第15話
カフェテラスにこんな男と二人、並んで座るなんてまるで自分ではなく、夢の中の出来事のようだ。
「着心地はどうだい」
コーヒーを飲みながら利人はちらりとこちらを見る。
「着心地もなにも、ぶかぶかだよ」
かれの方はコートの襟がピンと立っている。着こなしとしてはずいぶん間違っている。
「栄養のないものばかり食べるからだよ」
好物のエスカルゴも今は食べる気がしない。
首の下で紫のネクタイが風になびいている。この男のネクタイだ。私たちは互いの服を交換してこうして並んで座っている。立場も、おそらくは音楽の趣味も、なにもかも正反対だというのに。
「気晴らしさ」とかれはいった。
かれは、いや、かれらは、私のような者に対しても畏怖していない。それどころか、気晴らしを勧めてくる。こちらが思いもしなかった、頭のおかしい、悪魔のような発想で取り入ろうとさえしてくる。危険な奴ら。火のついた爆薬のようだ。
「私を殴ったくせに、いやに馴れ馴れしいんだな」
「殴ったからだよ。男同士はやっぱり殴り合ってこそ友情を深めるんだ」
「一方的に私の方が殴られた気がするんだが」
「そうか、それはきっと気のせいだ」
人の性を癒そうとするこの男と、人の性を解放しようとした私。同じ業界にいながらにして、別の理念をたたえ生きてきたはずのこの男はいま、私の欲望さえも満たそうとしているのだろうか、なんにしても、底が知れないやつだ。ワイシャツとニット。その服からはこの男の匂いがする。煙草と香水とが混じった俗物的な匂い。しかし、その奥には、私が辿り着けなかった温かいなにか、太陽の破片のようなある種の賑わいが感じられた。私では識別できない色、遠い発色。佑一。利人という男はあいつにどこか似ていた。
「それ、きみにあげるよ」
紫のネクタイを軽く指差す。まるでサッカー選手のユニフォームを交換するようだ。私は、なぜこんな子供じみた儀式に乗ってしまったのだろう。
「こんなもの」
首から剥ぎ取り差し返そうとすると、目の前にかれの眼差しがあった。
そいつは笑っていた。こともあろうに、私に笑いかけていた!
思えば、私にこんな風に笑いかけてきたのはあの男が最後だったかもしれない。
おーい、カラバリ。
大学の中庭で手を振るその男こそ、私のかつての友だった。
机の上に千円札を叩きつけると、私はなにも言わず席を後にした。
子供が落とした飴に群がる蟻たちや、干からびたヤモリ、もしそんなものが地面に落ちていたら踏んでやりたかったが、きょうに限って見つからない。見つからないのだ、なにも。私は、手に握り絞めたネクタイを、やはりカフェのテーブルに金と一緒に置いてくるべきだったと後悔し、小さく舌打ちをした。
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