# 14

 手の届かないところにいると思っていた女性が、自分の腕の中にいた。


 ◆


 ガサガサと音を立て、恵人はコンビニ袋からサンドイッチを取り出した。


「はい、軽いのがいいって言うから、サンドイッチにしたよ」


「あ、ありがと。そこ置いといてー」


 佑希は、マスカラを塗りながら鏡越しに答える。


「ワイシャツは買えた?」


「うん。すぐ向かいがコンビニっていいね」


 恵人はコンビニ袋からワイシャツの入った袋を取り出し、ビリビリと袋を開けた。


 佑希はマスカラをしまうと、ヘアオイルを手に取り、髪になでつけた。


 恵人は佑希に背を向け、シワの寄ったチェックシャツを脱いでワイシャツに着替える。佑希は立ち上がり、手を洗いにキッチンへ向かう。


 佑希が恵人のそばを通り過ぎると、ほのかに甘い香りが恵人の鼻をくすぐった。自分はこの香りを知っている。


「さ、食べないと。遅刻しちゃう」


 恵人は口を開きかけたが、佑希の勢いに押され、そのままテーブルに着いた。


 恵人がコンビニのコロッケパンを頬張っていると、佑希はやや上目遣いで恵人の方を見た。


「あの……ごめんね?」


「えっ、何が?」


 パンを喉につかえそうになりながら、恵人は訊き返す。


「目が覚めたら、朝ごはん用意してるような彼女じゃなくて」


「いや、そんなテンプレ通りの展開期待してないから。それに、昨日寝たのだって、その、遅かったし……それに、そんな佑希さんだから、僕は……」


 恵人はパンをテーブルに置き、佑希をまっすぐに見つめた。


「はい、そんな時間ないよ!」


 佑希はぴしゃりと答えた。けれども口元はニヤニヤと、笑みを隠せなかった。


 ◆


 スーツ姿のサラリーマンたちが、駅からぞろぞろと吐き出されていく。その中で、2人は、肩を並べて歩いていた。


「やっぱり、僕、離れて歩こうか?」


「え、何で?」


「いや、ほら……佑希さんは周りの目があるじゃん。もし、あの女の人とかに見られたら……」


 古山のことか。佑希は、幸せなひとときに水を差された気持ちになった。


「構わない」


「そ、そう? でも上司の人に知れたりしたら、印象悪くならない?」


 今度は前島の顔が浮かぶ。男女平等を謳う彼は、社内恋愛にどんな反応を示すだろうか。いや、仕事の評価とプライベートは別だ。文句は言わせない、そんなことで。


「何だよ、そんなことで……」


 佑希が口を開こうとすると、唐突に真後ろから大声がした。佑希と恵人は顔を見合わせる。


 佑希が振り返ると、男性が電話で話していた。しかも知っている人だ。同じ会社の、営業本部の課長を務める根本ねもとだ。不満そうな声で、電話の相手を言い伏せようとしている。そんなの俺が出勤してからでいいだろう? 待たせときゃいいんだよ、どうせ向こうの勘違いなんだから。


 電話の相手は部下だろう。まったく。月曜の朝から電話が来て不機嫌になる気持ちは分かるが、せっかく報連相をしてくれた部下に、そんなことで電話してくるなとは。


 また水を差されてしまった。幸せなひとときはここまでか。


 月曜日が始まる。今日は平和だといいな。眠たい目をこすりながら、佑希は祈った。

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