第14話 冴子の覚悟


 和之は、両親が亡くなったことを受け入れた、というよりは幼過ぎて何もわかっていない。冴子が地元に帰っている間に、冴子が帰ってこない、両親と会えないという事実に戸惑い、泣き、駄々をこねたと言った方が正しい。


 しかし、連日流れる地震のニュースが徐々に和之に現実を受け入れざるを得ないような状況であることを伝えてくる。異様なほど荒廃した土地を報道するテレビに、何も感じずにはいられないほど和之は鈍感ではなかったのだ。

 和歌も源之助も真理も、極力そのようなニュースは最低限しか見せないようにしてはいたが、幼心には深く刻み込まれた事実だったのかもしれない。


 静香の移動負担を考えて、医師と相談したうえで移動時間の少ない飛行機で帰って来たのだが、それに合わせて笹井とその妻が付き添ってくれた。

 東京にいるうちに、様々な手続きをしたいこと、冴子の生活基盤を作っておきたいことがその目的だと笹井は言った。


 冴子が留守の間、和之は冴子の部屋で寝泊まりしていて、必ず和歌か真理か源之助が付き添っているという。

 最も、源之助は若い女性の部屋に泊まることを抵抗があるとして寝泊りは二人に任せ、自分は店の休憩室で寝泊まりしていると教えてくれた。




「すみませんが、お帰り下さい」

 戻って来た冴子の耳に、和歌の固い声が飛び込んできた。

「仰ることは良くわかりましたが」

「さーちゃん!」

 真理の手を振りほどいて、静香を抱く冴子に向かって真っすぐ走って来たのは和之だった。


「和之」

 泣きながら走ってきて、けれど、冴子の腕の中の存在に気が付いた和之は足を止めた。だが、冴子はためらいなく和之と視線の高さを合わせると、静香と一緒に和之を抱きしめる。和之は安心したのか、ぐすぐすと泣き始めた。


「和之、お留守番ありがとう。お父さんとお母さん、迎えに行ってきたよ」

 笹井の手に握られた、二つの骨壺に和之は目をやった。間違いなき現実に、和之は無言で涙を流した。


 和歌と対峙しているのは、杉下と教務課の森課長だった。両親の死後、何度か会ったことがある男で、奨学金のいろいろを検討すると約束してくれた男だった。


 大学から奨学金の件で話があって何度か呼び出しをしたが、掲示板に名前を張り出しても、放送をかけても、自宅に電話しても応答がなく、小沢研究室に出入りしていたことを思い出して杉下に確認すれば、ずっと登校していない事実から二人でここに来たのだという。


 そうしたら。

 源之助の祖母だという和歌が、部屋にいた。若い女性と、幼い子供もいるが冴子との関係がわからないし、冴子が今どこにいるのかも教えてくれなかった。

 

「あ、貴方はあの時の…」

 笹井のことを覚えていたらしく、二人は頭を下げた。

「さーちゃん、あのね、さーちゃん学校に行かなかったでしょう?ちゃんと試験受けなかったでしょう?だから先生が怒っちゃったんだけど、でもさーちゃんはお父さんとお母さんを迎えに行ったんだよね?さーちゃんは悪くないよね」

 事情を話した杉下の話を、和之は理解していた。


「和之、お父さんとお母さんをお迎えに行くことも大事だけど、学校に行くことも大事だよ。でも連絡しなかったから、先生に心配かけた。それは私が悪い」

「うん」

 心配そうに和之は泣いたままだ。


「家に入ろう。ここじゃぁ皆が寒い」

「うん」

 ようやく、和之が笑った。


「杉下先生」

「うん、いろいろ、聞きたいことはあるし、知らせたいことがあるんだが」

「じゃぁ、家の方に。和之、先生に挨拶はした?」

 フルフルと、和之は首を振った。


「杉下先生、私の大学の先生。先生、この子は木場和之、こっちは静香、二人とも私の子供です」

 和之は、杉下に向かってペコリと頭を下げた。


「私の父の親友で弁護士の笹井さん、奥様の倫世さんも弁護士さんです。森課長とは面識ありましたよね?」

 二人はぺこりと頭を下げた。


「ここの大家の角田和歌さん、そこの弁当屋のオーナーの婚約者で真理さん。和歌さんの孫が弁当屋のオーナーで、私のアルバイト先の店長でもあります。今回、和之を預かってくれました。感謝しています」

 その場にいた全員にわかるように紹介した。そしてそのまま、二階の部屋に上がった。



「うわぁ、ベビーベッド」

「狭くなるからどうかと思ったんだけどね、ワンコもいるからベットの方が良いだろうって、真理ちゃんが。うちの地所の人が貸してくれたんだけど、当分使わないから1年2年は良いよって」

 和歌はそう言って勝手知ったる、とキッチンでお茶を沸かし始める。


「じゃぁ、私は源之助と交代してきますね」

 と言ったところで、源之助が顔を出した。

「ほれ、湯呑。足りないだろうが」

 ベビーベッドで寝かされた静香は起きているが、ご機嫌で和之の顔を見ている。和之がそっとそっと静香の顔を見ていた。


「抱っこして良い?」

「うーん、今は首がへにゃへにゃだから、誰か大人と一緒に抱っこするなら良いよ。手をきれいに洗っておいで」

 和之は目をぱっと輝かせるとまっすぐ洗面所に行く。自分で台の上に乗って、石鹸で手を洗い始めた。

 冴子は笹井と倫世から兄夫婦の骨壺を受け取ると、両親の祭壇の隣に置いた。


「冴子、俺は本心が聞きたい。もう一度聞く。お前はどうしたい?学校を卒業したいのか、それとも、働くか。今ならまだ引き返せる」

 笹井はそう尋ねた。

「引き返せるってどういうこと?私が二人を手放すということ?」

「それも含めてだ。二人を手放して、大学に行くこともできるし、二人を手放して就職することもできる。地元に帰ることもできる。二人をここで育てるにしても一人では無理だ。大学に通いながら二人を育てるなら大学の協力も必要だし、アルバイト先の角田さんとの調整も必要だ」


「二人は私が育てる。大学は卒業はしたいよ。ここまでやってきたわけだし。でも現実問題、静香がまだ赤ちゃんだし、和之を保育園に預かって貰ったとして大学に行けるかどうかは未知数だと思う。生活は、学費や保育園の費用のこともあるけれど、ざっと計算して、父さんと母さんの保険金を切り崩せば何とかなると思う。もちろん、奨学金やらいろいろな手立てが必要だと思うけど」


「ちょっと待ってください。基本的な確認をしたいんですが、木場さん、二人のお子さんは、その、お話からすると、お兄さんの御子さんですよね?杉下先生からは、確か一人と聞いていましたが」

「それが、予定日よりも早かったんですが、震災の日に生まれたんです。その直後に産院が被災して」

 笹井が森に説明した。リビングに戻って来た和之は和歌と一緒に静香を抱っこしている。


「それで、お二人を引き取る予定?引き取った?と解釈してよろしいですか?」

「はい。まだ事務的な手続きは途中ですが、早急に手配する予定です」

 冴子は当たり前のようにそう言った。

「笹井弁護士は、反対ですか?」

「ざっとしか計算していませんが、経済的にはぎりぎりの生活になると思います。二人を養育することに関しては冴子と話し合って、厳しい条件を付けました。私もバックアップするので、二人を育てながら大学に通うことにしたいと」

 笹井は森にそう説明した。ざっとした条件や経済的な目論見は既に文書に書き起こしている。


「うーん、ご両親が亡くなったからということで学費免除の条件を取っていたんだがなぁ。申請方法を変えなきゃならんな。確認が必要だから簡単には言えないが、両親が亡くなった場合、教授会の審査を経てその後の学費免除の申請ができる。そうすると、設備費とか諸経費だけで年間30万円ほどの納入金で大学に通えることになるんだ。ここまでは笹井弁護士に説明してあります」

「はい、秋の段階でそういうお話になっています」

「ところが、事情が変わりました。和之君の保育園はどうしますか?静香ちゃん、ですか、この子の保育園のこともありますよね?」

「資格を失うということですか?」

「違う資格に変更が必要になると思います。ちょっと待ってください」


 森は手元のバッグから、ハンドブックを取り出した。

「御両親が亡くなったとき、親兄弟や親族を養わなければならなくなった時、そして本人に勉学の意志があって成績に問題がなければ、ですねぇ…あったあった、これだ」

 ページを提示した。

「本人が成績優秀で勉学を続ける意思がある場合、親族が学齢未満の年齢の時に限り、ですが。付属幼稚園と付属保育園への優先入園の権利、及びその費用を一部免除とする奨学金というのがありまして。残念ながら全額免除とはならないんですが、大学の費用に関しては年間36万円、付属幼稚園と付属保育園の費用は一年間で12万円とする、という制度です」

「つまり、子供二人で24万円、本人の分が36万円、合計60万円ということですか?」

「いえいえ、一家族当たりで換算されるので、本人の分36万円プラス家族の分12万円ということになります。申請と審査が必要ですが、通ると思いますよ」

「嘘みたいな条件」

 真理がそう言った。


「うちは教育学部があるだろう?だから付属保育園と幼稚園と付属小中高校が併設されている。職員や社会人学生がいるからね、優遇措置には手厚いんだ。君の扱いを社会人学生として登録さえすれば、お兄ちゃんは幼稚園かな?下のお子さんは生まれたばかりだから、空きがあるかどうかわからないから即答できないけど、保育園に入園させることはできる。制度上、問題はないはずだ」


「何それ?オイシイ制度」

 真理がそう言った。

「ただし、条件があるんだ。この制度を受けるのなら、奨学金を受け取った年数、大学で働かなきゃいけない。つまり、卒業までの2年間を利用したなら2年間は大学職員として働かなきゃいけない。給料や待遇に差はないが、事実上の青田買いだ。年間の枠が一人あるかないかだから、それは総務と相談しなきゃならんし、審査会がOKを出すかどうかもわからない。単位を落としても良いが、4年間で卒業することは必須事項だ。当然だけどね」

「杉下先生、冴子が、卒業できる可能性は?単位習得に問題があるとか?」


 笹井が真顔でそう尋ねた。

「現段階で問題はないと思います。今回、期末試験を受けなかった教科が2科目、事情が事情でしょうから、学部長は追試を認めると思います。それに彼女は優秀ですから、このままストレートで卒業できると思います。取得単位もきちんととっているので、このままいけば、恐らく、の話ですが」


「御両親が亡くなったことで、支払われる保険金の一部を学費と生活費の足しにすれば、大学は卒業できると思います」

「でも、この後、二人にかかる生活費や養育費を考えれば今は少しでも少ない方が」

「いや、大学卒の肩書があった方が、良いと思う」

「そうだな、角田さんの言うとおりだ」

 こうして、冴子は子供二人を育てながら学校に通うことになったのである。


 現実問題、笹井は直之と妙子の生命保険や慰謝料、土地の売買収益の事など、金銭的な相談を引き受けてくれ、空き家になる実家は戻るつもりがないなら、いずれ誰かに貸すか、手放すかを考えなければいけないとアドバイスしてくれた。

 また一方で、これからの生活のことに関して、全面的に相談と手続きをしてくれたのだ。金銭的に、冴子が受け取った生命保険分で学費や生活費を賄い、子供二人が受け取るべき遺産から、二人の子供の養育手当と学費が支払われるようにあれこれ手続きをした。

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