第16話 守るのは私の仕事


 あとで聞いた話だが。

 園長は光石夫妻に対して、二人が真に祖父母だという証明がないということで帰ってくれ、と説得した。

 仮に二人が親族だとしても、保護者の事前申請がない限り、会うことも引き取ることもお断りします、という断言にたじろいていたという。

 そのうえで警備課長は、このままだと警察を呼ぶようになる、と付け加えると、素直に帰ったという。


 十分に安全を確認してから、冴子は子供たちを連れて大学を出た。もちろん、すぐに笹井に連絡したのだが、園長と小沢からも連絡があったよ、と笹井は笑っていた。


 その笹井の動きは早かった。すぐに光石夫妻の行方を追えば、東京に旅行に行くと言って出て行ったことが分かった。

 その段階で源之助と和歌に連絡を取り、空いているマンションの一室、しかも冴子の隣の部屋を貸してほしい、冴子の知る、信頼できる人間をしばらくそこに住まわせると言い、実際その夜現れたのは笹井の息子、弁護士の要だった。


 見た目はひょろひょろしてはいるが、実は空手有段者でそれなりに筋肉もついている。もう一つ言えば、道場では師範代を務めるほどの体育会系でもある。

 源之助は最初は不信感ありありだったが、すぐに意気投合してしまった。


「兄ちゃん、人たらしなんだから」

「なんだその人たらしって?」

「男も女も懐柔しちゃうから人たらし」

 その表現に源之助も和歌もウヒャウヒャ笑い転げていた。



 そして翌日。

 保育園の前にパトカーが止まっていて、しかも、あの光石夫妻がいた。静香を連れ、和之と要とで家族を装って登園中の冴子たちは、登校してくる小学生や大学生に紛れてそっと陰に隠れる。

「敵さん、網張って待ってるじゃない。私は飛んで火に入るナンとやらか?」

 冴子がそう言うと、要がくすくす笑った。


「冴子、裏口とかから保育園に行けるか?」

「それは私がご案内しましょう」

 後ろから声をかけられて、冴子はひゃっと驚いた。

「あ、先生だ。おはようございます」

 和之が、杉下に挨拶した。杉下の隣には制服姿の尾崎がいる。


「おはようございます、先生。尾崎さん」

「…彼氏、ですか?」

 尾崎がポツリとそう尋ねる。

「いえいえ、要君は吉宗教授の教え子さんで弁護士ですよ。木場君の顧問弁護士団の一員です」

 杉下がそう紹介した。


「保険をかけておいて正解だな」

「要君から連絡があるとは思ってもみませんでした」

 杉下の申し出に、要があらかじめ手を回していたのだと気づく冴子。


「冴子、当分一人で行動するなよ?学校の中でもだ」

「はい」

「じゃぁ、杉下さん、冴子と子供たちをお願いします」

 要はもう、仕事用の顔をしていた。


 尾崎の案内で、杉下と冴子と和之と静香は別ルートで敷地内に入り、ひそかに保育園を目指す。

 要は、自分の仕事をするべく、キュ、とネクタイを整えた。



 研究室でしばらくやり過ごし、登園時間ギリギリに保育園に行くと、光石夫妻もパトカーも姿がなかった。聞けば、若い男と一緒に警察署に行ったという。

 園長は当面、注意しておきます、といってくれ、お迎えは冴子本人で、ということを念押しされた。



 3月の大学は入試の後片付けと教授たちの研究三昧で明け暮れる。年度末の忙しさもあるが、その日のうちに現れたのは森課長と一組の男女だった。

 冴子は丁度衝立の向こうで静香のオムツを替えており、小沢は今日も元気だとニコニコしながら原稿を進めていた。


「失礼します」

 ノックとともにはいってきた森に、小沢は顔をあげた。

「木場さんは?」

「奥でオムツを替えているよ。これからミルクタイムだ」

 窓際の応接セットのソファの横のテーブルにはミルクが用意されていた。


「森課長?」

 ひょいと顔を出して、来客だと知ると冴子は頭を下げた。

「警察の、生活安全課の横山さんと、児童相談所の清水さんだ」

「もしかして、今朝のことですか?」

「それとは関連があるが、別件だそうだ」


 研究室の炊事場で手を洗った冴子は、静香を抱き上げてソファに移動する。

 森は反対側に二人に座るように促したが、清水だと名乗った女性は冴子のとなりに来て、静香のご機嫌を取る。

「まぁ、かわいい」


 ふくふくに育った静香は本当にかわいい。既に親ばかな冴子はうふうふと笑いながらミルクを含ませた。

「しーちゃん、ごはんだよ」

 まだ生まれて2カ月足らずだが、静香は本当に手のかからない良い子である。


「毎日研究室にいらっしゃっているんですか?」

「ああ、今は週に2回、3時間くらいですよ。あとは在宅で資料の翻訳や原稿の清書を。仕事内容にもよりますが、できるだけ育児優先で」

 小沢は清水にそう言った。

「あ、これは木場君が答えなきゃいけないことだったかな?」


「いえいえ。大事なことですからね」

 清水は笑っていた。

「あなたに対して、児童虐待、特に育児に関して放棄あるいは怠慢という通報がありました。同時に、児童誘拐だという訴えも」

 清水はためらいなくそう言い切った。

「昨日の、光石夫妻の訴えですか?」

 楓は、わかっていたかのように清水の方を見ようともしないでそう言い切った。


 横山と清水の二人は顔を見合わせた。

 昨日、警察に連れてこられた夫婦は切々と自分たちが孫をいかに大事に思っているか、それに対して娘夫婦の義理の妹が悪行三昧のごとく、娘夫婦の遺産を乗っ取り、孫までも強引に自分たちから取り上げたのかということを訴えてきた。


 一方、この夫婦とは別に、弁護士だと名乗った若い男はきちんと法的に手続きされているとして相応の書類も提示して見せたのだ。

 年齢としては若いが、身分としては弁護士として申し分なく、父弁護士の代理で来たということを除けば、書類上も全く問題なく手続きされていてこの夫婦が入り込むすきはない。


 だからこそ、この夫婦は「虐待だ」「誘拐だ」と訴えてきたのだろう。


「昨日、自分たちが育てるべき孫を、娘夫婦の義理の妹が強引に誘拐して二人を育てている、という訴えがありました。それについては捜査一課と協力して捜査中です。私たちは、それとは別に数日前に通報があった育児に関しての放棄あるいは怠慢ということであなたにお話を聞きに来ました」

 横山がそう説明した。


「まず、何とおっしゃっても、この子たち二人は私が育てます。どうしてもだめならその時はいろいろな人と相談して助言を乞うかと思いますが、光石夫妻には絶対に渡しません」


 冴子のかたくなな態度は、逆に清水の関心を引いた。

「木場さん、どうして光石夫妻を拒否されるんですか?」


 清水の一言に、何を言うのか、と冴子が固まった。

「何を調べているのか知りませんけど、まず光石夫妻がやったことを調べてからにしてください。あの人たち、絶対保険金目当てなんだから」


 小沢が席を立ち、冴子の肩を叩いた。

「替わろう、静香ちゃんには良くない」

 一度授乳をやめ、静香は不満そうに泣こうとしたが、小沢に抱きかかえられたことが分かったのか、またミルクを探している。

 小沢は席に戻ってから哺乳瓶を受け取ると、ゆったりと構えて授乳を始めた。

「あの教授が授乳している」

「一応、孫も二人いるよ」

 小沢は杉下の言葉にそう反論しながら静香に視線を落とした。静香は身守られながら一心不乱にミルクを飲んでいる。


「木場さん、光石さんとはどういったいきさつがあったんですか?」

 横山に尋ねられ、冴子はさかのぼって話を始めた。


 まず、義理姉の光代は兄の高校時代の同級生だったこと。

 在学中の妊娠を知ったとき、光代は母親に相談したらすぐに中絶を迫られ、相手の男のところに行けと家を追い出されたこと。その日から光代は家に帰れず、光石夫妻は両家の話し合いにも、夫妻と光代の間での話し合いにも応じなかったこと。

 光代の中絶があって初めて話し合いに臨む、「子供はいらない」と夫婦が主張して譲らなかったこと。

 第三者である知人や弁護士の笹井を介しての話も受け付けず、卒業式を迎え、その日も木場家から登校したこと。

 その後の話し合いにも全く応じてもらえなかったこと。


「姉は、妊娠を相談した日から一度たりとも家に入ったことはありません。財布と定期と家の鍵が入った小さなカバンに、学生服のまんま。話し合いにも応じてもらえず、結婚したとの連絡にも、和之が生まれたという連絡にも返事はなくて。成人式の写真を送っても、そのまま突っ返すほどですからね。近況を知らせる手紙も読まずに送り返してくる始末で」

 これにはうーんと清水が唸っていた。


「ウチの両親が亡くなった時、保険金目当てなのか、やっと連絡してきましたよ。ウチの家族から精神的苦痛を受けた。娘を返せ、金払えって、兄の会社宛に」

 清水が目を見張った。


「姉は…とても穏やかな人なんですが、大激怒しちゃって」

「それで、おさまったの?」

「会社の顧問弁護士と笹井さんが対応してくれて、実際は光石夫妻が経済的に困っていたのでそんな行動に出たと。警察にも訴える、裁判所にも訴えると大騒ぎになったんですが、警察が被害届を受理できないといったのでそれっきりでした」


 ふう、と深呼吸した。

「姉と姉の家族の間のことは、ウチの両親も私も知っていますし、笹井弁護士も知っています。だから調べるならどうぞ調べてください。」

「あ、弁護士というと、昨日の笹井さん、だっけ?」

「じゃなくって、父親の方です。笹井圭介。昨日の弁護士は息子で、笹井要です。子供たちのことで家庭裁判所への手続きは二人でしたが、兄の結婚のことであれこれ動いてくれたのは父親の方の笹井圭介です」


「そうだったんですか。ずいぶん違いますね。私たちは申し立てを受けて調査中で、貴方がどこに住んでいるのかもわからないと言われているのよ。だから昨日は保育園で待つようなことになってしまったんだと説明を受けたわ」


「あの、今すぐこの場では証明できないんですけど、家に帰れば裁判所からの親権とかの決定書のコピーがあるので」

「それは後から見せてもらおう。わかった」

「じゃぁ、貴方のお仕事が終わったらおうちの方に立ち寄って良いかしら?」

「待ってください。それは、その」

 冴子は言いよどんだ。


「困ることでも?」

 横山は鋭くそう尋ねた。


「光石夫妻に私たちが住んでいる住所の事とか、知られたくないので。相手に教えるとか、ないですよね?」


「それは配慮します。貴方が言っていることが事実なら、保護するべきは貴方達の方でしょうし」

「わかりました」



 仕事が終わった後、二人を連れて冴子は帰宅した。必要なのは書類なのだが、二人をどういった環境で育てているのか知りたいという。

 隠すことはないので、冴子は二人をマンションに案内した。


 飼い犬のチワワの「ムサシ」は二人を見るなりウー、とうなる。

 留守中はケージの中に入っているので二人には危害はないが。

「犬を飼っているんですか?」


「兄夫婦が大事にしていた犬です。出産や引越しがあるので、もともと年始から預かることになっていたんです。それもあって兄夫婦は私の所に」

「今後も飼うつもりですか?」


「もちろんです。これ以上、和之の大事なものをなくしたくはないので。生き物なので、病気になったり、寿命があるのでどうしたってムサシの方が早く死んじゃうかもしれません。でも、私の都合で和之から取り上げるような真似だけはしたくはないんです。特に今は、わかれるとか、死んじゃうことに敏感になっていて」

 清水が頷いた。


 二人の養育に関する書類を出すと、清水と横山に見せた。

 横山は家庭裁判所からの正式な決定文書のコピーを写真におさめてゆく。

「これは、兄も知らないことですけど、姉が家を追い出されて我が家で暮らすようになって、両親は私に言いました。この先、姉は実家に帰れる保証はない、だから、姉に肩身の狭い思いをさせたくない、俺たちは今から光代の両親になりたい。お前も了承してくれと。両親から頭を下げられました」


 清水がそんな親がいるのかと驚いた。

「法律上は義理の姉かもしれません。でも、両親の中では本当の娘であり、私の中では本当の姉だと思っています。変な関係かもしれないですけど、姉はそれだけ我家では大事な人物だったんです。だから、婚姻届けの保証人のサインは、兄の欄には父の親友だった笹井弁護士が、姉の欄にはうちの父親がサインしたんです」


「和之君と静香ちゃんを引き取ると言ってきたのは、保険金狙いだと言ったわよね?それは、ご両親の保険金と言うこと?それとも、お兄さん夫婦の保険金と言うこと?何か心当たりがあるの?」

「これも、調べてくれれば分かることですが、両親の保険金は兄と私に支払われましたが、兄の分に関しては子供たち二人に相続されてこの先、二人の生活費と学費になる予定です。それとは別に、加害者からの慰謝料を当て込んでいると思います。まだ話し合い中なのでどうなるかわかりませんが。それとは別に、兄夫婦は自分たちで保険金をかけていました。受取人は兄の分は子供たちと姉に、姉の分は兄と私に。両親が亡くなった後、私たち三人は遺言書を書きました。私たちの誰かがかけても、子供たちが生きてゆけるようにと」


 その言葉に、横山が合点が行く。地震災害は本来は免責事項であるが、被害が甚大なために生命保険が支払われる方向になっている。遺言書の内容を知らなくても、単純に夫婦二人分の生命保険が子供たちに行くなら、と考えれば財産を狙う可能性はある。


「だから笹井さんは家庭裁判所に申し出て、正式な手続きをしたわけだ」

 横山は必要な情報をメモに取る。

「木場さん、意地悪な質問だけど、二人を手放すことは考えた?」


「考えましたよ」

 即答だった。

「大学やめて働いたとして、子供二人を育てられるか、まず考えました。働いて、いつなら二人を迎えに行けるのか。絶対に手放したくはないんだけど、感情論でできないじゃないですか」


 冴子は真っ直ぐ、横山と清水に目を向けた。

「大学生の私が育てられるか不安だらけです。これからもこの先も。両親や兄たちを知るご夫婦の中には、俺らが育てると言ってくれた人もいました。でも、私自身が手放すつもりがなくて。経済的事情がクリアなら、育てると決心したんです。あの子たちを守るのは、私しかいないって。笹井弁護士は最初は反対していました。どうしても私が育てられないというなら、信頼している人に託すしかないと。でも最終的には、二人のことを考えればわたしが育てるのが良いだろうと言う結論になって、条件をいろいろ付けられたんですが、バックアップすると言ってくれたんです。もしも、もしも私に何かあって二人を育てられなくなっても、光石夫妻には託さないと言うことは絶対条件で確認済みです」

 それほどの事なのかと清水が頷いた。


「ご協力ありがとうございます。これで調査が進みます」

「よろしくお願いします」

「私はこれで大丈夫、かな。また寄らせてもらって良いですか?」

「どうぞどうぞ。あ、いない時は下の弁当屋をのぞいてみてください」

 横山にそう言った。

「清水さん、調査は良いんですか?」

「保育園の方には上司がうかがっていると思います。和之君とも話していると思いますし、私は冴子さんとの面談が担当ですから。困ったことがあったら、何でも相談してください」

「はい、ありがとうございます」

 冴子は頭を下げた。

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