二話


 放課後、二階のベランダから望遠鏡を屋根に引っ張り上げて、天体観測の用意をしていると、「おーい!」と誰かを呼ぶ声が聞こえて来た。初めは他人事だと気にせず用意を進めていたけど、何度も「おーい。おーい、君だよ。天体観測の君」と呼ばれるので下を見ると、海野さんが両手を大きく振っていた。僕の顔を確認すると、彼女はイタズラっぽく笑って、さらに手を大きく振った。

「やっとこっちを向いた。反応してよね」

「自分に声をかけられていると思わなかったんだ」

 嘘は言っていない。海野さんも傷つかないはずだ。

「そうなの? 私、『声飛ばし』は褒められるんだけどなあ……」

 しかし、何故だか顔に影を落としてうつむいていた。

「何? 『声飛ばし』?」

「そう。演劇の練習法。何人かに色々なところに立って貰って、誰か一人に向かって名前以外の方法で呼びかけるの。『おーい、おーい』って」

「演劇部なの?」

「うわ、クラスメイトの部活も知らないの?」

「じゃあ、君は僕の部活を知っている?」

「そりゃもちろん。天文学部でしょ?」

「正解。良く知っていたね」

 すると海野さんは「フッフッフッ」と、今時、悪役でも使わなそうな笑いを浮かべて、スクールバッグを漁った。

「じゃーん!」

 そういって彼女はこちらに取り出した何かを向けるように腕を伸ばした。ノートのような物が見て取れる。

「ごめん。遠くて良く見えない」

「そんなので良く星が見えるね」

「うん。額縁があるから」

 そういうと、海野さんは目を丸くしていた。

「額縁?」

 彼女に訊かれて、何気なく使っていた例えをそのまま話してしまったことに気が付いた。無くて七癖。自分でも気付かないくらいの舌打ちをした。

「望遠鏡。『望遠鏡』って名前、好きじゃないんだ」

「なんで?」

「なんでだろう。僕が見たいのは宙を駆ける星という存在じゃなくて、この地球から見る星だからかな」

「一緒じゃないの?」

「前に何かで見た探査機撮影の星は好きじゃなかったんだ。嗜好の話だよ」

「変なの。何にしろとりあえず降りて来てよ」

 言われるがまま玄関を出てみると、海野さんは持っていたものを今度は卒業証書のように僕へと向けた。

「あ、活動記録」

「机に入れっぱなし。私が掃除当番だったことに感謝しなさい?」

「ありがとう」

 手を伸ばすと、彼女はさっとノートを引っ込める。まるで小さな子供に対するイタズラみたいだ。

「タダでは返しません」

 今度は僕が目を丸くする番だった。

「わざわざ忘れ物を届けてあげた人に対して、『ありがとう』の一言だなんて、あんまりじゃないですか?」

「何だよ、それ。じゃあ、お茶とお菓子でおもてなしでもすればいいですか?」

「くるしゅうない」

 活動記録を扇子のようにする海野さん。演劇部だからか、ちゃんと悪役っぽく見えてしまう。人のものを小道具にしているあたりが、より悪役らしい。

「けど! 私へのおもてなしがお茶とお菓子? 甘く見られたものね!」

 悪役と彼女自身が混ざった状態で、彼女は活動記録をめくり始めた。

「これ。これが見たいの! 一日で良いので天文学部員にしてください。お願いします!」

 海野さんが自分の顔先で開いたのは、かの有名な『オリオン座』の記録ページだった。

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