マイルズ:人外との戦い

 いきなりバフが現れた時には驚いたけれど、いきなり攻撃したり逃げたりするんじゃなくて、落ち着いて観察することができた。アルさんの忠告通りに。目を凝らしてみると、やはりバフの身体には黒い煙のような瘴気がまとわりついているのが見えた。敵の兵士たちよりも、もっと濃い、迷宮の魔獣たちのような瘴気だった。


 ボクが聖女様に目を向けると、彼女もボクの方を見ていた。ボクがうなずくと彼女もうなずいた。彼女も気が付いたみたいだ。


「でも、時間が必要です」

「ボクたちが、時間を稼ぎます」

「お願いします」


 短いやり取りの後、聖女様は両手を握りしめ、神に向かって祈りを捧げ始めた。さぁ、ボクは彼女の詠唱が終わるまで、彼女を守り切らなくては。


「先生は、聖女様についていてください。デイル、当たらなくてもいいから、あいつに思いっきり魔法を打ち込もう。でも、気を失っている人たちには当てないようにね」


 ボクの言葉に、デイルが頷く。


「ん~。おいら、人を殺したことないんだけどぉ、そんなこと言ってられねぇよなぁ」


 そうだ、デイル。躊躇している時じゃない。


「ボクだって。でも、そうだね。やらなければ、殺される」


 ボクらは、聖女とルンナ先生を庇うようにして並んで立つと、高らかに詠唱を始めた。闘士バフを見れば、彼も詠唱をしている。彼は、確か武器に魔法を付与して戦う人だったはず。近寄らせちゃだめだ。


「火炎の矢!」

「爆炎弾!」


 デイルもボクも、詠唱が終わるやいなや、火の魔法を放った。だけど。


「ふんっ!」


 バフの戦斧が唸りを上げて空を切り裂くと、風の壁が現れてボクらの攻撃を弾き飛ばしてしまった。


「他愛もない。お前たちが束になっても……フンッ!」


 攻撃が当たらなくてもいい。動く隙を与えないよう、ボクは火を放つ。


「ぬっ! 小賢しいっ! いくら、攻撃しても、掠り傷ひとつ、付けられんぞっ!」


 ブンブンと音を立てて斧を振り回すバフだけど、足を踏み出せないでいる。今のところは上手く行っている。ボクの魔法量は人より多いって、デイルも言っていた。まだまだ、尽きる気がしない。よし、このまま押し込めれば……。


「ええいっ、鬱陶しいっ! これで、どうだっ!」


 バフが、斧を床に叩きつけた。と、土埃とともに、風が壁のようにこちらに向かって迫ってきた!


「アース! 土よ、壁となり我らを護れ!」

「ボダナン バン! 烈風陣!」


 辛うじて、ボクらの後ろにいる聖女様たちは無事だったけど、咄嗟の魔法だったから、デイルとボクは風魔法でかなり痛手を受けてしまった。立っているのがやっとだ。

 ちらっと聖女様を見ると、まだ祈りの途中だった。目の前で握りしめた手が、淡く光り出している。もう少しだ、そんな気がした。

 でも、もう一度、あの攻撃を食らったら持ちそうもない。


「ようやく静かになったか」


 バフが、大きく一歩を踏み出す。近づかせちゃいけない。


「ナウマク サンマンダ バザラダン カン、爆炎弾!」


 奴の顔面目がけて火炎を放つ。


「無駄だ」


 バフが斧で火炎を弾く。


「まったく、そんなに魔法を使って、よく魔法切れにならないものだ。その点は褒めてやろう。だが、もう終わりだ」


 バフが斧を振りかぶった。今だ!


「ぐわっ!」


 驚きの声を上げて、バフが前方に倒れる。密かに放ったボクの風撃弾が、奴の背中を直撃したんだ。ざまみろ!


「ぬぅ、なんのこれしき」


 再び、バフが起ち上がって、こちらへ一歩を踏み出す。もう、さっきの手は使えない。近寄って、斧で直接ボクらを殺す気だ。もう少し、もう少しなのに。止まれ、止まってくれ、一瞬でいいから。

 ――ボクの願いが通じたのだろうか、いきなりバフの動きが止まった。こちらを警戒して止まったのではないことは、その表情を見れば分かる。歯を食いしばり額に血管を浮かせながら、唸っている。何かが、それとも誰かが、バフの動きを封じているんだ。


「聖女様!」

「はいっ! 神の名の下に、悪しき因縁を断て、浄化の光!」


 光が、バフを包む。彼にまとわりついていた黒い瘴気が、聖女様の光によって浄化されていく。


「うぉぉぉぉっ! や、やめろぉぉぉ!」


 光に包まれながらも、バフは浄化を拒否するように身悶える。その反抗もやがて小さくなり、彼は床に片膝をついた。


「さぁ、穢れは消えつつあります。闘士バフよ、悔い改め神の前に身を投げ出すのです」


 聖女様の言葉に、バフは頷くように頭を垂れた。よかった、これで一安心――と思った次の瞬間。いきなり、バフの身体が膨れあがった。身につけていた甲冑が、ブチブチと音を立ててちぎれ、床へ落ちる。


「な、なにが起きている」

「そんな……悪しき心は浄化されるはずなのに」

「ありゃぁ、まるで、黒いカエルみたいじゃないかぁ」


 ボクらの見ている前で、バフは巨大な黒いカエルに変わった。まさか、あれが彼の正体だったのか?

 いつのまにか、聖女様の光は消えていた。ボクは、再び聖女様を庇うように立ち、ゆっくりと杖をバフ、いや元バフであったカエルの化け物に向けた。しばらく睨み合いが続く。


「ぐわぁぁっ!」


 化け物の放った大きな叫び声に、ボクたちは一瞬怯んだ。その隙を突いて、化け物が身を翻し、奥の通路へと逃げていく。逃がすものか。


「デイル、追うよ!」

「お~」


 ボクとデイルが走り出す後ろで、聖女様とルンナ先生も走り出した気配がする。危険だからここに残っていて――口元まで出かかったけど、そのまま飲み込んだ。

 ボクたち四人は、化け物が消えていった通路へと飛び込んだ。


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