# 10

 小窪へのバースデーケーキのサプライズもうまくいき、誕生会は無事終了した。その後、役職者を中心に一部の者たちは2次会へと繰り出した。


 佑希も前島に声を掛けられたが、遠慮しておくことにした。あの男たちの中に混ざる気は起きなかった。


 2次会に行かないメンバーは、数人ごとに固まって駅へと向かっている。佑希は1人で歩いている恵人に声を掛けた。


「おつかれさま。さっきは良いこと言ったじゃない」


「え、そうですか?」


「あ」佑希は気づいた。「ごめんなさい、ついタメ口で……」


 お酒が入っているからか、つい馴れ馴れしくしてしまった。今日出会ったばかりだというのに。


「いいですよ。というか、水野さん、大学出て9年ってことは、僕と同い年じゃないですか?」


「え」


 もしかして、さっきの小窪との何気ない会話を聞いて計算したのか。


「あ、浪人とかしてなければですけど……」


「うん。浪人はしてない。ってことは、武田さんも32歳?」


「はい。正確には早生まれなので、まだ31ですけど」


「へえー、なんか意外。最初見たとき、ぱっと見二十歳くらいかと思った」


 佑希はいたずらっぽく言った。その後ですぐに実年齢に気がついたことは伏せておくことにした。


「それは、多分眼鏡と髪形のせいでしょう……」


「うん。今みたいに年相応の格好すれば、それなりに格好いいんだから、若作りは止めときな」


 お酒の入った勢いついでに、褒め言葉を混ぜてみた。正直な気持ちだ。エレベーターを出て恵人を見たとき、本当に目を奪われてしまった。


「格好いいって……水野さんこそ眼鏡したらどうですか」


 恵人はそう言って、何もない眉間を人差し指で直そうとした。


 ◆


 駅に着く頃には、みんな散り散りになっていて、東西線に乗るのは佑希と恵人の2人だけのようだった。


 車内の人混みの中、2人は当たり障りのない会話を続けた。次第に電車は佑希の最寄り駅に近づく。


「あと一駅ですね」


「うん……」


 佑希はぼんやりと駅のホームを眺めた。大学生らしき男女が、別れを惜しむように寄り添っている。


 電車が発車する。彼らの姿は見えなくなり、窓には自分たちの姿が映る。


「あーあ。しばらく残業続きだったからさ、こんな時間に帰れるの、久しぶりだよー」


「それって……普段は相当大変なんですね。じゃあ今日は帰ったらゆっくり休んでください」


「んーでも……なんか飲み足りないっていうか……」


「じゃあ2次会行けばよかったじゃないですか」


「んー、そういうんじゃなくって……」


 そうこうしているうちに、電車は高田馬場駅のホームに差し掛かる。佑希よりドア側に立っている恵人が、身体をずらして佑希の通るスペースを確保しようとした。けれども佑希は恵人の背中を押した。


「ねえ、2人で飲み直さない?」


 ◆


「や、やっぱり」恵人は気まずそうに口元を引きつらせた。「もう少し、落ち着いたところの方がよかったですかね」


 2人が入ったのは、学生たちで賑わう大手チェーン店。恵人が久米川と数日前に訪れた居酒屋だった。


「ううん、私が、武田さんの普段行くようなお店に行きたかったんだもん」


 佑希は笑顔で返した。社交辞令ではなく、本心だ。武田のことを知りたくて、無茶を言って恵人に店を探させた。自分の住んでいる街なのに。


「それに、やっぱり今日みたいにお堅いところは疲れたし」


「水野さんでも、そう思うんですね」


「そりゃそうよ。大手町の女は、もっとお堅いと思った?」


 佑希はそう答えて、薄いカクテルをあおった。


 もちろん、仕事柄、様々な部署と関わるので、交流のため飲みに行くことは多い。けれども利害の関わる相手同士。その場は、時に探り合い、時に接待となる。


 それに比べて、今はなんて自然体でいられるのだろう。佑希は両手を前に突き出して、思い切り伸びをした。


「水野さんは、普段どういうところに行くんですか?」


「私はあんまり外では飲まないかなー。今日みたいなつき合いは別だけど。コンビニとかでビール買って、部屋で1人で飲んでる方が……って、淋しい一人暮らしの独身女って感じだね」


「いやいや、無理して外に出たり、人に会ったりしなくても、自分が好きなことをするのがいちばんですよ。毎日忙しくしていたらなおさら」


「そだね。ありがとう」


 照れ隠しでつけ加えた自虐に、こんなにまっすぐ答えてくれたことが、佑希には嬉しかった。


 焼き鳥が運ばれてきた。


「串は外す派?」と佑希は訊く。


「そのまま食べる派です」と恵人は答えた。


「同じく」


 そう言うと佑希は、串にかぶりついた。


「ところで」塩味の焼き鳥を食べながら、佑希は言った。「いつまで敬語なの。自分の方が半年若いっていう自慢?」


「すみません、いや」恵人は照れくさそうに言った。「ごめん」


「よし」


 そう言って、佑希はカクテルを飲み干した。さり気なく恵人はメニューを手渡す。佑希は店員を呼び、梅酒のロックを注文した。


「そういえば、いつから一人暮らしなの?」恵人は訊いた。


「もうかれこれ十何年」


「っていうと、大学生のときからか」


 恵人の発した“大学生”という単語に、少し堅さを感じた。学歴の違いを感じさせる話題は出さないようにしていたのに。


「まあ、そうだね」


「もしかして、ずっと高田馬場?」


「ええと……そうだね」


「ってことは、大学は早稲田?」


「まあ、ね」


 佑希は、氷が溶けた水を飲もうとして、グラスを目一杯傾けた。学生の頃は自慢だった母校の名前を、社会人となった今はなるべく口にしないよう努めていた。


 事務センターやコールセンターなどの現場には、派遣から出世してリーダーやSVになった人も少なくない。その中には大学を出ていない人もいる。日頃仕事を頼み頼まれる相手に、変に劣等感を抱かせたくない。飲み会で関わるときも、なるべくその話題にならないよう気を遣っていた。


「すごい、頭いいなあ」


 ほら。こういう反応になってしまう。佑希は笑って言った。


「私からすれば、HP作れたり、会話からさり気なく年齢計算できちゃったりする方が、頭いいと思うけどね」


「えー。HPはともかく、計算は普通ですよ。水野さん、文系ですか?」


「もう、バリバリの文系だよ」


 そこに梅酒が運ばれてきた。一口流し込むと、カクテルとは対照的に、強めのアルコールが、喉の奥を流れていく。


 既に誕生会で身体にアルコールが溜まっていたのを、今更のように思い出した。頭がふわふわする。顔があつい。たのしい。


 佑希は、もう一口、もう一口、と梅酒を流し込む。


 もう、細かいこと気にして喋ってもしょうがないかな。


「ね、前にSEやってたって言ってたじゃん」


「うん?」


「やっぱSEってブラックなの?」


「ブッ……」恵人は焼き鳥を頬張りながら声をつまらせた。「……ブラックと言えば、そうかもね」


「へえー、そうなんだあ」


「まあ、みんなそうって訳じゃないけど、うちのところは」


「えー、どんな感じだったのー?」


 佑希はテーブルに身を乗り出した。


「えっと……プロジェクト中は終電はあたりまえで……」


「うんうん」


「指示通りに作っても、直前の仕様変更でそれまでの仕事がパアになって……」


「うんうん」


「繁忙期には土日も休日出勤ばっかり……って水野さん!?」


 話を聞きながら、佑希は涙ぐんでいた。


 ◆


「そっか、水野さんのところも大変なんだね」


 恵人は、とっくりを佑希に差し出す。佑希は、お猪口を両手に持って、酒を受ける。


「そうなのよう。毎日大変なの」


 佑希はそう言って、お猪口に口をつける。


「事務統括部だっけ? 仕事の内容的にはどんなことしてるところなの?」


「事務の現場の管理っていうか、調整役っていうか。うち、コールセンターは子会社に業務委託してて、あと、中野に事務センターっていって契約書のチェックとかデータ入力とかいろいろやってるところがあるんだけどね」


「うん、知ってる」


「そう? それで、そういう現場がちゃんと仕事できるように運用を考えたり、数値管理したり、業務改善したり、そんなことをやってる部署なんだ」


「へえ、すごいんだね」


「まあ、実際は会議と書類作りと電話とメールで1日過ぎちゃうんだけどね。日中は余計な問い合わせばっかで、定時過ぎてからやっと自分の仕事ができるって感じで……って、これさっきも言ったか」


 佑希はそう言って、お猪口の日本酒を飲み干す。


「ごめんね。こんな情けないとこ見せて」


 相手の話を聞くつもりでいたら、気がついたら自分の愚痴ばかり話してしまった。こんなことでは、さぞ呆れられただろう。


「ううん。水野さんが気持ちを吐き出せて楽になったなら、それでよかった。僕でよければ、いつでも話を聞かせてください」


「うん……ありがとう」


 ◆


 1人で駅まで行けるという恵人を、佑希は、どうせ駅の反対側まで行くからと言って見送った。恵人が地下へと続く階段の奥に消えてしまうと、佑希は後ろ髪を引かれる思いで歩き出した。


 その瞬間、ふと、誰かに見られている感じがして振り返った。けれども、そこにいたのは、酔っぱらって足がおぼつかなくなっている男性だけ。


 気のせいか。佑希は男性に軽蔑の目を向け、歩き出した。


 それにしても、今日はなんて長い1日だったのだろう。正気を失って柵を飛び越えようとしたのが遠い昔のことのようだ。


 けれども、そんな気の迷いのおかげで彼と出会うことができた。


 同じ会社にいても、部門も違えば、立場も違った。


 普通に生活していれば、きっと出会うことはなかった。

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