アリシア:真意を質す

 かつてこの場所は、闘技場として使われていたのだろう。崩れ落ち朽ち果てているこの廃墟のあちこちに、かつて闘技場で力を戦わせた者たちが残した傷跡や武具の残骸が散らばっている。彼らの思いのようなものも感じられる気がする。

 私は武人として、そうした“戦いの気配”というものに、子供の頃から敏感だった。恐らく、私の守護霊であるご先祖様、ルー様の影響なのだろう。守護霊の存在を知ったのは迷宮に落ちた時だったが、それよりも以前からその存在は感じていた様に思う。今もそうだ。傍らで私に力をくれている。


「よし!」


 気合いを入れ直して、瓦礫を避けながら進む。と、ようやく広い場所に出た。その中心に、一人の男の姿を見つけた。


「マーカス」

「ヴァンオーグ君!」


 その男の姿を見て駆け出そうとした私を、グラスゴー老師が止めた。


「落ち着け、落ち着かぬか」

「……はい。ありがとうございます」


 私と老師は、ゆっくりと歩を進め、マーカスの前に立った。


「マーカス」

「アルベルト、マイルズが生きているようだとはいたが、君も生きていたとはね。すごいね」


 私が知っているマーカスと同じ顔をした男は、彼とは同じようでまったく違う笑顔を私に向けていた。寒気が、背筋を走る。


「マーカス、なぜこんなことを」

「こんなこと?」

「王国を裏切って、叛乱を起こすなんて」


 はははっと男が笑い声を上げる。本当に、マーカスなのだろうか。それともこれが本当のマーカスなのだろうか。


「君は切れる奴だと思っていたんだけどね、そんなくだらない質問をするなってがっかりだよ」

「くだらない?」

「そうさ、くだらない。くだらないことばかりだ。君も、何も考えない考えることを止めた愚民共と同じ、くだらないことばかり言う。“殿下、お止めください”、“殿下、お考え直しを”、“お父上が悲しみます”――ハッ! 馬鹿馬鹿しいっ!」


 マーカスの顔から笑いが消え、醜く歪む。嫌悪を隠そうともしていない。


「百年の安寧の上で、怠惰を貪る王と、何もしなくても権力の座につくことが約束された愚かな息子。奴らを放置しておくことこそ、世界に対する罪! 奴らを廃し、新たなる王国を築くことこそ、世界のため、民のために成さねばならぬこと!」

「そのために、多くの血が流れてもですかっ!」

「変化に痛みを伴うのは、当たり前だ。新しく生まれ変わるためには、古い血を抜き取らねばならない。こんな至極当然なことを、なぜ皆理解しようとしない?」

「それでもっ! 他にいくらでもやりようがあったはず! あなたは性急すぎる。こんな乱暴な方法は、悲しみを生むだけだ!」


 私の前にいる男がにやりと笑うと、両腕を大きく広げた。


「さんざん考えたさ。如何にすればこの国を救い、この国を繁栄させられるのか。そして気が付いた、“ちから”、“ちから”が必要であると。私は探し求め、見つけたのだよ、変革する“力”を。その力の片鱗を、君にも見せてあげよう。かつての友よ!」


 男の指先から、電光が走った。紫光が、闘技場の壁を穿ち、地面を抉る。すると、そこからまるで生物のように、土がうねうねと盛り上がる。

 男が軽く手を振ると雷光は止んだが、周囲の変化は止まらない。土は壁となり、柱となり、やがて廃墟だった闘技場は、白亜の絢爛たる建物となった。私の正面には、放射線状の光を象った祭壇があり、その中心に様々な意匠を凝らした椅子がひとつ。“神の御座”。


「どうだい? 力さえあれば、こんなことも簡単にできる」


 男が階段を昇り、椅子の背もたれに手を掛け、こちらを見下ろしながら言った。


「どうだい、アルベルト? こんな力が欲しくはないか? 何でも望み通り、思うがまま自由に生きることができるぞ。さぁ、我が下へ来い、友よ」


 傷ひとつない建物を、一瞬で作り出してしまう力。恐ろしいまでに巨大な力を見せつけられ、私は自らの矮小さを再認識する。こんな力があれば、私は……私は……自由に生きられるのだろうか?


 一歩、前に足を踏み出す。そして、もう一歩。


「アルベルト・ヴァンオーグ! しっかりせよ!」


 背後から、グラスゴー老師の言葉が聞こえる。それでも私は、歩みを止めず。階段を一歩一歩踏みしめながら、彼の下に近づいていく。


「そうだ。ここへ来て、再び私に忠誠を誓ってくれ」


 階段を昇りきり、椅子にもたれるように立つマーカスの下へ。そして、私は。


「オーグ流、抜刀・一閃」


 私の剣先が、男の右脇から入り左胸を抉るように切り裂いた。そして、手首を返しながら、突いた。肋骨を掠め、心の臓を貫く感触が、剣を持つ手に伝わってきた。


「力に溺れたか、友よ。哀れな。せめて我が手で」


 マーカスを護る剣であった私が、マーカスの命を奪うことになろうとは、なんたる皮肉か。いや、友が道を過てばそれを正すのも、友としての使命だ。


 剣を抜くと、マーカスの身体は後ろへと倒れ、ぴくりとも動かない。私は、剣を払って血糊を飛ばすと、鞘には収めず手に持ったまま階段を降りた。


「つらかったの」

「はい、老師。しかし、これが私の務めです」


 後でどのような処罰が下されようとも、後悔はない。さぁ、マイルズ達と合流して、王都へ帰ろう。


「ひどいなぁ。服が破れてしまったじゃないか」


 背後から声が聞こえた。ついさっき、この手で命を奪った男の声が。慌てて振り向くと、マーカスが平然とした顔をして立っていた。いや、確かに斬ったはず。その証拠に彼の服は切り裂かれているではないか。


「まぁ、いいか。ちょうど着替えたいと思っていたからね」


 男がパチンと指を鳴らすと、黒い霧が男の身体を包み、次の瞬間には黒い甲冑に変化していた。


「どうだい? 私の甲冑は」


 金属には見えない。うねうねと波打つその見た目は、魔獣を思い起こさせる。恐怖と嫌悪。あれはあってはならないものだ。私は、剣を再び強く握りしめた。今度こそ、斬る。


「私に服従を誓えば、生き延びることができたものを。アルベルト、残念だよ」


 そう言って、マーカスは右腕をゆっくりと私たちの方に向けた。その手の平に、何かが集まって行く。


「アル、良いことを教えてあげるよ。詠唱する時、精霊に呼びかけるだろう? あれはまやかしだよ。奴らは、人間を助けなどしない。むしろ人の力を、可能性を狭めているのさ。私はね、アル、精霊などに頼らない。頼らなくても、これほどの力が使えるのさ」


 火の玉、いや、黒い炎の玉が、彼の前に形作られていく。私は、剣を構えグラスゴー老師を後ろに庇う。私がだめでも、せめて老師が生き残れば。


「ちっ」


 突然、マーカスが舌打ちとともに、右手を下げた。黒い炎が煙のように消える。彼が、私たちから見て右手、黒い塔の方に視線を向けると、いつの間にか開いていた扉から緑色の塊が転げるように飛び出してきた。緑色の塊は、マーカスが立っている階段の手前で地面に倒れた。違う、伏せているんだわ。まるで沼にいる醜いグェグェカエルのように。


「なぜ戻った? バフ」


 バフ? 闘士バフのこと? あのグェグェカエルの化け物が、闘士バフだと言うの?


「お許シくだサいィィ、まぁカス様ァ、や、奴ら強グてェ……」

「やれやれ、騎士どもや教会の兵どもごときに。私の力を分け与えた甲斐がないではないか」

「ち、違ウンでズゥ、例の、異世界の奴ガァ」


 一瞬、マーカスの顔が強ばったのを、私は見逃さなかった。バフが言っているのは、マイルズ……いえ、ハルトのことね。マーカスは、ハルトのことを知っているの?


「もしやとは思っていたが、彼も来ていたとはね。ふむ。考えようによってはちょうど良かったか。よし」


 マーカスが、再びこちらに顔を向けると、意地の悪い笑い顔を見せた。


「アルベルト、かつての友よ。気が変わった。しばらくの間、活かしておいてあげよう。君には絶対無比の力を手にした私の姿を見てもらうことにしよう」


 バフが出てきた扉が大きな音とともに再び開き、中から数人の人影が飛び出してきた。出てきたのは、マイルズとデイル、それに聖女様だ。よかった、彼らは無事だったんだ。しかし、入って来た彼らを見て、不利になったはずのマーカスは声を上げて笑った。


「はははっ! 役者は揃った! 宴を始めようか!」


 彼が醜く変貌したバフの頭を掴むと、バフは叫びながら身もだえを始めた。


「グェェェッ! マーカスざま、なナニをぉぉ!」

「なぁに、与えていた力を返してもらうだけだ」

「ゾ、ぞんなぁ」


 バフと呼ばれていた怪物は、みるみる色あせ萎んでいく。そして、最期には土塊つちくれとなりその場に崩れ落ちた。


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