第11話 未婚の母
両親を失って問題になったのは、冴子の学校だった。
当初冴子は、残り2年の学費の関係もあって、学校は中退するつもりでいた。だが、大反対をしたのは笹井や耕造や、3年次のゼミ所属を許可した、冴子の大学の小沢教授やその門下生の杉下講師だった。
小沢は、国際経済の専門家で気難しく、ゼミ生を取らないことでも有名だが、秋のゼミ選抜で受験した冴子をいたく気に入って合格とした。指導できる範囲として5人しか受け入れないのだが、今年は成績や人物が良かったとして希望者殺到の中、受け入れたのは4人だった。だからこそ、もったいないと。
笹井は早速、大学に出向き、冴子の保護者代理として耕造の意向を伝え、大学側の窓口として相談した教務課の森課長にいろいろ相談した。
幸いにも、直之夫婦の生命保険の受取人は耕造と冴子の二人で、生命保険が降りれば、学費に十分あてられる。その保証はある、との保険会社からの回答も添えての交渉だった。
大学側は早急に検討して返事をするということになり、そのためにも、小沢も杉下も3月末まではきちんと大学に通うように、と言い渡した。
一方で、耕造と冴子は笹井に店舗があるマンションを手放す手続きをしてほしいと伝えた。売買益を望んで手に入れたマンションだが、こうなっては事故物件でもあるし、修理もできない。そう言った事情から恐らく買い手はないだろうから、しばらく寝かせることになるだろう、と考えてのことだった。
実家である自宅は、耕造が将来地元に戻る可能性があるなら残しておいた方が良いだろうとの判断で、中を少しづつ整理する方向で兄妹で話し合っている。冴子が大学卒業後、あの家に住むことになるかもしれないからだ。
不快だったのは、光代の両親が今になってコンタクトを取ってきたことだった。
今まで何度も機会があるごとに声をかけていたが、その都度ピシャリと断られてきた経緯もあって、耕造も笹井もあまり良い顔をしない。光代は、そんな両親に呆れてもう良い、と愛想をつかしている。
両親にしてみれば、好き勝手した娘より、養子に来るという母方の甥っ子の方が可愛いと近所中に言うくらいだ。光代としては執着はなかった。
なのに。
娘が、出て行って連絡をくれない。そして連絡先を知っている木場夫妻が亡くなり、途方に暮れている、と。
耕造の地元の会社に堂々と問い合わせたのだ。
問い合わせを受けた総務の課長は、耕造から光代と光代の両親とのあれこれを聞いたことがある経緯から、まず「何かあれば笹井弁護士に」という依頼通りに笹井に連絡を入れた。
連絡を受けた笹井は、光代の両親、立石夫妻と連絡を取り、その言い分を聞いた。
今までは木場夫妻に遠慮して、生まれた孫にも会いに行けなかった。これからは祖父母として会いに行きたい、と。
一方で、笹井の調査では立石夫妻が経済的に困っている様子がうかがえる、との調査結果があった。
そして、親しい知人に、保険金が入るといったような話をしているという。この「保険金」とは、調べてゆくうちに「木場夫妻の保険金」の話に行きつくという。
笹井はため息とともに、会社側には立石夫妻の相手をしないように、また連絡があった場合は笹井弁護士事務所に連絡してもらえるように伝言を頼んだ。
もちろん、その話は直之と光代にも聞かされて、相手をしないようにくぎを刺され、笹井の口から、冴子にも注意が飛んだのである。
お墓はいらないという両親の遺言通り年が明け、春になったら海に散骨する。仏壇は東京に行ったら小さいのを買おう、というような話をして耕造一家と冴子は四十九日の日に別れた。お骨は、少しだけ住職の共同供養所に納め、笹井達や常連客がいつでもお参りできるようにし、残りは冴子が春まで預かると大事に抱えて東京に持っていった。
次に会うのは1月、正月休みに引越し準備で物件を見たいというので、耕造一家が冴子の家に泊まりに来ることになった。もちろんワンコも一緒だ。会社はそれを考慮してくれて、年末年始の出勤を増やして、代わりに4日から15日までの間を正月休みとして設定してくれた。
滞在中、耕造は和歌とも源之助とも仲良くなり、光代は源之助の婚約者真理とも意気投合した。引っ越し先の物件のめどもつき、帰る段になって和之が帰らない、と駄々をこねるまでがお約束。
一人で泊まれるという和之を残し、耕造と光代は帰って行った。和之は冴子が授業がない日、17日に連れて行く、と約束して。
そして。
1995年1月17日の真夜中。
冴子の自宅の電話が鳴った。耕造からで、光代が産気づいた、これから病院に向かうから、今日、和之を連れて帰って来るのは延期してくれ、と。
前日の子供は充分に育っているので心配ないということだったので、このまま分娩に踏み切ることになるだろう、と兄は言った。
「向こうのお母さんには?」
「笹井さんと相談してみるよ。でも今は知らせる予定はないよ」
「了解。とにかく、お姉さんについててよ、和之は責任もって預かるよ」
「おう、行ってくる」
「かずちゃんをお願いね」
和之と順番に電話を交代して、耕造とも光代とも言葉を交わした。
まさか、これが最後の会話になるとは想像もできなかった。
午前5時46分、耕造と光代と生まれたばかりの子供に、容赦なく地震が襲い掛かった。
阪神淡路大震災である。
兄夫婦二人は、産院で生まれたばかりの娘を抱いて守るようにして亡くなった。傍にいた助産師は光代に突き飛ばされてけがをしたが、突き飛ばされなかったら一緒に巻き込まれていただろう、と二人に感謝している、と産院で発行された死亡診断書に添えてあった手紙にはそう書かれてあった。
西宮の会社のメンバーは、二人の遺体と生まれたばかりの娘を、出身地の地元に帰すことにしてくれた。新生児を退院させることは非常に困難だと言われたが、看護師が付き添うこと、すぐに入院することを条件に退院許可が出て、笹井を身元引受人にして三人を送り出してくれた。
笹井をはじめ、地元の水産加工会社のメンバーと、弁当屋の常連客が葬儀の準備を整えてくれた。冴子は、日本中が大混乱の時に子供の移動は無理があると和歌に諭され、和之を和歌と真理に預けて地元に戻ったのである。それも、ひどく大変な思いをしての帰郷だった。
「兄さん、姉さんごめんね」
本当だったら冴子が立ち会うべきだっただろうが、日本中が大混乱してるさなかの葬儀とあって、冴子は出棺の間際に到着した。疲労困憊だったが、間に合った、とほっとしたのである。
参列してくれたのは、地元にいる耕造の同級生たちと、会社関係の数人が参列してくれて、質素だが温かい二人の葬儀を行った。
火葬場で姿を変えた二人を抱きしめると笹井夫妻と耕造の会社の、地元の支社長と一緒に、まだ片付け切れていない実家に戻って来た。
「奥さんの、光代ちゃんのご両親は?」
「それが…信じられないと言って、受け入れられない、と」
笹井の妻が首を振った。話にならないのよ、とそう言った。
「子供たち二人は?どうするの?冴子ちゃん、大学生でしょうに」
あと数日で退院しても大丈夫、と言われた耕造の娘は、笹井と冴子の手で出生届を受理され、耕造と光代の希望通り「静香」と名付けられた。今はまだ、病院にいるが。
「私が育てます」
「いや、冴子ちゃん、それは無理がある」
笹井の言葉に、皆が頷いた。
「学校辞めて働きますよ。両親が亡くなって、その準備を少しづつしていたんです。兄貴には反対されてて、言い出せなかったんですけど。大学から奨学金貰って学費をタダにしてもらって、アルバイトしてって、卒業できなくはないですけど、和之や静香がいるなら、私は二人と一緒に生活するために働きたい」
笹井が驚いたように冴子を見た。
「こっちに帰って来るつもりなのか?」
「見つけた仕事は、向こうだから。和之と静香は保育園に預けることになるだろうけど、とりあえず、向こうの職場と相談して、無理ならまた考えます。私は、和之と静香を手放すつもりはないです」
「向こうの職場って?」
「ずっとアルバイトしていた弁当屋のオーナーから社員として働かないかと誘われているんです。他にも、不動産屋の社長から事務を手伝ってくれないかと。不動産屋の方は夜学でも通信でも大学を卒業して、いくつか資格を取ってほしいと条件は厳しいですけど。あと、今ついている教授が助手を探しているので、空いた時間に手伝ってほしいと。こっちは2月からという条件ですけどね。大学辞めれば、三人で暮らせそうなんです」
「いや、それは、無理がある」
「もし、もしもどうしようもなくなったら分かれて暮らすことも考えるけれど、見通しとしてはできているので」
「わかった、だったらもう一度練り直そう」
笹井はそう言ってもう一度プランを練り直すことを約束した。
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