第38話 畿内の激変、六角定頼の決断の事

天文15年9月25日(1546年10月19日)、望月出雲守は観音寺城の六角定頼を訪ねていた。


三好長慶も信長ちゃんに比べると評価が低いと思うが、六角 定頼ろっかく さだより義賢よしかた親子は雑魚キャラとして扱われている。


観音寺城の城郭全体が総石垣です。


南腹の斜面に曲輪を置き、家臣や国人領主の屋敷を配しました。


城下町・石寺も置かれ、楽市が行われています。


???


どこかで聞いて政策ですね!


信長ちゃんが小牧、岐阜、安土と行った縄張りです。


信長ちゃんの政策は六角のコピペです。


信長ちゃんは、織田信秀・今川義元・斉藤道三・六角定頼のいい所取りだったのです。


上洛戦で蹂躙されて終わっちゃたから評価の低いのです。


六角親子の評価がもう少し高くてもいいんじゃないでしょうか。


可哀想すぎるよ。


 ◇◇◇


【 望月出雲守 】(忍ナレーション)

望月出雲守は六角定頼に『天上の焼酎』を献上しにやって来たのです。


4日前に望月島も落ち着いてきたので、甲賀二十一家こうかにじゅういっけの頭領を招待して、ささやかな催しを開きました。


そこで出した『天上の焼酎』が欲しいとせがまれて、甲賀五十三家こうかごじゅうさんけにプレゼントしたんだ。


出雲守、これが定頼に知れると大変です。


先手を打って、出雲守から定頼に献上したいと頼まれて承知しました。


目録は以下の通りです。


・風神雷神の献上用の『天上の焼酎』を2つ。

・『天上の焼酎』五升樽(9ℓ)を芋・麦で各1つ。

・普通の芋・麦の焼酎で一斗樽(18ℓ)を各5つ。


差し出された美しいガラスの瓶に定頼に驚きます。


「これが帝も神楽を舞う酒か!」

「如何にも」

「こちらには手を付けず、こちらの樽の方で味見をして下さい」


五升樽からわずかに注いで盃で頂きます。


それはもう極楽な気分です。


迦陵頻伽かりょうびんが(※)が聞こえたのかと思ったわ」


出雲守は何も言わずに黙っています。


「なるほど、これならば、坊主共が騒ぐのも判る気がする」

「山科卿もがんばられておりますからな」

「実際の所はどうだ」

「あと一押しと言う所ですな!」

「纏まらんのか?」

「焼酎の専売は喉から手が出るほど欲しい。銭は織田が後ろ盾になる。兵の数も5,000人とおりますが、それを率いるのが山科卿では心もとないと言う感じで御座います」

「ははは、確かにな!」

「どうでしょうか!弾正少弼も一枚噛まれてみては!」

「武は六角が引き受けろと言うのか」

「はぁ!」

「確かに悪くない。繋ぎを取れ!」

「畏まりました」


京を悩ました法華宗と比叡山の争いを収めたとなれば、定頼の名声が高まります。


これは魅力的な提案でした。


史実では、12月に六角定頼を烏帽子親として元服し、足利 義藤あしかが よしふじ(後の義輝)となります。

その翌日に将軍宣下の儀を受けて第13代征夷大将軍となり、将軍義藤は烏帽子親への返礼として、六角定頼を管領代に取り立てます。


京の治安を守る管領代として、法華宗と比叡山の和議の仲介をした定頼の名声が高まったのです。


時計をちょっと進めちゃいましたね!


 ◇◇◇


【 六角定頼 】(忍ナレーション)

この時期、六角定頼を悩ましていたのは、将軍足利義晴の心変わりでした。


京がいつまでも落ち着かないのは、管領細川晴元に原因があると思い始めていたのです。

そんな義晴に畠山政国の家臣である遊佐長教から細川氏綱を管領にしないかと言う諫言があったのです。


六角定頼は反対しました。


そのような微妙な時期に孫次郎範長(後の三好長慶)が堺で敗北します。


9月14日に細川国慶は京都へ入りました。


それで慌てた細川晴元は京を捨てて、丹波国神尾山城(京都府亀岡市)へ逃亡したのです。


それを聞いた将軍足利義晴は激昂します。


京の守護である幕府管領が一番に逃げ出すのです。


一戦もせずに逃げるなど、在ってはならない事です。

(細川晴元はいつも逃げていますけどね!)


一方、言継のおっさんは5,000兵を後ろ盾にして国慶に面会します。

そして、京での乱暴狼藉の禁止、京の再建の協力を申し出たのです。


錦の御旗を上げるなんて、相変わらず狡いね!


朝廷と対立するのかと迫った訳です。


国慶も攻撃する気にならかなったのでしょう。


「京の再建を手伝いに来てくれはんてんな!」

「如何にも間違いございません」

「上洛、歓迎しまっせ!」

「帝には何卒」

「(帝には)よろしゅう言うといたる!」

「ご願いいたします」


交渉が成立です。


国慶は京の再建に人を出しました。


言継のおっさんは蔵を開けて、食糧と焼酎を提供します。


何故、蔵を開けたのか?



国慶の兵士は『乱取り』で収入が絶たれたからです。


その不満の解消に食い物と酒を提供し、その心を鷲掴みです。


食い物の力は偉大だね!


みなさん、再建に協力的になってくれました。


戦らしい戦がなかったのが幸いし、京で国慶の人気が急上昇です。


18日に氏綱・遊佐連合軍は京都方面の芥川山城を攻略すると、将軍義晴は京都郊外の東山慈照寺(銀閣寺)に入ります。


ここに至って将軍義晴は管領晴元を見限り、氏綱を細川高国の養子であり、正当な細川家の後継者と認めたのです。


第18代細川京兆家当主、室町幕府第35代管領、細川 氏綱ほそかわ うじつなが誕生していたのです。


正確にはまだ誕生していませんが、将軍が支持した事で皆がそう思います。


六角定頼は渋い顔をするしかありません。


「出雲、細川氏綱をどうみる」

「さぁ、よく判りませんな」

「嘘を申すな!」

「嘘ではございません。然れど、晴元様、氏綱殿のいずれが管領であっても大した変りはありますまい」

「どういう事だ」

「畿内で天下を語れるのは二人しかございません」

「誰じゃ、申してみよ」

「一人は六角定頼、殿ご自身でございます」

「たわけを申すな!」

「いいえ、北近江、若狭、美濃、伊勢を平らげれば、十分に可能と存じ上げます」

「これ以上、大きくなってみよ。細川家のように家督争いで分裂するわ」

「ならば、もう一人と手を組むが必定かと!?」

「誰の事じゃ!」

「三好孫次郎範長で御座います」

「ふふふ、たわけ! 奉行にもなっておらん小僧ではないか?」

「ですが、その実力は守護代並と存じ上げます。さらに、阿波が治まっておりますれば、その兵力は侮れません」


細川高国を討った三好元長の嫡男として、摂津での名声は高いのです。


しかし、六角定頼はそれを認めません。


管領晴元という後ろ盾があるからこそ孫次郎が輝くのであって、単独で凌ぐ実力が出せるとは思えないのです。


『虎の威を借る狐』


孫次郎(後の長慶)を狐と思っていました。


“虎の子を猫と見誤るなかれ”


出雲守はそう思いますが、そこが定頼の限界だった。


管領晴元という後ろ盾が無くなれば、孫次郎の輝きも消える。


その見解は間違っていない。


しかし、上洛では石山本願寺法主・証如の後ろ盾を得て入京し、将軍や晴元を敵にした事があったように、氏綱方に寝返るという選択もある事を見逃していたのよ。


孫次郎(後の長慶)は礼節正しく、真面目で義理固い性格だった為に、主君晴元を裏切るには、相当な葛藤があったみたいね!


管領の晴元に三好政長を切って、孫次郎(後の長慶)を重用する器量があったなら、『天下の副王』は誕生したかったのかもしれない。


孫次郎(後の長慶)に付けられた義理という分厚い鎖を切って、天下に解き放ったのは誰かしらね?


少なくとも本人ではないわ。


それはともかく、


六角定頼は出雲が置いていった『天上の焼酎』五升樽(9ℓ)を毎日のように楽しんだ。


そして、芋・麦の両樽を呑み干して、家臣に呑ませる分が足りなくなった。


慌てて出雲に命じて、『天上の焼酎』五升樽(9ℓ)を用意させたのは内緒の話だ。


甲賀の頭領が正月に楽しみとしていた焼酎が無くなって渋い顔をしたらしい。


可哀想だから、千代女ちゃんに届けさせたよ。


私って優しい!

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