第8話
「真佑、私はあなたを知りたい」
私はホテルの天井を見つめながらそう伝えた。
からだを重ねるごとに、かれがわからなくなっていくみたいだった。その度、虚しくなっていく。私は所詮ただの客の一人に過ぎないのだと。
「それがあなたの欲望なら答えます。でも途中で降りられなくなりますよ」
意味ありげな口調でかれは答える。
「でんでん虫虫
かたつむり」
私が歌うと、真佑は珍しくはっとした顔を見せる。
「お前の頭はどこにある
角出せ、槍出せ、頭出せ」
真佑は神妙な面持ちで私を見つめていた。
「人の角ばっかり気にしてないで、たまにはあんたの角もだしたらどうなの」
私は人差し指を頭に突き立て、にょろりと動かしてみせる。
「あなたは人を愛したりするの」
ずっと気になっていたことだった。
「うん、するよ」
「どんな人」
「もうここにいない」
それは故人という意味だろうか。
真佑が愛したひとはどんな素敵なひとだったのだろう。私はきょう真佑がしてきたマフラーが私の知っているマフラーだったことに不思議な安堵感を覚えた。いつも薄着で寒そうにしているかれにこっそりあげたものだ。けれど、知らないのだ。ほんとうは、かれのことなどまだなにも知らない。
「同じ顔をした、たった一人の妹」
油断しているうちに、真佑は続けていた。
どうしてだろう。かれに家族がいたなんて考えもしなかった。美しいかれには、孤独が似合っていた。そんな悲しいこと、かれに直接言えるはずもないのに、いつもそんなことばかり考えてしまっていた。
「僕のこと知りたいですか」
「うん」
「わかりました」
そう言うと、真佑はぽつりぽつりと語り始めた。
僕は双子として生まれた。僕らの両親は、僕らがまだとても幼いときに亡くなった。他に親しい身寄りもいなかった僕らはそれからすぐに施設に預けられた。
そこでは他の子供と話すのが嫌いだった僕はすぐに苛められた。妹も同じ顔だという理由で苛められたが、僕と違ってすぐに目気なかった。内向的な僕とは違い、妹の一季(いつき)は逞しかった。どんなときも妹は笑っていた。男の子と殴り合いをしたり、上級生を泣かせてしまうこともあった。気が強いのではない。妹なりに僕を守ろうとしたのだ。
十四歳になっても僕らの容姿にはほとんど差がなかった。僕らは常に二人で行動していたし、二人以外、どんな他人をも寄せ付けなかった。夜、皆が寝静まった後、僕らは給湯室にこっそり忍び込み、備え付けのマットの上で身を寄せ合った。
「真佑」
「一季」
「きょうも私と同じ顔だね」
「うん、きっと明日も同じ顔だよ」
同じ顔のまま、僕たちは繋がった。何度も何度もその小部屋で一緒に夜を過ごした。
同じ顔の妹を抱く。それは愛されなかった僕にとって、究極の自己愛だった。その自覚は当初からあったのだが、どこかで妹はそうではないと信じたかった。素直に、彼女は自分の唯一の肉親である僕を愛しているのだと、そう思いたかった。
十八歳で施設を出た僕たちは街で二人で住むアパートを探した。けれど、施設の人間に誰一人心許さなった僕らには、保証人になってくれるような人間はいなかった。そんなとき、暗く陰鬱とした裏道で、突然声をかけられた。それは、小さいころ二人で読んだ絵本に出てきた死神の騎士のような男だった。襟付きの上等な上着を着ているが、妙に色落ちして元の色が想像できないほどくすんでいる。青白い肌はそれを上回る血の気のなさだ。髭はなく、それどころか眉毛もほとんどあるかないかわからないほどの細さで、鼻も口も尖っているのに対し、目は窪んだ場所にぽつりと置いて行かれたように縮こまってしまっている。男はカラバリと名乗った。良い予感など、かれのどこからも感じ取ることはできなかったが、それでも僕らは明日生きるために、選ぶことなどできなかった。
彼の紹介で住むことに決まったアパートは広々と二部屋用意されていて、なにより清潔だった。死神は僕らに仕事も用意してくれた。それは死神の仲間のような人間たちに、僕らのからだを売ることだった。給湯室での日々があった僕らにレッスンはいらなかった。きょうは一季。次の日は僕。その次の日は二人で。と僕たちはからだを捧げた。これは生きていくのに必要なことだと、死神に教えられていた僕らは、それを信じて疑わなかった。
けれど、二人まとめて接待する日は辛かった。自分のからだならまだしも、自分の目の前で、妹が抱かれるのを見るのは好きではなかった。僕らが性器だけが異なるよく似た双子だったからかもしれない。そんな日々が半年ほど続いたとき、急に死神は姿を消した。店が摘発されたのだ。
行き場を無くした僕らを拾ったのは、死神とは正反対のあまり夜の空気を感じさせない男だった。利人と、かれは名乗った。利人さんは僕らに優しかった。というよりもかれが持ってくる仕事はいいものばかりだった。かれの経営する倶楽部は、かれの信頼する客しかいなかったため、少なからず客たちは僕らに敬意を払っていたと思う。
「かれらは客ではない。愛すべき友人であり、大事な恋人だ」
決まって、かれはそういうのだった。客たちは、だれもが優しかったが、変わった性癖を持っていて、それを、ときに申し訳なさそうに僕らに披露した。僕は自分がいつの間にかただの娼夫からセックスヒーラーとして育てられたことに気づいた。けれど一季は違った。僕は死神の元にいたころから嫌な客相手にも顔色一つ変えないつもりだった。けれどいつの間にか心は磨耗し、少しずつなにかが死んでいく音がきこえていた。妹も当然同じだと思っていた。
一季は町に出てから、なぜかしら毎日輝いていた。それに、施設にいたころとは比べ物にならないほどよく笑った。そしてなにより美しかった。
僕はある夜、彼女と繋がる前にそのことについて尋ねた。恐る恐るだった。
「一季は、この仕事好き」
「好きよ。だってみんな私のこと求めてくれるでしょ」
当然、といったように一季は真顔で答える。
「こんな嬉しいことはないわ。私まるでお姫様のようにみんなに毎日愛されてるのよ」
そうか、僕らはずっと二人きりだった。二人きりで生きてきた。だからこそ一季は、自分が初めてだれかに望まれたことに喜びを感じているのだ。望んでいる相手がだれだろうと、それが純粋な愛情とは結びつかないような感情でも、そんなことなど関係ないのだ。
「みんな私のことが好きなんだって、そう言ってくれるの。私、この町に来てよかった。ねぇ、真佑もそう思うでしょ」
一季は目を見開きながら尋ねる。僕はおずおずと、操られるように頷くしかなかった。自分と一季のどちらが正常でどちらかそうでないのか、考えることすら意味のないことだと思えた。
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