなた方の領域を通らせてもらうのですから、それなりの報酬は用意させていただきます」

「そう。分かってるならいいわぁ。なら対価はなににしましょうかぁ……」


 そう言って妖精達の主はどことなく楽しげな雰囲気を漂わせながらゆったりとした動作で立ち上がると、私たちの方へと近づいてきました。


「あらぁ〜? あなた……」


 ですが、そうして近寄って私の顔を覗き込んだところで妖精達の主は動きを止め、警戒するように私を見つめました。


「——ああやだやだ。汚らわしいわねぇ」

「……え?」


 そして目の前にいる芸術品のような美しさの女性からはその見た目に相応しくない威圧感が放たれ、それと同時に吐き出された言葉に、私はすぐには反応することができず呆然とした声を漏らすのが精一杯でした。


「汚らわしいって言ったのよぉ。なんであなたみたいなのが生きてるのかしらぁ? あなたが王女? やだわぁ。冗談は笑えるから面白いのよぉ?」


 間延びした声は変わりませんが、威圧感とともに出てきたのんびりとしていたその声は、先ほどよりも固いものへと変わっているように感じました。


 ですが、それに反応したものがいました。


「——そ、それはどういうことですか! いくらなんでも無礼が過ぎるのではありませんか!?」

「……無礼、ねぇ。人の領地に勝手に入っておいて、その態度はどうなのかしら? しかも、そんな気持ちの悪いものを持ち込むだなんて……あなた方こそ無礼ではなくって?」


 その者は当然ながら私ではなく、アランでもアーリーでもありません。私の護衛騎士の一人でした。

 その騎士は自身の主人であり王族である私に対して暴言を吐かれたからか、それとも護衛騎士としての矜持からなのか、あるいは目の前の存在に対する恐怖からなのか……目の前の存在からの悪意に対して叫びました。


 そうしたい気持ちはわからないわけでもない。けれど、今はやめて欲しかった。


 苦々しい気持ちでどうするべきか考えていると、不意に感じていた威圧感が薄れていくのを感じました。


「まぁいいわぁ。そこの汚物と……ああ、それもじゃない。その気持ち悪い人形がいつまでもこの森にいられると気分が悪いもの。協力してあげるわぁ。対価もいらない。あなたたちから貰ったものなんて、処分に困るゴミでしかないもの」


 妖精達の主は私とアランを見るとため息を吐いて視線を逸らし、そう言い放ちました。


「ああでも、次にここに来る時は、その分の報酬ももらおうかしらぁ。もちろん、あなたみたいな汚物とそこの人形は次に来たら潰しちゃうけどねぇ」

「かしこまりました。ご不快にさせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいのよぉ。早くこの森から出て行ってくれれば、な〜んの問題もないわぁ」


 妖精達の主はそう言って気怠げに横に手を振るとそれだけで再び森が揺れ、木々が移動を始めました。

 おそらく、その先はフルーフの城がある方角へと一直線で道が伸びているのでしょう。


 そうして私たちは一度頭を下げて礼をしてから速やかにその場を離れて行きました。


「……殿下。その……」

「なにも言わないでください。原因は、理解しています。この件は、城に戻り次第私からお父様に伝えます。皆には他言無用と伝えてください」

「……は」


 先ほどの場所からしばらく歩き離れたところで、アーリーが顔を険しくして何かを迷うように声をかけてきましたが、何を聞こうとしているかは聞くまでもなくわかります。


 おそらく……いえ、まず間違いなく先ほど私が、そしてアランが言われた言葉についてでしょう。


 ですが、その問いに応えることはできません。


 兵達にも不思議に思っているものはいるでしょうし、いくら禁止したとしてもここでのことが外に漏れるのは時間の問題でしょう。


 そしてそうなれば、そう遠くないうちに私の秘密や成そうとしていることもバレるかもしれません。……急がなければなりませんね。


 そうして森の中を進み、森を出た後は警戒しながらも自国に入ったということで、多少気を緩めながら途中の町に寄って休みつつ首都へと進んで行きます。そして——


「ミザリス王女! お待ちしておりました!」


 私たちは生きて城へと戻ることができました。






 ……ああ。よかった。

 今回は危険もあってアランもあれだけの大怪我を負ってしまいましたし、後で『補強』しておかなければなりませんが、思った以上に材料が揃いました。


 時間の問題はありますが、あと少し……あと少しで全部が終わります。


 だからその時になったら、アラン。きっとあなたは——

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