病んだ。こうやって。
自然とつむっていた目を開けたときには、解け始めた雪原は消えていた。
彼女が羽を閉じ視界が開けた。一寸先は闇と言う言葉がしっくりくるような道が、目の前に広がっている。
先の見えない道の縁に、幾多の灯篭が並んでいた。まさに妖怪の道と言うような風景に、魂を剥き出しにされる感覚を覚える。灯籠の火が揺らめいている様子は、うねる三途の川にも見えた。
「ここからは歩きです。灯籠を抜ければすぐですよ」
言うだけ言って、彼女は暗く光る道を進んでいった。ついて行くため、道に一歩踏み出す。
魂をぬかれそうで、口を閉じ無言でこの道を抜ける。謎のもやを通ると、言ったとおりすぐに洋風和風どっちつかずの家にたどり着いた。
天狗の癖してハーフのような顔をしているからか、和洋折衷が好きらしい。
彼女はお入りくださいと私に言葉をかけた。日本の妖怪にあるまじき家に足を踏み入れる。
がらっと空気が変わる。心のざわめきも息苦しさも感じなくなった。こんなに息がしやすいのは初めてで、どこか落ち着かない。
意識がふわふわしながら辺りを見渡す。不思議な雰囲気をまとわせた家だ。雑多にものが置かれているが、計算された美しさと純粋無垢な美しさをあわせ持っている。
「この部屋にお泊まりなさい」
私に見えやすいように彼女は身を引いた。客間だろうか、今まで感じた不思議さも美しさもない平凡な部屋だった。他の部屋はきれいすぎて心が落ち着かない、客間はこれでいいのだろう。
先に入った私を追うように足を踏み入れた彼女は、縁側から見える澄んだ夜空を見て、私に語りかけた。
「明日は晴れにいたしましょう。ややこには心地よいはずです」
私に向かって微笑む彼女を横目に、立派な池のある庭を眺める。雲に隠れていた月が見える。私は晴れを心地よいと感じたことがあっただろうか。
「晴れは嫌いなの」
そう、晴れは嫌いだ。月の夜にも嫌悪感を覚える。彼女は私の何を見て判断したのだろうか。
「これは珍しい、陽の子が晴れを嫌うとは」
「陽気なやつって言ってるならその喧嘩買うわよ」
焼けていない、きれいな畳を踏みしめ拳を作る。怖がらせるつもりはなかったが、余裕で笑われるのは腹が立つ。
「野蛮なことは好きではありません。そういうことではなく、晴れの性質の子という意味です」
風が出てきた。ろうそくが明かりが消え、彼女の表情が見えない。
晴れの性質という単語は、人間の世界には存在しない。しかしなぜだろうか、その言葉は心にしっくりきた。晴れの苛立ちの原因はここから来ているのだろう。
彼女は部屋の真ん中に立っている私に背を向けた。月を見ているのだろうか。
「気の毒な子です。自分の性質を否定していては生きにくいでしょうに」
「それでも好きになれないわ、私には雨があればいい」
反射的に返した言葉が私のすべてだった。性質を知ったところでなんになる。雨が心地よいのは変わらない。その言葉に彼女は羽を膨らませた。まるで猫の威嚇だ。
「晴れと雨は対です。しかし片方によってはいけない」
対、その言葉は妙に頭に響いた。てっきりきびしい顔をしていると思っていた。私と真逆なのだろうか、彼女はわらっていた。
「太陽はイカロスを殺せますが雨でも殺せるんですよ」
~~~~~~~~
もう寝る時間ですよ、そう言われ布団を引き寝入ったはず。どうやら私は、枕が変われば眠れない人種だったようで、すぐに目を覚ましてしまった。
頭がぼうっとしている。起きていよう、ゴロゴロと時間を潰すよりいいだろう。私は水を飲もうと起き上がり廊下に出た。台所の場所を聞いていなかったが、暇だから探索してみてもいいかもしれない。
ふすまに手をかけようとしたとき、目の端で何かが動いた。振り返り確かめると、庭に誰かいるようだ。
ろうそくをつけていないから顔は見えないが、ハウだろう。声をかけてみようか、朝までの話し相手にはちょうどいいかもしれない。縁側へおり声を張るため息を吸おうとしたが、体は反し息をのむという行動を起こした。
そこから見た彼女の周りには、天気が浮かんでいた。
天体観測などで見る、惑星の模型が体の周りを回っているようだった。
近くにいなくとも空色の球体で出来た晴れは焦げるように暑い。
彼女はその空色に温度を感じていないかのようにそっと右手を突っ込み、何かのかけらを取り出す。考えずとも分かった、あれは晴れのかけらだ。
もう一つの月がない紺の夜空は、星の明かりだけで儚く輝いていた。
指を迷わせながら、星が一番多い場所を左手でつまみ選び取る。
その両手を目の前に浮かんでいる球体のカラの天気に混ぜ、青い指先でこねくり回した。指の青がごちゃ混ぜの空ににじんで浸食していく。
私はハッとして上を向くと青白い雨がまぶたに落ちてきた。空を作っていたのだ。
雨を受け入れている。言葉通りのカラスの濡れ羽色の髪を首筋に張り付かせ、青い煙にも見える霧雨を纏わせていた。
何かを抱きしめるように青い両手を空に溶かし広げている彼女は、確かに雨だった。
傘を差さずにいる哀愁や切なさなど一切ない、そうあることが当然という光景に胸のつまりを感じて、縁側にうずくまってしまう。こんなに苦しいのは初めてで、どうやらこの雨はあわないらしい。
「苦しいのですか、この苦しい雨を感じてもややこは雨がいいというのですか」
雨を背負い近ずいてくる姿を見て、なぜか声が出なかった。得体の知れない恐怖心だろうか、それを振り払うように私はうなずく。
「晴れを受け入れなさい。ややこは人を殺す砂漠の晴れではないのですよ、澄み渡り目の覚める冬の晴れです。それを嫌うものはいないでしょう」
泥の上に膝をつき腕を伸ばして、うずくまっていた私の頬を撫でる。体温が当たるか当たらないか程度のなで方は母の愛しか感じられなかった。
彼女の慈雨のような体温は、心に刺さり抜けないだろう。
「それでも嫌うというなら、雨乞いをしなさい。私が洗い流して差し上げましょう」
雨を頬に伝わせて笑うハウを見て嫌いと言える心を私は持っていなかった。
「もう寝なさい。体を休ませればもっといい答えにたどり着くはずです」
勢いを増した雨音に消されそうな言葉を最後に、私の意識は眠りについた。
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