第11話


 絵美がある男に飼われていると、そう気付いたのは仕事中のことだった。その日、指定されたホテルの部屋に入ると、真っ先に目に飛び込んだのは屈強な男の裸だった。

 こんな男と寝るだなんて話は聞かされていないと踵を返そうか迷っていると、男はすぐにおれに事情を説明した。

 今日の客はいまシャワーを浴びている女で、その男は別口で頼まれた同業者。きょうは二人で仕事をするということだった。真佑以外とそのようなコンビを組むのは気が進まなかったが、逃げるわけにもいかないのでおれはそれに従った。セックスの内容自体は別段変わったところはなかった。ただ、後半おれが疲れてソファーに腰かけたあとも、かれは何度も女と交わっていた。

 眠っている女の脇で男は息を切らしながら話しかけてきた。聞けば、男は別の倶楽部の人間らしかった。とすると、利人さんはこのことを知らないのかもしれない。

 ただ、人間的に仲間とも客たちとも信頼し合い、仕事をする真佑や利人さんとは違い、男の所属している場所はカルト宗教とも呼べる代物に聞こえた。

「自分はある一人の王に支配されている」

 屈託なく男はそう言い放った。

「王は我々の性を観察する。その代わりに、王は我々の性を解き放つ機会を作ってくれる」

 男の気味の悪い話におれは喰い付いた。最後に絵美と会ったとき、彼女はそのカフェテラスで風に髪を揺らしながらこう言って笑ったのだ。

「私は王に見染められたの」

「どういうこと」

「あきらめたままのあなたにはわからないわ」

「おれが、なにをあきらめたんだよ」

「全てじゃない。夢も愛も。でもね、そういうあなたと一緒にいれて楽だったよ。すごく楽だった」

 蝉の抜け殻、公園に落ちていた子供の靴、廃墟。

 彼女はそんなどこか死を孕んだものを好んでいた。他人はそんな彼女を知ったら不気味と思うかもしれない。それでも、おれはそれを個性として肯定したかった。愛してやりたかった。そういえば、彼女はあるとき、付き合う前に一度おれを見たことがあると言っていた。思えばおれがあの日、合コンのカラオケボックスで歌ったときに、彼女はおれの正体に気づいていたのかもしれない。

 バンドをするために上京し、一時的には人気を得ることもあった。けれどやがて磨耗するように夢を小さくし、ついにはギターを質屋に預けてしまった。きっと彼女はいつかライブハウスで歌うおれを見たことがあったのだろう。絵美がおれと付き合ったのは、夢を捨てた人間の、その退廃の匂いを嗅ぎたかっただけなのだ。

 おれはそんな彼女を、無理させることなく、ただ見守ってやりたかった。おれは自分の腿を強く殴った。手放してしまってから後悔することばかりが、おれの人生には雪のように積もっていく。性を解き放つ王とは何者なのか。絵美も、あの男と同じカルト宗教のようなその団体の一員なのかもしれないと思うと、胸が苦しかった。おれは、ここを開けたら頭が空っぽになると暗示をかけながら、次の客が待つ部屋の扉をノックした。


 今にしてみれば完全に迂闊だったと思う。客の注文に答えながらも回想ばかりしていたせいだろうか。ホテルを出てすぐに乗り込んだその車が、いつもと同じ送迎車だと思い込んだことに気付いたのは、車が高速に乗ったあとだった。

「おい、おれをどこに連れて行く気だ」

「どこって、次の仕事場ですよ」

 運転手の顔を恐る恐るみると、ドラキュラのように尖った歯が不気味に笑っていた。「おれが聞いた場所と違うじゃないか」

 襟の尖った漆黒のコートを着ている。

「藤岡さん」

 ぬっと運転席の男の首が飛び出す。舐めるようにおれを見つめる目はどこか喜んでいるようだった。

「一体なんなんだ」

「会わせたい女がいる」

 意味がわからなかった。ミラーを覗くと、不気味に男は笑っていた。

「だれだおまえ」

「私はカラバリ」

 カラバリ。ふざけているのだろうか。聞いたこともないおかしな名だ。

「いいから私についてこい。なに、悪いようにはしない」

 嘘だ。こんなに不気味に笑うやつをおれは見たことがなかった。おれは絵美のことを思い出して心を落ち着かせようと目を瞑った。

 こんなときに、自分がだれを愛しているか気付かされるなんて、この世は上手くいかないことばかりだ。観念したおれはシートベルトに手を伸ばした。

 再び厭な笑い声が車内に響いたあと、男から発せられた言葉はおれには意外な一言だった。

「むしろ感謝してほしいぐらいだ。きみの会いたい女にこれから会わせてあげるんだからね」

 おれはすぐに察しがついてしまう自分の頭の良さを呪った。きっとこいつが、男が仰いでいた「王」だ。

 着いた場所は廃墟だった。工場跡地のようなその中に、カラバリは先の尖った靴でずかずかと入っていく。おれはもはやついて行くしかない。

 驚くべきことに、中ではたくさんの肌色をした生き物が群れをなしていた。何十体いるのだろうか、おれはその中央におれの席があることに気がつく。自然、足が前に進んだ。

 いつの間に移動したのか、カラバリは群衆の奥にある巨大なオルガン、それを異様に長い腕を伸ばし弾き始めた。壮大な音色が響く中で、性交をする人々の甘酸っぱい匂いが室内に立ち込める。

 いつだったか、真佑と一緒に仕事をした日、ホテルの近くにあった公園のベンチで二人で寒空の下迎えの車を待っていた。そのとき、真佑から初めて妹の話を聞いた。そのとき思った。かれは自分と似ている。真佑の妹と同じ、絵美も生きながらに死の匂いを発していた。その色濃い翳りに、おれたちはずぶずぶとはまっていく。彼女たちを救いたいと、救えるのは自分しかいないと勘違いをしていたのではないか。

 いや、おれは間違ってはいなかった。

 目の前に横たわる絵美の裸体はいつもと同じように寂しそうで痩せていた。

 やはり、彼女を救えるのはこの世でおれだけなのだ。絵美を、愛して愛して、愛し尽くして一緒に死んでやれるのはおれだけ。

 鎖骨の窪みに鼻の頭をぴたりとつける。それからゆっくりとキスをする。

 おれだけ、おれだけ、おれだけなんだ。

 少し震える彼女の肩を抱きながらおれは念仏を唱えるように呟いた。

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