第5話

「ねぇ、藤岡くんの番だよ」

 あっ、ごめんごめん。

 おれは、隣の女に催促されるようにマイクを握る。久しぶりに歌う一昔前のバラードは、歌詞などとっくに忘れた気でいたのに、まるであの頃と変わらない響きだった。

「えっ、ちょっとめちゃくちゃ上手いじゃん」

「そうかな、普通だよ」

 笑い返すでもなく、おれはそう一人ごちたように言う。

 反対隣の女がなぜかセーターの袖を引っ張ってくるのに、だんだんと苛立ち始める。

「藤岡ー、おまえさっきからかっこつけすぎだろ」

 先輩は呂律の回らないままおれを指差す。これだから合コンなんて来たくなかったのだ。ただ、普段の自分のキャラを守るにはある程度付き合いのいいとろだって見せなくてはならない。そう考えた昨日の自分にうんざりする。

 正面に座る眼鏡の女と一瞬目が合う。彼女だけは他のすぐ抱けそうなやつらとは違い、この場の雰囲気に飲まれているようでまだ一曲も歌を入れていなかった。

 ひどく顔色が悪い女だ。今さっきは偶然に一瞬目があったが、あまり目の焦点が合わないタイプなのだろう。長い黒髪をヘアゴムでまとめていて、この角度だと、ぎりぎりうなじのラインまでは見えない。そうだ、名前はなんといったか。たしか、絵美と呼ばれていた。こういってはなんだが、すごく幸の薄そうな名前だ。

 おれはアルコールを頼むピッチをあげ、久しぶりに自分から記憶をなくすまで飲む決意を固めた。


 気が付くと、もう自分の部屋で裸になっていた。時刻は朝の四時。望み通り記憶は全く残っていなかった。おれは記憶をなくすまで飲んでも、いつもきちんと家のベッドでは眠る。

 こほん、と聞きなれない咳払いがきこえたので、音の方を向くと、隣で毛布にくるまっているもう一つの裸が見えた。そっと、掛け布団をめくると、なにかで濡れた鎖骨に黒髪がかかっていた。初め幽霊が寝ているのかと思い、飛び退きそうになった。けれど、それはあのつまらなそうにしていた絵美という女だった。

 しばらく顔を覗いていると、「そんなに面白いですか、私の顔」 と彼女の口が突然喋りだしたで再び驚いた。

「いや、あの、ごめん、おれ」

 童貞みたいな反応をしてしまい、内心苦笑いする。

「一つ聞いてもいいかな」

「なんでしょうか」

 相変わらず彼女は冷めた声を掲げる。

「その……おれ、ちゃんと射精したのかなって」

 彼女はゆっくりと目を開けると、訝しげにおれを見た。おれは普通のセックスでエクスタシーに達したことがほとんどなかった。

「それで言うと、おそらくしてないと思うわ」

 絵美はまた妙な言い回しで返してきた。おれは、またしても苦笑いするしかなかった。

それがおれと喜島絵美との出会いだった。

 彼女はどこかつかみどころのない女だった。特別美人でもないくせに、鎖骨や脹ら脛など、おれのフェチズムを刺激する部分はすこぶる美しかった。俺たちはその夜から何度か会うようになり、自然と付き合う関係になった。

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