第7話 藤吉郎ってスパイだったの事。

私はここに来た理由は何だろう?

そう旅行です。

観光旅行に来たのです。


その目的の1つが、慶次様とか、左近様とか、元親様を巡る事です。


その1つが叶ったのです。

幸せです。


私が馬に乗れないので慶次様に合法的にしがみ付く、役得、役得、役得です。

ビバー観光!


あるのは緑の木々、痩せた田畑、弱々しい農民って、違うだろう。

あれ、田植え?

豆まきの間違いじゃない。

みんな、細い。


「大小の戦続きだからね」

「民が飢えちゃ本末転倒だよ」

「忍様はそう言うが」

「忍でいいよ」

「忍はそう言うが、大人しくしていると襲ってくるからタチが悪い」

「世も末だね」


そう言えば、ここは戦国時代だった。


 ◇◇◇


土岐川(庄内川)は北に4kmほど行った成願寺辺りで夕立山を水源とする土岐川と猿投山を水源とする矢田川が合流する。

愛知県の標高データを見ると、那古野城は熱田台地の縁に建っており、ここに用水路を引くには、守山城がある辺りから用水を引いて来ないといけない。


熱田台地は東西に堀川から池下・今池付近まで約5km、西側の台地の幅は1kmくらいで、南北は名古屋城から熱田神宮7kmほどになる。また、東側の台地は大曽根から笠寺まで10kmほど広がっている。


まず、守山付近から南北に延びる用水路を引き、さらに西に5kmほど延ばすと那古野城の外掘に達する。そこから熱田まで7kmの用水路を引く事になる。


言っていて気が遠くなる。


ここに用水路を引けば、熱田台地のすべてを水田地帯に変える事ができます。

徳川家康もやらなかった大工事です。


さらに、もう1本。

成願寺当たりから那古野城、熱田に延びる新堀川運河です。

こちらは那古野城と熱田を結ぶ物流の要になります。


いずれにしろ、土岐川と矢田川の河川改修を含めて大変な工事になるのです。


「そりゃまた、凄い工事をするんだな」

「そんな話、はじめて聞きました。どうして僕に教えてくれないんですか!」

「教えるも何も藤八が慶次を呼びに行っている間に信秀が来て決まった話だからね」

「大殿が」

「そうそう」


藤八は話そのものより信秀が来た方に驚いているようです。

そんなものでしょうか。


「この尾張の国に人が何人いると思っているの?」

「知らん」

「何人ですか」

「私も知らない」

「おいおい、なら聞くなよ」

「仕方ないのよ。この時代は細かい人口調査なんてされてないんだから、でも推測値なら出せるわよ」

「ほ~ぉ」


戦国時代1600年の日本の人口は1,227万人と言われます。

江戸時代1721年の調査では、3,128万人に増えています。


「今から175年後の調査では、尾張の国の人口は554,561人です。今から江戸時代までに2.549倍に増えているのよ」

「忍は不思議な事を言う。まぁ、随分と増えたという事は判る」

「はい、藤八君。今の尾張の国に何人くらいの人が住んでいますか?」

「判りませんよ」

「計算して、考えてないでしょう」

「算術なんてできません!」


藤八が全力で否定します。

そうなのです。

和算は7世紀に遣隋使に伝わりますが、算博士、算師と呼ばれる官職が定められて秘匿されていたのです。しかし、鎌倉時代に宋との貿易が盛んになると商人を通じで広がり、江戸時代の初期には、額や絵馬に和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したと残されています。

室町から戦国に掛けて算術が急速に広まった訳です。


「慶次は?」

「少しはできるが、忍がなぜ175年後の話を知っているんだ?」

「そっちか」

「慶次、忍様は天女様だから知っているんです」

「天女じゃないけど、そういう事を知っている世界から来たと覚えておいて」

「よく判らんが、面白い所から来たと言う訳だな」

「で、何人?」

「半分以下と言うのは判るが細かい数字は判らん」

「217,533人です。算術は大切だよ。算術ができないと立派な大将になれないよ」

「聞いた事ありません。武士は槍働きです」


戦国時代の武将は脳筋が多い。

豊臣時代になると、三成のような算術のできる内政官が重宝されて、脳筋と軋轢が生まれるのだ。


「ふっ、21万人の尾張の国に20万人の人夫を呼び込むとは壮大な話だな」

「そうだよ。家族ごと移住して貰えば、尾張の国力が上がる。人口が倍になるのを100年も待ってられない。余所から借りてくれば、5年で人口が倍になる。40万人の国力があれば、東海と畿内くらいは苦労しないで取れる訳よ」

「は、は、は、忍は凄い事を考える奴だったのか。面白い、乗った」

「僕もついて行きます」

「藤八は信長の小姓でしょう」

「え~~~~っ、そんな!」


 ◇◇◇


私は慶次様の馬に乗せられて、守山城から川に沿って那古野城の西側にやってきました。

石の上に腰かける小僧を見て、慶次様が声を掛けます。


「坊主、ここは何村だ?」

「ここは中中村郷だよ」

「そうか」


先ほどの村が上中村だったから、中中村かい?

どこも20軒から40軒が並ぶ小さな村ばかりです。


本当に20万人もいるのか自信がなくなってきます。


あれっ?

坊主が石に腰かけて水を飲んでいるのですが、何か違います。

何でしょう?


「忍、どうかしたか?」

「その子、何か変なんだよね」

「指が6本あることか」


『それだ』


その子が飲む竹筒の水筒を持つ手に、見慣れぬ2本の親指があるのです。

手の指が全部で6本です。

つまり、この痩せっちょで骨っぽい奴は?


秀吉か!


秀吉は天文19年頃に遠江国に行って松下の家臣になったと記録されています。

今は天文15年です。

まだ、尾張に居ても不思議ではありません。


「名を何と言う?」

「日吉」

すて、あるいはひろいの間違いではないか」

「どうしてそれを」


捨はおそらく幼名だろう。

拾は寺に預けられた時の小坊主の名だろう。


「どこか間違っていたか」

「俺は日吉だ」

「そうか! そうか! 針売りをしておるのか」

「そうだ、見れば判る」

「小六とは会っていないのか?」

「誰だ、それは」


秀吉は針を売った金を狙った追剥にあった所を橋で小六に助けられて知りあったと書かれているけど、まだなのか?

それとも最初から嘘だったのか?


別に私の趣味じゃないし、どっちでもいいか。


私は秀吉が本当に優秀だったのか、甚だ疑問に感じている。


武勇に長けていたという記録はどこにも残っていない。

墨俣の一夜城も怪しい話だ。

手柄もないのに美濃攻めで、どうして足軽大将まで出世できたのか。


「生駒家は贔屓にしてくれるか」

「あぁ、いつも針をよく買ってくれる」


なるほど。

生駒家は信長の側室である吉乃の実家だ。


生駒家は由緒正しい家柄だが、灰(染料用)と油を扱い馬借として商い財を蓄えた家でもある。商売で他国の情報を得る事が多く、川並衆の蜂須賀氏などの交流がある。

秀吉と小六を結ぶ鍵は、やはり生駒家だ。


人当たりのいい秀吉は生駒家で目を付けられた。


生駒家に情報を流す為に秀吉は遠江国に行商に出た。

つまり、間諜、現代風に言えば、スパイだよ。

スパイに特別な技能はいらない。

その土地に行って、普通に話を聞いてくるだけでいいのよ。


遠江国に行って、商売をしながら情報を集めていると松下の目に入った。

何と言っても字が不得手でもそろばん(算術)ができた。


脳筋の武将たちは数字に弱いんだよ。


しかし領主となれば、年貢の計算とか、戦の準備で計算ができないと苦しい。

こうして、そろばんの能力を買われて松下の家臣になったと言うのが真相だろう。


今川義元は他国の者を知行なしで家臣として雇えないとして、今川目録が出されて秀吉は解雇された。

尾張に帰って来た秀吉は、ふたたび生駒家に奉公する内に信長に召し抱えられた。


信長は才能より忠義を重んじる。

生駒家は側室の実家で忠義に厚い。

生駒家に親しいから秀吉はより出世できたのだ。


それならしっくりと来る。


「日吉とやら、私の小姓にならんか」

「おばさんの小姓?」

「おばっ、私はまだ17歳だ!」


場が固まった。

平安、鎌倉、室町と女はみんな早婚なんだよ。

13歳から15歳くらいが普通で、17歳はぎりぎり、18歳なら年増です。

17歳。

女性にとって、微妙なお年頃です。


大切な事なので、もう一度いいます。

17歳、微妙なお年頃です。


慶次様と藤八が口を閉ざしたのも、その為です。


「ち、違うのよ。私の国では結婚は遅いのよ。24歳から25歳くらいが普通で17歳で結婚なんて早婚なのよ。早婚よ。結婚適齢期に入っていないのよ」

「そうか、そうか、わかった」

「決して口にしません。ご安心下さい」

「わぁぁ~~~~、絶対に判ってない」


糞ぉ、絶対に理解してくれていない。

どうして、私がおばさんって言われないといけないのよ。


「もういいわ。次に言ったら殺すからね。で、小姓になるの、ならないの」

「あの、この方は?」

「俺の主人だ。こっちは信長の小姓だ」

「…………」


今度は日吉が固まった。

男にべたべたと擦り寄っている女が姫様とは思う訳もない。

当然だね。

さらに、ここを治める殿様の小姓だと言う。

完全に頭がフリーズしたみたいだ。


「これが最後よ。別に私はどっちでもいいの。小姓になるの、ならないの」

「ならせて頂きます」

「そう、判ったわ」


どうやら、日吉は小姓になったようだ。

しかし、名前はどうしよう。

日吉でもいいけど………………を、丁度いいのがあった。


「ねぇ、慶次。あの木は藤の木かしら」

「藤の木ですな」

「じゃあ、藤の木の下にいた日吉ね。今日から木下藤吉郎秀吉と名乗りなさい」

「随分と遠いので、木の下ですな」

「いいのよ。気分、気分」


『あ、ありがとうごぜいますだ』


おもいっきし訛っていたよ。


 ◇◇◇


戦国時代は1日2食です。


おなかすいた。


お米の消費量が1日5合とか!

1度の食事で2合とか、3合?

どんぶりで4杯から6杯になります。


食べられるか!<怒>


どんだけ米が好きなんだよ。

白米じゃないよ。

玄米だよ。

玄米!


白米が普通になったのは江戸時代以降なんだ。


おかずは『野菜の煮物』『納豆』『かまぼこ』『のり』『梅干し』などに、『味噌汁』が付きます。


私の料理には『肉』『魚』なども付いていたけどね。


大名クラスは意外と良い物を食べているね。


流石に厚切りステーキは付かなかったけどね。


農民になると、一汁一菜だろうね。


米の代わりに粟や稗を主食にしていたかもしれません。


まぁ、今はどうでもいいか。


結局、熱田までいけなかった。

帰って、ご飯にしよう。

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