第10話 冴子、涙


 冴子は無事に大学2年生に進級した。

 地元では、やっとJRが開通した。民営化して1年後、という微妙な時期だった。

 開通式では、電車を見て「ありがたやー」と拝むジジババの姿が散見されたという。本当か?


 一方で、冴子は相変わらず弁当屋のバイトは続けている。


 角田源之助は、祖母である和歌が酷評するほど、フラフラした男ではなかった。

 調理師専門学校で学び、卒業後は尊敬する料理人を追いかけて四国のホテルで板前として就職していた。ずっとそこで働くつもりだったらしいが、父親の死去で東京に戻ったという。


 和歌と和歌の夫は、代々受け継いだ土地と借家で不動産業をしている。この辺り一帯の広大な土地を所有していて、土地開発で手放した土地は相当なお金になったとは言っている。

 今は生活に困らない分だけ、管理できる分だけにしていると笑っていたが、源之助によると、意外と持っているというから残している部分は大きいと思う、とのこと。


 源之助も和歌もあまり口にはしないが、源之助の両親は料理人で、和歌の夫が亡くなった後にこの弁当屋を始めたという。だから、幼い頃の源之助はこのマンションと祖母の家とを行ったり来たりして育ったという。

 源之助の母はそんな夫を支える、働き者の料理人だったという。和歌によると、源之助が幼い頃、病死したという。


 息子夫婦を亡くした和歌の楽しみは、源之助の結婚と、ひ孫の誕生である。源之助には真理という可愛らしい婚約者がいて、今現在半同棲状態だ。

 弁当屋の前の保育園の隣、和歌が住むマンションの、二階の少し広い部屋に源之助と一緒に住んでいる。自宅で仕事をしていて忙しいらしく、月に一度くらいしか弁当屋に顔を見せないが、ホワンとした雰囲気の可愛らしい人だ。


「お前が望むなら他の不動産売って家を建てるんじゃがのう」

 最近の和歌の口癖である。

「うるさいなぁ、家はいらない。今のマンションで充分だ。そして俺たちは入籍だけ。クリスマスに」

 知っている。源之助は自分を育ててくれた和歌さんのそばに住んでいたいのだ。


「真理の親父さんがウンって言ってくれないんだから仕方ない。せめて花嫁衣装は何年かかっても親父さんの承諾を得てから着たいっていう、真理の願いだよ。あ、冴子のお兄さんも結婚の時に反対されたんだっけ?」


「高校卒業と同時に結婚する、4月1日に結婚するって言って大騒ぎだった。エイプリルフールだから良くないって言ったのにフライングして、父さんに大目玉食らってさ。結婚自体は賛成だったんだけど、お姉さんのご両親が大反対で。未だに反対しているし、孫の顔を見せに行っても門前払い。親御さんとしては、姉さんは優秀だったから大学も行かせたかったのに、思わぬ妊娠で人生設計全部崩れた、娘の人生台無しにした、って感情が先に立っているんだと思う」


「そうだよなぁ、カワイイ娘だもんな。俺もお腹の子供が娘だったらそう思うし」

「だから頭を下げるしかないの」


 翌日の仕込みが終わった、夜の弁当屋で三人で夕食を食べながらそう言った。

「あ、ちょっと相談事があるんですが」

「何だい?」


「あの、来春から兄貴が横浜の支社に転勤になりそうなんです。それで…」

「え?今西宮の食品会社にいるとか言ってなかった?」

「いや、俺は地元の水産加工会社って、あれ?」


「そもそもは地元の水産加工会社に勤めていたんですけど、仕事を教えてくれた工場長について一年もたたずに西宮に転勤していったんです。でも、今度はそこで横浜の人にスカウトされたとかで、来春から横浜の水産加工会社の支社に来ると言って」

「うわぁ、凄いじゃないか」

「本当に」


「それで、本当にわがままなことなんですが、兄貴が飼っているワンコがいるんですが、その犬を私が預かれないか、っていう話になっているんです」

「犬?でっかいの?」

「チワワです。小さい犬で。本当は実家が預かるのが良いだろうとは思うんですけど、ウチの母親、犬はダメな人なんで。1月の正月休み位にワンコを預かって、兄貴たちがこっちに引っ越すまでは私が面倒みるというのが一番ベストなことなのかなぁって」


「小さい犬だよね?だったら大丈夫だけど、どうして1月?」

 物件自体はペット可、ただし小さいものに限る、だから問題はないと和歌は言った。

「兄貴の所に、二人目が生まれるんです。1月に。その前に物件の下見がてら、こっちに連れてこられないかと」

「そうなのか。おめでとう」


「出産と引っ越しでバタバタしちゃうだろうから、ワンコもその間かわいそうって話で。でも甥っ子は手放したくないみたいで駄々こねてますけど」

「そうか、年明けにはワンコも来てにぎやかになるな」

「その前に冬が来るよ。わたしゃ、冬は嫌いだねぇ」

 そんなことを言った10月の夜だった。



 そしてその数時間後。

 兄からの電話で、冴子は両親が亡くなったことを知った。



 冴子の両親は、弁当屋を夜に閉める。それから翌日の仕込みをして9時過ぎに店を出て、自宅に帰る。

 店舗がある3階建てのマンションは二階の一部と三階が賃貸となっていて、今は6世帯の入居があった。その店舗部分に車が突っ込んで炎上した。

 店舗部分と奥の事務所の一部、二階の倉庫部分の一部を焼いて火は消し止められたが、冴子の両親は遺体で見つかった。


 夜の10時過ぎ、耕造の自宅に第一報の連絡が入った。今の西宮の職場の上司や、地元の耕造の同級生からの連絡もあった。

 信じたくない知らせに動いてくれたのは、西宮支社の総務課長と同僚で、それからすぐに車を出してくれ、交代で真夜中の高速を飛ばしてくれた。絶対に耕造に運転させるんじゃない、と九州出張中の支店長からの厳命だった。


 三人が乗った車が出たと同時に、翌朝出発する予定の光代のもとに、父の親友であり同級生の笹井から連絡があった。

 彼は耕造が最も信頼している父親の友人である。

 光代は、黙って喪服の準備をした。もう間違いない。


 真夜中、ようやくたどり着いた店舗の前で笹井が目を真っ赤にして何も言えず、口をパクパクさせながら何か言葉をかけようと逡巡する姿に、耕造は何も言えずに抱き着いた。

 それで二人の死を受け入れた。


 冴子への最初の知らせは耕造から。1時間と経たないうちに笹井からと、笹井の息子の要からも連絡をもらった。光代から再度連絡をもらったときにはもう、喪服の準備ができてしまっていた。

 翌朝、始発の新幹線で地元に帰った。夏に帰省した時に初めてJRを使って帰宅したのだが、これが二度目の帰宅、町は何も変わっていない。


 だというのに、冴子を取り巻く状況は変わってしまっていた。


 耕造一家と冴子を支えてくれたのは、耕造の会社の人達や店の常連客、笹井をはじめ、両親の友人たちだった。葬儀の手配も、住むところがなくたった住人たちの次の行き先もめどが立ち、「弁当屋木場」のネットワークは今更ながら強かったと二人は感謝して頭を下げるしかなかった。


 そして、笹井の同席のもと、警察から加害者についての情報がもたらされた。

 加害者は大学生、同じ県内の、県議会議員の三男坊で白川正明であること、飲酒運転の上、スピードを出し過ぎ、車を制御しきれなくて突っ込んだという。本人は事故の衝撃で足と肋骨を折って、肺に傷が入ったとかで入院している、絶対安静だが命の危険は脱したとのこと。助かったのは偶然にも車外に投げ出されたからだだろうと警察は言った。そんな情報だった。



 笹井は親友、直之との別れに涙した。小学校から高校まで直之と同じ学校で過ごし、大学卒業後、司法試験に合格するまでの2年間を精神的に支えてくれた男に涙した。


 司法試験浪人中、くじけそうになると、何故か黙って下宿にやってきて料理を作り、くじけそうになる心を飲み下した。直之自身もが弱音を吐きたいことはあっただろうに、そんなことは一言も言わなかった。直之はそんな男だ。だから、晴れて弁護士として就職した日、「何かあったら俺が助けてやる」と直之に誓った。逆に直之も圭介に何かあったら助けてやると言って酒を酌み交わした。

 それが、今まさに約束を果たそうとは、と悔しさばかりが先に立つ。


 だから自然と笹井は二人の代理人として名乗りを上げた。白川側が弁護士を通じて会いたいと言ってきたのは2週間ほどたったころだった。弔問したいと何度もコンタクトしてきたのは知っているが、耕造も冴子も首を縦に振らなかった。


 別日に会う、として今日の日を設定したが、二人はやはり会えない、と言って笹井に手紙を託してきた。だから、耕造と冴子からの手紙を携えて、自分の弁護士事務所で白川夫妻と弁護士を迎え入れた。


 当初。

 耕造も冴子も、入院している白川正明に代わって会いたいと言ってきた夫妻と会うつもりでいた。しかし、直前になって会わないと決断し、会いたいと言ってきた夫妻宛てに手紙を託したのは、「会えない」という夫妻への返事だと笹井は思っている。


 笹井は二人の了承を取って中を呼んだが、もう呆れるくらい二人は直之の子供で、兄妹だと納得できる内容だった。恐らく、この先この兄弟は変わることなく真っ直ぐ歩いてゆくのだろうと思う。


 まず、二人は冒頭で会わない、という選択をした自分の心の内を明かしていた。

 白川正明という人物が憎いこと。両親と同じ目に合えばいいと思っている、そう言う感情を持っている、と。できるなら自分が手を下してしまいたいという感情に駆られるときある。だが、それは感情に飲まれてはいけない話で、また、白川正明にも愛する家族がいて、彼が傷つけば、また彼を愛している人をも傷つけてしまう。


 二人の心の中はその葛藤に明け暮れており、彼に近しい人たちに会えば八つ当たりするかもしれない。八つ当たりしたことで今度は自己嫌悪に陥ってしまうことは目に見えている。それは疲弊するだけだと。そう言ったことが明らかにわかるほど、感情が乱れている、と。


 ただ、一方で事故についてはもう起きたことでどうしようもないことなので手続き関係は普通に進めたいとも明かしていた。



 笹井は、顔を上げた三人を見据えた。

「二人は示し合わせてこの手紙を書いたわけではないです。別々の日に会えないと決断して手紙を託してくれました」

 確かに、手紙の日付は別々だ。


「二人の悲しみや、怒りや、戸惑いや、いろいろな感情はあるものの、あの二人は加害者である正明さんと、その親である貴方達を明確に区別している。彼は憎いけれど、だからと言って貴方達をひとくくりにして傷つけたくはないということです」


「そうですね、驚きました」

 相手側の弁護士も驚いていた。

「だからと言って、感情がなくなっているわけでもありません。それは良かったと思っています。それから二人は私に、正明さん本人に、二人の命を一生をかけて償ってほしい。そのためにも、今は早く体を治してきちんと裁判を受けてほしい、そう言っています。急いで結論を出すつもりはないけれど、できるだけスムースに話を進めたいということも託されています。ですので、皆さんと話を詰めて、出来るだけ具体的な話を進めたいと思いますが、どうでしょう?」


 相手側の弁護士は納得したように頷く。

「仰る通りに致します。私どもはもう何か言える立場にはないですので」

 夫妻は深々と頭を下げた。

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