第12話王女6
そしてそのことに気づくと同時に、私が先程行なった牽制が意味をなしていないことも理解しました。
「耳にした話では、お前はフルーフで疎まれているのだろう? だが我が国に来ればそのようなことはなくなるぞ。我らの関係を思えば多少のやっかみはあるだろうが、それも数年で消える。消してやる。欲しいものがあれば与えよう。物も名誉も、お前ほどの力を持っているものが我が下につけば思うがままに手に入るだろう」
私が見つめていることにも気づいているでしょう。ですが、皇帝は僅かに私の方を見るだけですぐにアランへと視線を戻しました。
普通なら他国の王女である私の護衛の引き抜きなど無礼と言えます。ですが、今回の場合は状況とお互いの立場が悪い。
私たちフルーフ側は、ヴィナートに対して友好を結びにきたのですが、皇帝の言葉はアランがヴィナートに行くのがその対価だとも取ることができます。
そして私はそれを断れない。少なくとも、この場でアランを引き止めることはできない。
私がそれを命じてしまえば、私たちはヴィナートと友好を結ぶ気がないのだと取られかねないから。
「我が下に来い、アラン」
だからこそ、私はただその様子を見ていることしかできなかったのですが、本来ならありえないことに、皇帝が自ら手を差し伸べてアランを誘いました。
それほどのことをされるものがどれほどいることでしょう。少なくとも私たちの国フルーフでは誰もアランに対してそのようなことはしません。
だと言うのに、一国の——それもヴィナートという大国の王が直接誘いをかけてくるというのはどれほどの栄誉なことでしょう。
これほどの対応をされてしまえば、ほとんどのものは迷い、この場では頷かなかったとしても、最終的にはその手を取るでしょう。
「申し訳ありませんが、お断りします」
ですが、アランは一瞬も迷うことなく答えました。
答えるまでに多少の間はありましたが、それは上位者への返答はすぐに答えてはいけないというマナーがあるからであって、最低限のマナーを守った瞬間アランははっきりと断りの言葉を口にしました。
それが嬉しくて、でもそれは本当のアランの意思ではないと理解しているから悲しくなりました。
そして同時に、周りからの視線が敵意を含んだものへと変わりました。
自分たちの皇帝からの直接かけられた誘いを無碍にしたのですから、それも当然でしょう。
「なぜだ? それが必要なことだと理解せず、無駄なプライドだけで『処刑人』と疎む愚者の中で潰えるつもりか?」
その言葉に、アランではなく私の背後に控えていたもう一人の護衛であるアーリーから悔いるような本の小さな呻き声が聞こえてきました。
その反応も理解できます。だって、皇帝の言っていることは事実なのですから。
そしてそれと同時に壁際に並んでいるフルーフとヴィナート、両の騎士たちからも負の感情がアランへと向けられていました。
そちらの反応も理解できますヴィナートとしてはアランによってもたらされた被害を考えれば当然。フルーフからは、今まで蔑んでいただけに劣等感を……それから嫉妬を感じているのでしょう。
ですが今はそんな騎士たちの反応よりも、アランがどんな反応をするのかに意識を傾けます。
「私はミザリス様の騎士ですので」
「では、主人が死ねばその考えも変わるか?」
皇帝がそう言って私を見た瞬間、背後に控えていたアーリーが動く音が聞こえました。おそらくはいつでも動けるような体勢になったのでしょう。
そしてそれは壁際にいた騎士たちも同じです。
加えて、騎士たちだけではなく夜会に参加していた者たちも誰一人として喋ることなくこちらのことを見ているのがわかります。
「申し訳ありませんが、私はミザリス様の騎士ですので」
そんな全員が注目し、警戒する中であっても、アランの言葉は変わりませんでした。セリフも声の抑揚も全く変わらないその様子は、まるで人形のようでさえあります。
「それと——」
けれど、今度は先ほどとは違ってその言葉はそれだけでは止まりません。
何かを言うつもりなのかと意識を傾けていると、突如アランから不気味な気配が漂い始めました。
「——死なせはしない」
アランから溢れ出した気配は会場中を覆い、そこらかしこで「ひっ」というような小さな悲鳴が聞こえてきました。
「——ふっ。冗談だ。我も場に酔ったのだろう、些か余計なことを言いすぎたらしいな。許せ」
ヴィナートの皇帝がアランを誘うために僅かに乗り出していた体を後ろに倒して椅子に体を預けると、アランはそれをきっかけに放っていた気配を消しました。
誰もが先のどの皇帝の言葉は本気だとわかっているでしょうが、冗談ということにしておいた方が色々と都合がいいのはこちらも同じです。どうせ追及し、文句を言ったところで意味などないのですから。
ですが、今のは? ……もしかしたら、時期を早める必要があるかもしれませんね。
「ミザリス王女。良き騎士を持ったな」
「……お褒めいただきありがとうございます」
なんとかそれだけ返すのが精一杯でした。
私がそう言うと、皇帝は視線を私たちからその背後へと移して会場を見渡しました。
「どうしたお前たち。今宵は宴だ。存分に楽しめ」
皇帝が会場にいた参加者たちにそう伝えると、参加者たちは慌てたように動き出し、先ほどのことなど何も聞いていなかったとでもいうかのように思い思いにアランのこととは無関係のことを話し始めます。
この辺りの対応はさすがは貴族といったところでしょう。
そうして会場に漂っていた静寂が消え去ると、皇帝の隣に立っていた皇太子が一歩前に出てきました。
「ミザリス様。本日は一段とお美しいですね」
「ありがとうございます。フラント様」
私は皇太子の言葉に笑顔で返しましたが、内心としては今すぐにでもこの場から離れたい気持ちでした。
本来ならばそのようなことを思ってはいけないのでしょう。フルーフとヴィナートの関係改善を思えば、使者であり王女である私は、この皇子と仲良くするのは良い手段と言えるのですから。
ですが、この者を好きにはなれません。昨日会食で会ったばかりですが、その時からずっと私に下卑た感情を向けて来ているのです。
女性は男性の視線に敏感で、たとえ隠していたとしても見られていることに気づくことができます。
けれど、この者はそんなことは関係なしに見ていることを隠そうともしていないため、下卑た視線が向けられているのがわかります。
これは、自身が圧倒的に上位者であると理解し、それが当然だと思い込んでいるからでしょう。
そしてそれは間違っていません。フルーフとヴィナートを比べてしまえば、その差は歴然なのですから。
「いかがでしょう。私と踊っていただけませんか?」
「ええ。是非」
そうして手を取りましたが、私に向けられる下卑た感情は消えることがありません。寧ろ強まっています。
思えば私が城に来た時に接待を任されていた者も同じでした。この国にはこのような者しかいないのでしょうか?
いえ、上がこうだからこそ、下も同じようになるのでしょうね。
正直に言って国交を結びたいとは思えませんが、我が国との国力差を考えれば仕方がありません。
私は私に与えられた役割をこなすだけです。
私の役割は主に二つ。
この国の情報を集める事と、味方を作ることです。
情報は、この国が戦争をするのだとして、いつ、どこで、どの程度の規模でおこなうのかを。
味方は、この国にもいるであろう穏健派──反戦争派を探し出して繋がりを作る。この二つをおこなわなければなりません。
だからどれほど嫌な相手であったとしても、この国の内情がわからない今は、大人しく相手をするしかないのです。もしかしたら、この王子は反戦争派かもしれないのですから。……その可能性は低いと思いますが。
そして、明日からは貴族たちとのお茶会や会食を行い探っていかなければならないことを考えると、ため息を吐き出したい気持ちになります。
ですが、その気持ちを抑えて笑顔でいなければなりません。
──私の準備ができていない今は、まだ戦争が起こっては困るのですから。
だから私は笑います。全てはあなたの為に。
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