第5話 アホな男子と、たえる人。


 土曜日の午後のバスは、ほどほどに混んでいる。各学校が土曜日で半日授業となると、帰る時間が集中する。その上、曲がりなりにも観光地を中継するバスで、一時間当たりの本数も少なくなれば、1台あたりの乗客数はいつもより多くなる。

 例外なくこの日も乗客は多く、観光地の辰巳川をすぎても立っている乗客がかなりいた。

 冴子と良子は本当は後ろに進んで詰めていたいのだが、F高校の男子生徒のそばには行きたくないのでその一角は避けて、それでも冴子は良子を守るように良子がバスの前側に来るように立たせていた。良子の隣の乗客は何故詰めないのか、といった顔をしたが、F高校の男子学生が占領していることと、しきりに冴子のスカートをめくろうとし、冴子や良子に阻止されている様子を見て何も言わなくなった。

 やめて、といっても睨んでも、ひるまずスカートをめくってくるのはさすがF高校の生徒である、県下で指折りの不良が在籍する高校と言われても仕方ない。


 そして、何故だか襟につける校章をででーんとつける。変形学生服こうそくいはんの上下でバッチリ固めて、B市の商店街を生徒指導するF高校の教師達に呼び止められているのを何度も見たし、今日は新品を着てきたからといって、巡回する教師から逃げるように隠れている生徒も見てきたが、校章だけはバッチリ装着している。そこだけは愛校心が強いのか、F高校という免罪符に頼っているのか不思議な感覚である。トサカ頭の集団だからか誰か解説しろよ、と冴子は思っている。


 現に、6人のうち、トサカ頭の三人はグループのトップスリーらしく、冴子の下着の色は何色なのか、それともブルマーなのかとニヤニヤしながら予想している。もちろん、でーんと校章を装着している。6人ともに。

 残念だな、黒のペチコートだよ、学校指定の残念なやつ、と冴子は思っていても教えてやらない。

「あ、席が空いたよ」

 後ろから5番目だが、乗客の一人が席を立ったところで良子が冴子に教えた。二人がけなので奥にはまだ人がいるが、一人なら座れる。

「いいよ、私は次で降りるし」

「じゃぁ、前に行きなよ」

 良子を促してから冴子は席に着いた。

 少しはなれたことだし、座ったことでちょっかいは出せないので冴子は安心して図書館から借りてきた単行本を広げた。その様子を見て良子は安心して前方に移り、最寄の停留所で下車したのだ。


 やがて、乗客は一人降り、二人降り、立っている乗客はいなくなり、乗り換えができる停留所で席の半分ほどが空き、冴子の隣の乗客と、後ろにいた乗客が降りた。

 代わりに、F高校の生徒の一人が冴子の真後ろに、もう一人が通路を挟んだ真横に来た。

「ねぇねぇ、おねーさん、パンツ何色?」

 そう言って髪をつんつんと引っ張ってきた。


 お前もツンツンか!

「ねぇ、パンツ何色?」


 相手にはしないと冴子は誓って平常心で無視する。この二人は次の停留所で降りるのだ。降車ボタンを押していたから。

「ねぇねぇ、何読んでるの?どんな本?教えてよ」


 残念なことに、今日の本は文庫本で攻撃力はさほどない。運が良かったね、君は。


 バスは順調に走って、この二人が降りる停留所に止まった。二人は名残惜しそうに降りていった。

「なんだぁ、あいつら、聞き出せなかったのかよ。で、何色?」


 挨拶のように聞いてくるトサカ頭の男子学生を一瞥することもなく、本に視線を落とした。第二弾は残りの4人。やはり、冴子の後ろに二人、通路を挟んで真横に一人、その後ろに一人。

「ねぇねぇ」


 ツンツン

 髪をちょっとだけ引っ張ってくる。校則で二つにくくるように、と言われているので三つ編みにはしていないがそれなりの長さがあるのだが、それを少しだけ引っ張ってきた。

「じゃぁ、何読んでいるの?」


 冴子は完全無視した。本に視線を落としているが、冴子の真横や後ろでちょっかいを出してくる男子生徒四人に何をされるかわからないから警戒感バリバリで内容は頭に入っていない。

 けれど、冴子が相手をしないとわかったらしく、男達は一番後ろの席に戻っていった。

 冴子の視界からいなくなったことと、とりあえず、座席一列分は空いたことを映りこむ窓ガラスで確認した冴子はちょっとだけ息を吐いた。

 彼らは、K町バスステーションまでには行かないだろうという

 というのも、F高校の生徒がバスステーション発着のバスを利用するとなると朝の時間に必ず顔を合わせる可能性があるのだ。

 冴子はそのどれもに乗ったことがあるが、F高校の生徒は誰もいない。ただ、峠道に入る前の乗り継ぎ停留所である「南十字路」からは乗ってくる。つまり、残っているこの4人は南十字路で降りる可能性が高い。

 南十字路までは時間にして10分もないくらいだろうか。ただ、この先は人が乗降することはあまりないのでもっと早いかもしれない。


 後ろに行った彼らは何事か話しながら楽しそうにしている。時折、こそこそと言い合っているが、もうちょっかいは出してこないのかもしれない、と冴子は思っていた。

 思っていたのだが。

 山峠、山峠南、山峠団地を出発して、南十字路のアナウンスがかかったときだった。

 突然、冴子の後ろに3人の男子学生が再び席を移し、頭上や肩にノートをかざしてパタパタと降った。

 途端に、冴子に降ってきたのは消しゴムのカスだった。

 頭から落ちてくるのは勿論、首元からも消しカスがはいってきて、広げている単行本のページにも容赦なくふりそそいだ。

 あっと思ったときにはもう遅く、バスが南停留所に止まったので三人はゆっくり悠々と降車した。


「俺は柳町の前沢だ。文句があるなら俺のところに来い」


 通路からノートをかざして消しカスを降りそそいだ男は、そう言ってニヤニヤしながらバスを降りた。

 いきなりの名乗りに何事が起きたのかと数人が振り返ったが、冴子が微動だにしないので何もなかったのか、と判断して前を向き、運転手も気が付かなかったようでそのまま発車した。

 バスに揺られて冴子の身体が動くたびにぽろりぽろりと消しカスが落ちてくる。

 スカートをめくるという卑劣な行為に怒りを覚えるというのに、それ以上にこの仕打ち。

 どくどくと冴子の体の中で怒りが渦巻き、屈辱感があふれ出てしまう。

 怒りで震え、叫びそうになる身体を自分で抑えながら、冴子はやっとの思いでK町バスステーションまでやり過ごしたのだった。


 K町バスステーションから冴子の自宅までは自転車で10分かかるが、実はその手前、バスステーションから程近いところに両親が経営する弁当屋がある。

 企業や町内会で弁当を請け負うこともあるが、夫婦二人とパートのオバチャンたち3人と、配達要員のパートさん1人という小さい単位だが、平日は企業からの弁当を請け負い、店先でも販売している。土曜日は企業からの弁当注文はないが、代わりにグラム単位でお惣菜のおかずを売ったり個人用の弁当を作っている。

 一階は店舗と調理場、事務所、奥には小さな部屋とバスルームがあり、外階段から二階に上がれるようになっている。二階は弁当箱などの資材を入れる倉庫と、パートのおばちゃんたちの更衣室兼休憩室になっている。その隣の二部屋はワンルームの賃貸。三階は二部屋しかないが、3LDKの家族用賃貸になっていて、我が家の収入源だ。

 とにかく、消しゴムのカスが気持ち悪かった。早く何とかしたい、その一心でバスステーションの自転車置き場で簡単にバサバサ払うとぽろぽろ落ちてきて、絶望的な気持ちになりながら自転車に乗った。


 ひゅん、と風を切ればぽろぽろ、と落ちてくる。

 ひゅんぽろぽろ、ひゅんぽろぽろ

 あんたたち、使った消しゴムは一個だけじゃないだろ。


 バスステーションからほんの3分ほどの距離が長い。

 冴子は最速でかっ飛ばして、それでもお客さんのことを考えて店の駐輪場の端っこに自転車を止め、事務所に飛び込んだ。中にいたのは母親一人で、父親は調理場で店番をしながら片付けをしている。

「お帰り、冴子」

 何か言ったら、自分の決意もぽろぽろ落ちちゃうんじゃないかと冴子は考えてしまい、出迎えてくれた母親の妙子にちょっとだけ笑って奥の小さな部屋に飛び込んだ。

 4畳半のスペースだが、半畳分は土間になっていて、両親の履物が並んでいる。乱暴に靴を脱ぐとカバンをドンと置いた。

「冴子、どうしたの?」

「ごめん、ちょっとシャワー借りる」

「ん?」

 妙子は不審に思ったがそれ以上は追求せず、弁当を買い求める客が来たので店に出た。そのすきに冴子は全部脱いでシャワーを浴びる。クッションフロアにぽろぽろと消しカスが落ちたが、あとで掃除すれば良い、今は少しでも不快感をぬぐいたかった。


 だが、本当に流したいのはシャワーで流せるようなものではなく。


 シャワーから出てきた冴子を迎えたのは、制服にブラシをかけて丁寧に消しカスを落としている母の姿だった。

「着替える?母さんの服ならあるよ」

「大丈夫、制服着るから」

「そう」

 手渡してくれた制服にはもう消しカスの名残はなく、冴子は制服を着ると濡れた髪のままで掃除を始めた。片隅に積まれたボックス家具のいくつかの中に両親の予備の着替えと洗面用具がはいっていることも、バスタオルが入っていることも知っている。押入れのないこの部屋の隅に、布団が二組たたまれてカバーがかけられていることも知っている。両親は弁当一つを売っていくら、と商売をして利益を上げ、冴子を学校に行かせてくれた。ふたりの苦労は知っているし、本当はコトを荒立てたくはない。けれど、冴子は自分が通う学校にも愛着がある。

 あんなトサカ頭に負けてなるものか。

 集めた消しカスを、小さなビニール袋に入れた。証拠品だ。


「母さん、ケンカして良い?」

「どういうこと?」

「F高校の、柳町に住む前沢って男」

「おーい、冴子、大丈夫か?腹減ってないか?」

 父親の直之がちょっとだけドアを開けてそう声をかけてきた。

「お父さん、冴子がF高校の前沢っていう男とケンカするって言っているんだけど。柳町の子なんだって」

 妙子がのんびり、そう言った。 

「お前、それだけのことをされたのか?」

 確認するように直之が問いただした。

「された。けど、自分から名乗ったからもしかして誰かの名前を使ったのかもしれないし、本人じゃないかもしれないけど。でも文句があるなら言いに来いって言ってきたから、言いに行ってやる。F高校ってのは分かってるから、F高校とケンカする。学校に電話する」

「そうか、分かった。とりあえず、一体何をされたんだ?順番に話しなさい」

 直之はそう言った。

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