病んだ。どうやって?
まばたきをした一瞬で、彼女は現れた。厳密に言うなら人の姿をしている何かだ。
現れたものは洋と和を混ぜたような服を着ている。しかし一番最初に目に入ったのは、見ているだけでこけそうになる一本下駄だ。
「あんた、天狗でしょ」
いつもならば一本下駄など修行僧か山の仙人が思い浮かぶはず。妖怪など思いもつかないのに、なぜか確信を持って彼女を天狗と断定した。
「よくご存じで。鼻は長くありませんが立派な天狗ですよ」
変な服の袖を口元に持って行き微笑みを隠した。何を笑っているのか分からなくて不愉快だ。私の眉間にしわが寄る前に彼女は言葉を続けた。
「それより、ややこはどうやってここへ?」
「なに、そのややこって」
声を低くしながら質問を無視する。私はメルだ。そう言いたいが、彼女は名前など聞く気はなさそうだ。
「赤ん坊、という意味です。私からしたら誰しもがそうです」
絶対に私をけなしている。彼女は天狗だ、長生きなのだろう。しかし赤ん坊扱いをされ喜ぶ奴はいない。
不服そうにする私を見もせずに、彼女は鋭い音を立て柏手をならした。
すると世界が動き出したと同時に雪の上に落ちていた羽が溶け出し、黒いシミを作りだした。
妙に不安に駆られる光景だ。体から力が抜ける感覚を覚える。
「雪はいずれ消える。シミなど残しはいたしません」
「そんなこと、気にしてないわ」
風で肩までの巻き毛が顔にかかり、隙間から口角を上げているのが見えた。よく笑う奴だ。
「シミを不安そうに見ていたのでね、勘違いだったようです」
カラスだからか、いやに目ざとい。人の弱みは丸見えのようだ。
「羽が一枚見当たらないのですが、ご存じですか」
こっちを見ずにしゃべっていたのはそういうことか。うろうろと溶け始めた雪の上で羽を探している。
「さっき一枚触ったんだけど、それのこと?」
それならばもうない。さっき悲鳴が聞こえたと同時に羽は消えたのだ。
「あぁ、触ってしまいましたか。面倒なことになりそうです」
困った顔を作った。溶け出した雪でこの辺りの湿度が高くなった。彼女は切れ切れの白い息を吐き出す。そして笑顔を浮かべ真剣な雰囲気を出すという、器用なことをした。
「私の力を込めた羽を触ったのなら、ややこは人間をやめる瀬戸際と言ったところでしょうか」
さっきの体の力が抜ける感覚が蘇ってきた。
「あんたのように、羽も生えてないんだから人間でしかないじゃない」
動揺をうまく押し込めたと思ったが、彼女は一歩ちかずいて私の目をのぞきこんだ。
「帰り道がもう分からないでしょう。人間の住処を忘れると言うことは、とても危うい」
全く感じなかった寒気が背筋を撫でる。帰り道すら思い出せないことに愕然としてしまう。押し黙った私に、彼女は慌てて言葉を足した。
「責めているわけではないのです、解決法もあります。だから泣かないで」
「どこが泣いてるように見えるのよ。どう見ても涙なんかかけらもないわよ」
最後まで聞かずに言葉にかみつく。彼女はいたずらっ子のように笑った。わかりにくいからかいをする。
「ややこには私の住処に来ていただきたい。明日までいたら帰り道も思い出しますよ」
こちらに来いとでも言うように彼女は腕を広げた。
結局、彼女の住処に行くことになった。選択肢はない。歩いて住処とやらに行くと思ったが、いきなり私の前に現れたときと同じように瞬間移動で行くらしい。
そんなことをして行く場所はどんなところなのだろう。気になり声をかけようとしたが、私は彼女の名前をまだ聞いていないことを思い出した。
彼女が私の名前に興味なくてもかまわないが、私は知っておかないと呼ぶときが面倒だ。
「あんた、名前なんて言うの。天狗って名前じゃないでしょ」
「まさか、それは人からつけられた名称です。使いやすいから私たちも使っているだけですよ。私はハウ、明日までですが仲良くしましょう」
少し膝を曲げて軽く頭を下げた。その動作は外国の振る舞いにも見えた。
「さあおいで、ややこ。天狗の神隠しをみせて差し上げましょう」
私の三倍はある羽を広げ、惹かれるように近づいた私を覆い隠した。
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