第11話王女5
_____王女_____
「ミザリス殿下。こちらはいかがでしょうか?」
夜会のための衣装を身にまとい鏡の前に立つと、侍女の一人がそう言って一つの首飾りを差し出してきました。
「……そうですね。それにしましょう。ありがとうございます」
懐かしいですね。この首飾りは私にとって、──私たちにとって思い出の品です。これがあったからこそ、私は彼に出会えた。
もっとも、彼──アランにとっては、私などに出会わない方が良かったのでしょうけれど。
出会っていなければ、今のようになることもなかったはずですから……。
そう思うと気持ちが沈みそうになりますが、もう慣れました。ここで私が沈んだ表情を晒せば、それだけでちょっとした騒ぎになってしまいます。
ですから、内心で何を思っていようが、私はその全てをねじ伏せて笑っていなければならないのです。
侍女に飾りをつけてもらい、全体を確認してもらった後は部屋に戻ります。
そこには既にアランとアーリーが夜会の護衛として着飾った姿で待っていました。
「待たせましたね。本日はよろしくお願いします」
「「はっ」」
普段は騎士の制服を着ているだけに、こうして着飾った姿を見るというのは少しだけ違和感があります。
だからといって似合っていないというわけではないのですけど。
「ところで、どうでしょうか? おかしなところはありませんか?」
もちろんそんなものはないのは知っています。先ほど確認してもらったばかりなのですから。
「ございません。いつにも増してお綺麗です。殿下」
アーリーはそう言って褒めてくれます。……ですが、アランはなにも言ってくれません。
それもわかっていました。何度も何度もくどいようですが、私はそんなことはとっくにわかっているのです。
けれど、それでも聞きます。もしかしたらと、それがどれほど意味のないものなんだとしても、砂粒ほどだったとしても、希望は抱いていたいですから。
希望がなくなってしまえば、私はこんな状態に耐えられる気がしないから。
だから、私は何度でも声をかけます。もしかしたら『元のアラン』になってくれるかもしれないと極小の希望を抱きながら。
「アランはどう思いますか?」
「異常ありません」
求めていた言葉とは違って、出てきたのはただ私の状態を表しただけの言葉。褒めてなどくれません。
表情を動かさずにそういうアランの姿は、まるで人形のようでした。
「そうではありませんよ、アラン殿」
側仕えの一人が私に気を遣って小声でそうアランに注意しましたが、きっとアランには意味がないでしょう。
彼にはもう──
「お綺麗です。殿下」
──う、そ。
……うそ。……嘘です。アランが、……今、アランが顔をしかめました。
私は、彼が顔をしかめるという負の感情を表した事に反応したのではありません。そうではないのです。元々、彼は恥ずかしい事があると眉を寄せるのでそれはいいのです。
でも、そうではありません。アランは〝こう〟なってからはいつもなんでも淡々とこなしてきました。
彼の好物だったものを食べても笑うことはなくなりました。
彼の誕生日に贈り物をしても喜ぶことはなくなりました。
彼は虐げられても怒ることはなくなりました。
彼は自身の嫌いなはずの人殺しでさえ、悲しむ事はなくなりました。
彼は、なんの感情も見せてはくれなくなりました。
そんなアランが、ほんの少し。よく見ていなければ見逃してしまいそうなほどの小さな変化ですが、たしかに感情を見せていたのです。
──ああ。あなたは、まだそこにいてくれたのですね。
あの日以来、徐々に消えていったアラン。
だけど、まだ彼はそこにいた。
ああ。……ああ。本当に、言葉もありません。
あの日から、今日まででこれほど嬉しいことはありませんでした。
私のやっていることは、無駄ではないのかもしれないと思えたから。それだけで私はまだやっていけます。
喜びから流れそうになる涙。
ですが泣いてはいけません。これから夜会に行かなければならないのですから。泣けばお化粧のし直さなければなりません。それでは会場に行くのが遅れてしまいます。
国の代表としてここに来ているのですから、そのような隙を見せることはしてはならないのです。
そう自分に言い聞かせて、そこにいる彼に笑いかけます。……私はちゃんと笑えているでしょうか?
「では参りましょう」
夜会では次々と人が挨拶に来ます。
正直にいうと、ほとんど名前が覚えられていません。顔は覚えなければなりませんが、名前は覚えなくとも、上位者である私から名前を呼びかけることはほとんどないですし、相手もそれがわかっているからか毎回話の初めに簡単に名乗りますからなんとかなるのです。
ですが、そんな中でも時折向けられる悪意のある視線を感じることがあります。
私にとって、全てが変わったあの日から、私は他人の悪意を感じ取れるようになりました。
それは私がやった事。やっている事が原因なのでしょう。
アランがそばにいる時にしか感じ取れないのが証拠です。アランがそばにいる時だけ、私は悪意を感じ取ることが出来るのです。
悪意を感じるというのは王族である私にとっては、とても有用です。こういった場では特に。
ですが、私はこの力を欲しいとは思いません。
それはこの状態になってみれば誰だってわかることです。悪意がわかるとは、自身に向けられたものではなく、自身の周囲にある全ての悪意を強制的に理解させられるのです。
嘆き、嫉妬、憎悪。他にも全ての負の感情が私に向けられているものも私以外に向けられているものも、まとめて私の中に流れ込んでくるのです。
確かにこの力が役に立った事もありますが、できる事ならば手放したい。
ですが、それは出来ません。これは私がやっていることの副作用のようなものですから、どうにかするのなら、そちらを止めなければなりません。
けれど、それだけはなにがあろうと止める事はできないのです。
それに、これはきっと罰なのです。この、心を塗りつぶそうとする暗い闇は私が受けなくてはならない罰。
だから私はそれを消すことなく耐え、自分の目的のために利用します。それ以外に道はないのですから。
「ああ、ミザリス王女。ふむ、見事だな。元からであるのだろうが、今宵は一段と美しいな」
「ありがとうございます」
「そちらの者は王女の護衛だな」
と、そこで皇帝は唐突に話を切り替えて私の後ろで控えている護衛の二人……いえ、正確にはアランを見つめました。
本来ならばこのような場で護衛を見ることはありません。よほど護衛、及びその主人と親しくしていればそのようなこともありますが、私たちの間柄はお世辞にも親しいとは言えないものです。
何せ私たちは先日まで争っていた間柄ですし、なんでしたら今だって争っていると言えます。
それに、過去に二度ほど我々フルーフはヴィナートに攻め込まれていますが、そのうち一度はアランの活躍によってヴィナートは撤退に追い込まれています。
それまで順調に攻めていたヴィナートとしては、アランのことを憎く思っているでしょう。
故に、皇帝が私の護衛に意識を向けることは予想しつつも、わざわざ言葉にすることなど、予想すらしていませんでした。
けれど、皇帝がアランに向けるその視線はどうにも敵意のこもっているものではなく、どちらかというと楽しげなもののように感じます。
なぜ? まさか——いや、そんなことは……ない、はず……。
「はい。私の最も信頼している騎士の二人です」
……ですが、ないとは思っていても、それでもできる限りの対策はしなければなりません。
護衛に限らず、他者の所有物を褒めると言うのは、貴族間においてはいくつかの意味があります。
一つは純粋にその者の功績を褒めること。
二つ目は、嫉妬ややっかみからの皮肉。
それら二つはいくら言われようと構わないのです。皮肉を言われたところで実害などないに等しいのですから。所詮は雑多な話の中の一つでしかありません。
けれど、厄介なのは三つ目。上位者からの『それをよこせ』、と言う命令です。
とはいえ、普通ならそんなことはありません。食べ物や酒、装飾品の類であればまだしも、人——それもすでに誰かに仕えている騎士を今まで争っていた相手に寄越せと言うのはまずないことです。
何せ強引に騎士を奪ったところで、言うことを聞かずに反乱でもされてしまえば死んでしまうのですから。
故に、ないだろうとは思いながらも、唐突に護衛の話を持ち出し、なおかつアランに興味を持っている様子の皇帝の態度から、三つ目の意味を含んでいる可能性があると私は判断しました。
そして、皇帝が何かを言い出す前に『最も信頼した』、と牽制を入れておきました。
「ふむ、そうか。だが、そうであろうな。何せ、過去我が軍を止めたのはその者なのだから、この場に連れるのも当然であろう」
そう言った瞬間に会場の空気が凍りつきました。
当然でしょう。事実ではあるものの、帝国の軍が一人の騎士に止められ、撤退させられたことを皇帝自身が認めるとは誰も思うはずがありません。
どう答えていいのか僅かに迷っていると、私が何かを言う前に皇帝はさらに言葉を発しました。
「どうだ、アラン・アールズ男爵。我が国に来ないか?」
その言葉を聞いた瞬間に私は理解しました。今回の私たちフルーフからの話の受け入れは、上層部が考えるように国の安定もあったのでしょう。ですが本命は、アランを手に入れることだったのだ、と。
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