第12話

 私がオルガンを弾く音にかぶせるように、低空飛行を続けるドローンの羽音が聞こえる。さらにその上には大勢の人間の喘ぎ声が波のように押し寄せた。

 ここに集めたのはつがいだ。長年探していた相手や禁断の相手、強い愛がなければ、こんな冷えたコンクリートの上で抱き合うことなど拒むだろう。いましがた群れに合流したあの若い男女もそうだ。蟲のように小刻みに動いては必死に体液を交換している。

 私は壮大な光景を作り上げた王として、その宴を見下ろす。そしてそこに、求め続けた自らの欲望を探す。愛とはつまり欲望の一つの異名なのだ。実にくだらないが、そこにある歪み、自らの恥部を晒す姿を私は見たかった。

 私はコートのポケットから取り出したドーランに指を差し込む。

 儀式は、もう少しで完成する。これから来る、最後のつがいをもって。真佑。かれの両親を私は知っている。あの日から、私は欲望を統べる王になるための階段を登り始めた。


「よし、じゃあおまえはきょうからカラバリだ」

 その日のゼミ会という名目のただの飲み会も、深夜二時を回ろうとしていた。

 私たちは大学三年からのゼミで偶然同じになり、なんとなく酒を飲みながら討論をするなかになった。心理学のゼミなので、それぞれの読んだ本の話や持論など話のネタを星の数ほどあった。

「服のカラーバリエーションがないからカラバリ」

 たしかに見るたび違うカラフルな服を着ていた佑一とは正反対に、私は深い黒やグレーのジャケットばかりを好んで着ていた。実際二人は白と黒の碁のように、真逆の色を放ちながらもいつも同じ場所にいた。いつも必要以上に胸を張って歩いた佑一とは違い、怪我で悪くした足をかばいながら異様に猫背になって歩く私は、元々同じ身長とは思えないほど違って見えた。

 大学を卒業する数ヶ月ほど前にまた私たちは飲み会を開いた。三人で呑むのは久しぶりだった。

「ずっと言ってなかったんだけど、おれたち付き合うことになった」

 佑一は彼女の肩を抱きながらそう宣言した。

「カラバリ、おまえも早く女作れよ」

 私はしばらく考え込むように俯くと、一気にグラスに入っていた赤ワインを飲み干した。まるで美味くもない人の血を、生きる為に啜るように。

「なぁ、おまえたちに頼みがある」

 俯きながら、私は独り言のようにぽつりと言う。

「なんだよあらたまって」

「そうよ、気持ち悪いわね」

 二人は訝しげに訊いた。

「ずっと言っていなかったんだが、おれは不能だ」

 フノウ。その言葉の意味がかれらにはすぐに理解ができない。

「十八の時、交通事故で足をやった。一命は取り留めたが、ひどい事故だった。そのとき神経をいくつか断裂させてな、もうまったくあそこが反応しないんだ。性欲というものすら忘れかけるときがある。それが、たまらなく恐ろしい。自分が生きていない人間のように感じるんだ」

 二人は真剣に聞き入っていた。

「だから、おまえたちがセックスしているところを目の前で見せて欲しい」

 冗談ではないとすぐに伝わったようだった。痛く真剣な目だけがそこにはあった。

「このまま一生セックスというものがわからないまま死ぬのは恐ろしいんだ」

 切実な願いだった。かれらは私に同情したように見つめ合い、互いの瞳を見て意思の交換をした。

 佑一の狭いアパートの部屋に布団を敷き、かれらは始めた。「ここでいい」と自ら入っていった押し入れの隙間から私は細い目に力を込めた。

 いつもと同じようにと伝えたが、そんなわけにはいかないようだった。たった一人の男に見られている。それだけで、とてつもない緊張感が部屋を満たしていた。

 私は、元々そういう生き物だと思えるほど自然に首を前に突き出し、これでもかと目を見開いていた。向かいにある姿見にそんな自分の滑稽な姿が映しだされていた。それはいつか行った小さな日本食料理屋で見たスッポンに似ていた。水槽の下で小さく丸まっていたかと思うと、次の瞬間には急にその長い首を突き出すのだ。

 充血した目を見開くその顔は暗くした部屋の中で白く浮かび上がるようだった。不気味な男だと思った。もう、自分が自分ではないようだった。性をむき出しにしているわけではない。ただ真剣に、真剣すぎるほどにただ愛の営みを見ていた。私が、知りたいことが本当にここにあるのだろうか。佑一の呼吸が荒くなるのとともに腰の速度も上がっていく。どうしようもなく彼女も声を漏らす。

 私は物音ひとつ立てず、それを凝視していた。そうしながら思った、私は、いや、この鏡の中の男は、どうしたら幸せになれるのだろう。誰かと交わることができず、ただこうして覗き込むことしかできない。そんな不完全な人間は、どんな風に他人の温度を感じ取るのだろう。

 自らの呪いと出会った瞬間、私は絶望さえしなかった。私は奪われる前から、そこにあるはずの愛を知らなかった。ただ、自分の内に立ち消えた炎。他人の欲望が露わになる瞬間を私はもっと見たい。その感情だけが強く、私を支配していた。

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