第7話 学生生活は弁当屋から

 冴子は無事にT女子高校を卒業した。大学進学は県内で、という親の要望はあったが上位大学と下位大学という二極化した県内大学偏差値事情で、きわめて平凡な中堅の実力という冴子の学力はミスマッチだった。


 そう言うわけで、浪人は許さない、短大と専門学校も許さない(つまりは4年制大進学)あとは就職のみ、という選択肢を突きつけられた冴子は、逆に模擬試験の結果を親に突き付けて大阪と東京の大学を受験するという県外脱出をくわだて合格した。


 どういう訳か、合格したのは偏差値的に高い方の東京の大学だった。


 父親は東京の大学進学を反対した。合格したのはその大学だけで選択の余地はなく、つまり、全部落ちると思っていたわけだ、という兄耕造のツッコミに当たり前だ、と返してくるあたり、冴子をイラッとさせる父親である。


 まぁ、そんなこんなでいろいろあったが、しっかりした大家のいるアパートなり、下宿なりでの一人暮らしを条件とすることで話は収まった。


 もっと言えば、耕造が高校を卒業と同時に結婚して、孫ができたのも大きい。耕造は高校在学中に同級生だった立石光代と恋に落ち、卒業時にはもう子供がお腹の中にいたという事実は両親を激怒させた。耕造自身には大学進学の意思はなく、早くに就職を決めて高校3年の冬休みから、ほぼほぼ研修と称したアルバイトで稼いでいたので経済的には問題にするつもりはなかったが、早すぎるのは確かだと直之は言い切った。


 二人の間では、卒業と同時に入籍して、少しでも早く独立したいというのが本音だったのだ。就職することも独立することも、二人がいずれ結婚することも許していたとはいえ、3月の卒業を前に妊娠が発覚し、4月1日付けで入籍したいと言われた直之は耕造をたたき出した。


 許しを請う相手を間違っている。一番に光代に順番が違ったことを謝罪して、光代の両親に同意を取る方が先だろうが、と言って文字通り家から耕造をたたき出した。


 直之と妙子の前に取り残された光代はおろおろしたが、両親が反対してどうにもならなくなったらうちへおいで、と直之は諭した。店舗の上階は賃貸マンションになっている。一部屋空いているから、耕造が経済的に独立できるまでそこに住めば良い、とまで言った。順番ではなく、筋を通さなかった耕造が悪いと直之は言い切った。


 結果、光代は勘当された。

 わずかな衣類と制服を持って泣きながら木場家にやって来た光代は、結局ためらって玄関先でうろうろしていたのだが、直之はさっさと入らんか、と笑顔で叱った。そして、家に入った光代を前に、直之は真剣に悩んだ。


「どうする?娘が増えたのは嬉しいが、この場合耕造の部屋に泊まらせるべきなのか?それとも冴子の部屋に泊まらせるべきなのか?」

 と、妙子に真剣に相談した。


「それ、馬に蹴られるってやつじゃないの?」

 妙子と冴子が真剣に言い返して、光代が思わず笑っていた。


 卒業式の朝は木場家から出て行き、木場家に戻って来た。直之の友人で弁護士の笹井を耕造の証人欄に、直之自身が光代の証人欄にサインをして婚姻届けを提出したのだ。

 そう言うわけで生まれた甥っ子の和之かずゆきは木場家のアイドルである。正直、娘の冴子よりもカワイイ、と直之はジジバカ全開である。


「ボケ老人になる心配はないから行ってこい」

 兄はそんなことを言って送り出してくれた。



 大学から紹介された複数の不動産屋の中から、地元での営業歴の長い不動産屋で、学生への紹介に慣れているらしい、テキパキした息子と客の要望に沿って部屋を紹介するオヤジさんがいる不動産屋だった。


 掘り出し物級の紹介物件は、大家さんが口うるさいのが難点という物件だった。

「私は普通だと思いますが、最近の若い人たちには合わないんでしょうねぇ。でもね、大学まで徒歩8分の物件で、築年数がそんなに経ってもいないマンションですよ。地元のバーさんが持っている物件だから、掃除だ、草抜きだのって顔を出すんですが、ほら、学生さんが挨拶ができないだの、ごみの出し方が悪いだの、当たり前というか、普通の事なんだけど、それをその場で注意するんですよ。受け入れられる人は大丈夫だけど、嫌な人は嫌なんだろうな。普通のバーさんだけどね」

 とは、不動産屋さん評である。


「あ、あとな、一階に弁当屋があるんだが、バーさんの息子がやってたんだが、1月にぽっくり死んじまって、孫が跡を継いだんだが、いや、正直に美味いよ。そんじょそこらの弁当屋よりもうまいよ。でも、孫ちゃんが作る弁当は、やっぱり味が落ちるんだとよ。そのあたりが難点かなぁ」

 なるほど、そうなのか。


 ただ、一緒についてきた妙子は、不動産屋が差し出したいくつかの物件の中から2件の物件をチョイスし、中を見てから決めると言った。


 そして決まったのは、大学から徒歩8分、3LDKの学生に貸し出すにはもったいないというほどの物件である。例のバーさんの物件である。

 そして、何故か安くなった。答えは簡単。見学に行った先にくだんのバーさんがいたのである。中を見た後、妙子と冴子とバーさんが話をして何故か意気投合した。結果、そこから一万円引きで貸してくれることになり、不動産屋に戻ると即決で妙子はサインした。


 一万円引きの条件が、一度孫の営業する弁当屋の弁当を食べてアドバイスする、だった。いい加減すぎる。




 4月になってすぐ、入学式は5日だというのに冴子は引越した。家具も家電も現地調達ということで、数日分の非常食と日用雑貨と衣類と布団だけは自宅から宅配便で届けた。受け取りは何故かバーさんがやってくれて、部屋にはちゃんと荷物が入っていた。


「冴子ちゃん、バーさんと夕飯を食べておくれ」

「はーい」

 迎えに来たバーさん、角田和歌つのだ わかさんと階段を下りて一階に行く。弁当屋の裏口、というか、弁当屋の小さな事務所に入ると、孫だという男がいた。


「誰だ?」

「木場冴子ちゃん。お友達になったの。あんたの弁当を食べてくれるって」


「あー、いつだったか、言ってた親子か」

「そう、妙子さんがとてもお話上手でね。孫の角田源之助つのだげんのすけだ。今までフラッフラしててさ、息子が亡くなったら弁当屋継いでくれたんだけど、あんまり美味しくないんだよねぇ、修業が足らん」

「バーさん!」


 ふぉっふぉっと笑いながら席に着くように言われ、出されたのはオーソドックスな幕の内弁当と、豚汁だった。

「引っ越し作業で何も食べてなかったんです。ありがとうございます」

 そう言って冴子は箸をつけた。


 豚汁は、ごくごく普通の味だ。だけど、何か足りない。

 幕の内弁当のあれこれも美味しいとは思うが、一味足りない。


「率直な意見を言ってほしい」

「あの、豚汁の野菜は基本はカット野菜を使っていますよね?」

「そうだけど?」


「一度茹でこぼしてから使っていますか?一度茹でこぼして、レトルトの癖というか、そういうのを落としてから使うとだしの味がしみ込んで使いやすくなります。それから、顆粒のだしの素を使うのは良いんですが、ベースは普通に出汁を取ったものを使った方が味に深みが出るし、いろいろに使えるので便利ですよ。あと、この角煮。美味しいです。ただもうちょっと味を濃く、というか、白砂糖よりも…ザラメ糖を使うとコクも出るので良いかも」


「そうか、ほぼ親父のレシピだったんだけどなぁ。そう言う下処理は盲点だったなぁ」

「だしを取った後の昆布とか、煮干しとか、鰹節は佃煮にしたりふりかけにしたりできるから無駄にはならないです」


「これを食べただけでわかるなんてすごいねぇ。妙子さんを手伝ってご飯を作っていたんだ」

「実家が商売をしているので自然と。夏休みや冬休みは兄と二人で週に二回は子供たちの夕食当番だったので」


「へぇ。週に一度は夕食当番だったわけか。すごいなぁ」

「実家が商売って、何やってるんだい?」

「弁当屋です」

「本当に?」


「両親は、以前は給食センターで働いていたって言ってましてね。企業さんに弁当を届ける給食センターだったんですが、オーナーが高齢で店をたたむことになったんで現場責任者だった人にスカウトされて、今の弁当屋を始めたとか何とか。今は現場責任者の人から土地建物を買い取って、父親がオーナーです」


「うわぁ、凄いなぁ、俺鳥肌立ってきた。木場さん、ウチでアルバイトしてよ」

「は?」


「大学優先で良いからさ、いろいろアドバイスしてよ。俺は親父が始めた弁当屋、皆に喜んで食べてほしいわけだ。美味しいって言ってもらいたいわけだ。でも今は味が落ちてちょっと落ち目なわけ」


「アホ。ちゃんと曜日と時間決めて働いてもらえ。アルバイト料もきちんと払えよ」

 バーさんはそう言って孫の頭をすぱんと叩いた。


「あ、じゃぁ、ちょっと考えさせてください」

 冴子はそう言って頭を下げた。



 しかし翌日。

 和歌さんに教えてもらった駅前の電気屋で洗濯機と炊飯器と電子レンジの配達を頼んだ冴子は、その近くのスーパーで鍋と食料品を買って戻って来た。


 そろそろ、お昼休みになるというのに、弁当屋の前に、列ができていた。

 繁盛しているということは良いことだが、列が一向に進まない。


 学校が始まっていないので、並んでいるのは殆どが近所の会社のサラリーマンばかりだ。昼の時間帯のメニューは幕の内と本日の日替わりの2種類だけしかないのだが、人がいないのか源之助が厨房に立ち、レジをしているのはパートのおばちゃんらしき人ひとりである。


 どう考えても店が回っていない。


 よく見ると、厨房からご飯を出すタイミングが遅い。おかずはもうできているらしく、すっと準備ができる。ご飯を受け取ればレジ係が二段重ねにして箸をセットにして手提げに包み渡す、という流れができているのに、ご飯が遅い。そもそも、セットで出す豚汁が出るのが遅い。つまり、もう一人いればスムースにさばけるのに列が止まっている状態だった。


 仕方ないなぁ。


 冴子は一度部屋に戻り、エプロンと三角巾をもって髪を一つにまとめた。

 勝手知ったる、と事務所に入ると外からは見えなかったが、和歌さんが豚汁を入れるカップをお盆に並べていた。


「冴子ちゃん?」

「弁当買いに来たのに並んでるから」


 そう言って綺麗に手を洗う。小学生の時から、家の手伝いだと言って直之も妙子も仕事場に入ることを許してくれた。もっとも、手厳しく鍛えられたのでご飯を指定グラム数で用意することしかできないが。


「ご飯手伝います」

 源之助に代わって御飯場の前に行くと、小盛160グラム、普通240グラム、大盛300グラム、と書かれている。


「冴子ちゃん?」

「はい、お客さん並んでいますよ」

「ご飯並盛二つ、大盛一つです」

「はいよ」


 冴子はちゃきちゃきっとご飯を盛り、形を整えるとスケールに乗せる。手のひらの感覚では240グラム当たり、が実際には250グラム。ちゃっと微調整して二杯目は一度で240グラムを盛、300グラムはほぼほぼ手の感覚で一発で持った。

「は?」

 源之助が驚いたように目をまん丸くしていた。

「ほら、豚汁」

 バーさんに声を掛けられ、源之助は作業に戻った。

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