第7話

 その日、ホテルには監視者が二人いた。真佑と、その真佑とは対照的な背の高い男だ。歳は四十がらみにも見えるが、ただの無骨な中年男というよりは、抜け感のある眼差しと、極限まで無駄を削ぎ落とされた石膏像のようなスタイルがミスマッチな印象を受ける。極め付けに、服装がこんな場所とはとても不釣り合いだった。白いワイシャツの上にベージュの丸首のニットを着てチノパンを履き、淡い紫のネクタイを締めている。浮世離れした雰囲気は真佑以上かもしれなかった。ある種の生まれ持った才能を感じさせる全て見透かしているような真佑の目とは違い、男の目は笑っていてもどこか達観したような熟練さを感じた。

「はじめまして、利人です」

 低くも少し鼻にかかるような優しい声でかれは自己紹介をした。

「どうも」 

 どう返していいかわからず、声が裏返る。

 知らぬ間に入った力で、右手の拳から汗が漏れる。これがテストなのだと、言われなくともわかった。部屋に入るとすでに下着姿の女がベッドに腰掛けていた。金髪ボブショートの彼女はピンク色の唇を丸く円を描くように尖らせていた。

「よろしくお願いします」

 おれは初めて訪れた美容院の客のようにかしこまった挨拶をすると、そっと彼女の頬に触れた。小さな顔のくせにずいぶんと柔らかい頬だ。唇を重ねるとクランベリーを思わせる甘い香りがした。香水をつける女は好まないほうだが、きょうは嫌だと思わなかった。

「私ね、だれかに見られてないと興奮しないの」

 女がいきなりしゃべるのでどきりとした。

「すみません、お客さんなんですね」

 小声で答える。相手がいきなり客だなんて聞いていなかった。一瞬監視者たちの方に目をやるが、相変わらず真佑は虚ろに、利人は興味があるのかないのかわからない視線を送っている。

 すぐに視線をベッドに戻すと、女は目に涙を浮かべていた。

「大丈夫、ですか」

「違うの、嬉しいの」

 女に誘われ手を伸ばすと、そこにはもう溢れそうな水桶があるだけだった。事情も知らず、おれは彼女のテリトリーに入るのだ。そう思うと、おれの方も熱くなってきた。しばらくからだを撫でるように触ってから、下着を脱がす。繋がる直前、彼女が小さく息継ぎするのがきこえた気がした。おれは溶け合う前に、彼女の頭をそっと撫でた。そうして見つめ合うだけで、互いの心音が伝わる気がした。相手のマイノリティを初めて受け入れた。そんな自尊心とともに、絵美の残像を記憶の奥底に打ち捨てた。

 終わった後、しばらくのあいだからだが重くベッドから起き上がれなかった。部屋を見渡すと、そこにはいつもと変わらぬ表情の真佑だけが残り、さっきまで隣にいた利人はいなくなっていた。

「真佑、さっきの男は何者だ」

「代表だよ。僕らの会社の」

 そう言われると余計気になる。おれは真佑を睨んでみたが、なぜかしらひどく切ない目をかれは返した。道端に捨てられた猫が、もう今夜はだれもその道を通りがからないことを知っていて、鳴くことをやめたような、そんな悲しみの瞳だ。

「これであなたも僕らの仲間入りだ」 

「こんなんでいいのか」

「上に別の部屋を取っています。そこで利人さんがお待ちです。入社の手続きをしますので、ついて来てください」

 急に業務的な説明をすると、真佑はおれをエレベーターまで誘導した

「藤岡さん、世界にはね、二種類の人間がいるんだ」

「なんだよそれ」

「人のセックスを見たことがある人間とそうでない人間」

 次は僕のセックスをお見せしましょう。

 童顔なかれの顔が笑う。

 エレベーターの扉が開く。おれは、どうしてか、かれの情事を見てみたいという衝動に駆られていた。そこになにかヒントでもあるかのように。

 

 その日ホテルに着いたおれはロビーで真佑の姿を見つけた。

「おまえも仕事か」

「きょうが約束の時です」

 かれはそれだけ言うと、一人ですたすたと歩いていく。遅れてその後ろを追いかけると、真佑はおれが知らされていた部屋と同じ扉をノックし先に入っていった。この仕事を初めて、今日で四度目、期待していたような変わった性癖の持ち主とはまだそんなには出会わなかった。けれど、どうやら今日は何かが違う。

 手汗をスーツの裾で拭いながらおれも部屋に入った。

 中は暗闇だった。奥の方に微かになにかがいる気配がした。奥に進むと、次第に目が慣れ始め、キングサイズのベッドが置かれているのがわかった。その端で真佑はするすると服を脱ぎ始めていた。

「もうシャワーは浴びてきました。失礼します」

 真佑はそれだけ言うと、ベッドに膝から侵入していった。

 また目が慣れてきた。キングサイズのベットいっぱいに横たわるのは肉塊ではなく、よく見ると巨大な女のようだった。おれも真佑に続いて静かに服を脱ぐ。

 真佑はくすぐるようにその上半身なるものを愛撫していた。なるほど。これでは一人で彼女の全身を愛撫するのは難しそうだ。だからこそ今日は二人でオーダーがあったというわけか。おれはソファの足のようなその肉塊の分かれ目を指でなぞった。ぶるぶると震えるような反応がある。まるで象の世話をしているようで楽しくなってくる。と、ここで初めて女の声がした。上の方では真佑がいろんなところにキスをしていた。キスをできる場所が普通よりもたくさんあるのでおれは迷ってしまう。真佑にはその女のことがすべてわかっているようだった。おれはかれの真似をしながらかれのことばかり見ていた。真佑の柔らかいからだは、最新の掃除機のようにするりと相手の様々な深部に入り込む。自分よりも倍以上もあるであろうその巨体を真佑はやすやすと抱いていた。しばらくの間、おれはかれのサポートに徹するしかなかった。真佑が約束といっていたのは、自分の愛撫を見せてくれるという意味だったのだとおれはようやく気付いた。

「交代しましょう」

 息を切らすこともなく、そっと女のからだから離れると、かれはおれにそう呼びかけた。おれは自分のものがこんな状況でも正常に機能するのか心配だった。けれど、それは杞憂だった。真佑に抱かれた後の女が放つ、蒸せ返るような匂いに、おれはかつてない昂りを覚えた。挿れてみると、なかで女の熱いものと、真佑の残した熱いものとが混ざり合っていて、おれはその暖かい海に溺れそうな錯覚を起こした。

 そこで、初めて女の顔をはっきり見た。熟れたての果実にも似た頬を恥ずかしそうに分厚い手で隠している。かわいい人だな、そう思った途端、おれは自分のからだがいつもよりずっと軽く、けれど激しく働いているのに気付く。

「声、出してもいいですよ」

 耳元でささやくと、彼女はゆっくりとその手をおれの手と重ねた。

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