第37話 畿内の激変、松永弾正の謀の事
【百地丹波】
真夜中に闇に隠れて移動し、ネコのようなしなやかな動きで屋敷の塀に刀を掛けて、それを足場にひょいと塀を超える。
庭木の間を抜けて開けられた障子から漏れる光の下に膝を付く。
「百地か」
「へい」
「何かあったか」
「
投げられた袋が百地の前に落ちる。
百地はひょいと拾って、重さを確認すると懐にしまった。
「阿波で兵を再編している事を(遊佐)長教に知らせるではないぞ」
「ご存じでしたか」
「いい働きをしてくれた」
「孫次郎範長様(後の三好長慶)がご苦労されたみたいですが?」
「苦労? 兵を解散しただけであろう」
「なるほど」
畠山政国の家臣である遊佐長教は、久秀と同じく策略を得意とする御仁です。
長教は初夏頃から第12代征夷大将軍足利義晴と密かに連絡と取り、細川晴元に替えて細川氏綱を細川家の家督につける画策を行っていたのです。
遊佐長教の気持ちを丹波は察します。
遊佐長教は木沢長政と組みつつ尾州畠山弥九郎を奉じる形で南河内を支配していましたが、木沢長政が主家筋の尾州畠山を再統合する為に本願寺の証如と会見したのです。
これによって南河内を支配は1・2歩も木沢長政が進んだ事になり、遊佐長教は遅れをとった事になります。
しかし、この画策が裏目にでます。
細川晴元が突然に塩川政年の妻は細川高国の妹であった事を理由に、細川高国派残党とします。
そして、塩川政年の討伐を命じるのです。
細川高国が死んでもはやまる十年も経っています。
高国の親族が理由なら近江の六角定頼も越前の朝倉孝景も細川高国派残党になってしまいます。
意味が判りません。
そこに将軍義晴が木沢長政に一庫城の攻囲を解くことを命じたのです。
これを聞けば、木沢長政は(細川)晴元に逆らった事になります。
当然、聞き入れる訳にはいきませんが、直訴に来た人物が問題だったのです。
直訴を行った人物の中に三宅国村と言う富田教行寺とゆかりが深く、本願寺中枢にも影響力を行使できる人物がいたのです。
南河内を支配する本願寺と揉める訳にはいきません。
木沢長政はやむを得ず足利義晴の命に従い、一庫城の救援に出向き、三好長慶らの攻囲を解いた上で越水城まで追撃します。
これで細川晴元の不信を買ったのです。
晴元は逆らった者に容赦はしません。
細川晴元 ≠ 木沢長政
足利義晴の『離間の計』が見事に嵌まったのです。
晴元の後ろ盾を失った木沢長政は足利義晴宛に一通の手紙を送りました。
(細川)晴元に逆らった事になったので、(足利)義晴の幕臣として京の警備に付きたいと言う願い状でした。
しかし、それを義晴は不快に思ったのです。
将軍足利義晴も細川晴元も自らの軍を持っていません。
そこに木沢長政が兵を連れて上がってくる。
木沢長政はクーデターを企んでいる?
そう言って将軍御所から東山の慈照寺に引きこもってしまいます。
晴元も自邸を引き払って北岩倉に避難し、後に兵を集めて木沢長政の討伐を命じるのです。
木沢長政は孤立無援の状態となり、太平寺の戦いで討死します。
将軍足利義晴は曲者であり、幕府管領細川晴元は猜疑心の塊です。
遊佐長教は(細川)晴元の元にいる事に不安だったのです。
そう、長教の父が細川高国政権の下で守護職を回復したから細川高国派残党だと、難癖をいつ付けられるか判りません。
主家の
細川氏綱、六角定頼など、いずれもかつては細川高国派です。
足利義晴が細川氏綱を認めることを宣言するならば、近江・山城・摂津・河内・和泉・紀州・大和に至ると唆したのです。
(細川)晴元を支持していた足利義晴ですが、いつまで経っても畿内が落ち着かないのは、晴元に統治能力が欠けているのではないかと疑問も持っていました。
実際にそうです。
遊佐長教の誘いは将軍義晴の心を揺さぶっていたのです。
しかし、六角定頼が首を縦に振らなかったのです。
晴元の妻は転法輪三条家出身ですが、定頼の養女として輿入れしていました。
(細川)晴元で不都合のない定頼が首を挿げ替えに賛同してくれなかったのです。
自分の挿げ替えが画策されている事を知った晴元は激怒します。
晴元は孫次郎範長(後の三好長慶)に命じて堺で兵を集めて、遊佐長教の討伐を命じます。
早々と堺に渡り、兵を集めて討伐に出れば、遊佐長教は苦境に立たされていたでしょう?
そうです。
(松永)久秀が意図的に遅延工作をしていたのです。
久秀は堺で兵を集める銭がないと、(細川)晴元に無心しました。
晴元から徴税権をいくつか捥ぎ取って、孫次郎の財政基盤の強化を図りました。
その上で俺に情報を売らせて、遊佐長教に兵を集める暇を与えたのです。
結果、孫次郎(後の三好長慶)が堺で兵を集める時間もなく、堺から引いたんのです。
勢いにのった氏綱は摂津を晴元から氏綱に塗り替えられ、(細川)国慶が京に押し入って、晴元は丹波に逃げる事になったのです。
晴元の権威はダダ下がりです。
そして、奪われた物を今度は孫次郎(後の三好長慶)が取り戻す。
なるほど、巧い事を考えるお人だ。
「ふふふ、(細川)晴元様には一体、誰のお蔭でそこに立っていられるのかを知って頂かねばなりません」
「下手をすると、公方様も敵に周りますぜ」
「問題ありません」
「そうですか」
(久秀は)恐ろしい方と考えるべきだな!
「そう言えば、主が堺を引いた後に織田の船団が入ったそうですね」
「そのようで」
「主が集めた兵を雇って帝への献上品の警護にするとは、中々にやりますな」
その傭兵は言継の屋敷を含む御所の警備に付いたと言います。
その行列に混ざって、堺に逃れていた京の商人も戻って行ったのです。
その金がどこから出ているのか?
疑う余地もありません。
「織田の狙いは何ですか?」
「あっしでは計りかねます」
「そうか、ならば仕方ない。その姫が言ったらしいな!」
「何か言いましたか?」
(丹波は)惚けておきます。
南蛮船で乗り込んできた竹姫に堺の
しかし、竹姫はあっさりと断ります。
『畿内は三好が治めるからそれでいいんだよ』
将軍足利義晴、細川晴元、細川氏綱でもなく、孫次郎範長(後の三好長慶)の名を上げて、『天下を治める』と言い切ったのです。
まるで、(松永)久秀の企みを知っているかのような発言です。
もし、この謀略が巧く運べば、孫次郎範長(後の三好長慶)は阿波、淡路、摂津、和泉、河内の5か国を支配化に治める事になります。
そうすれば、畿内も落ち着き、織田が出る幕はないと言ってように聞こえます。
「あの姫はどういうお方だ? 惚けるのは許さんぞ」
「あっしがどうこう言えるお方ではありません。言うなれば、人外でございます。あっしは二度とお会いしたくないですな!」
「それほどに、恐ろしいか?」
「身の毛がよだつほどに!」
「そうか、いけ」
「はぁ」
久秀がやっと解放してくれた。
糞ぉ、会わなくとも厄介な姫だ。
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