マイルズ:悪意の夜

 季節は巡り、碧の季から朱の季、そして今は銀の季上の月。そろそろ冬籠もりの支度を始める頃になった。王都の御霊喰い事件も、ここ二月は話を聞かなくなった。噂では、神聖教会の聖女が、邪霊を退治したらしい。王も教会も公式な発表をしていないので、本当のところはどうか分からないけれど、学院の皆も聖女のお陰と感じていて、神聖教会の評判は高くなっている。


 王都は落ち着きを見せ、一方魔獣の方も出現頻度が下がった。今回で五度目となる魔獣討伐の遠征は、これが今年最後になる予定だ。最後ということもあって、今回はこれまでよりも少し奥まで進む。行程も二泊三日となり、食料・飲料などを運ぶために二人の人足も雇われた。ボクとデイルは、別の隊になってしまったけれど。


「やぁ、マイルズ。元気そうだね」

「ま、マーカス殿下! 殿下も討伐に参加されるのですか?」


 出発の準備をしているボクの背後から、声を掛けてきたのは誰在ろうマーカス殿下だった。殿下の後ろには、いつものようにヴァンオーグさんが控えている。


「私もアルも参加するよ。これでも一応学院の生徒だからね」

「少年、闘技会以来だな」


 ヴァンオーグさんが、手を差し伸べてきた。ボクはその手を握り返す。


「はい、ご無沙汰しています。ヴァンオーグさん。今度は負けませんよ」


「言うようになったな、少年。私のことはアルベルトでいい」

「はい、アルベルトさん」


 アルベルトさんは、笑いながらボクの肩を叩いた。なぜかちょっとドキッとした。


「魔獣討伐でも、成果を挙げているそうじゃないか」

「そんなことはありません」


「サニーからも、君の話を聞いているよ」


 マーカス殿下は、傭兵をご存じなのか。王家というものは、あまり下々の者とは接しない印象があったので、少し意外だった。


「彼は随分君のことを褒めていたよ、飲み込みがいいと」

「あ、ありがとうございます」

「そんなに硬くならないで、同じ隊なんだから。討伐も今回が最後になるだろうから、もう少しがんばろう」

「はい」


 じゃぁね、といって殿下たちは去って行った。去り際に、こちらを振り向いたアルベルトさんが、さっと手を挙げて挨拶してくれた。



 今回の魔獣討伐は、王都から北に少し離れた場所にある大森林だ。ここは、魔獣を生み出す迷宮の、隠された出入り口があるのではないかと言われている場所だ。まだ、誰もその出入り口を見つけた者はいない。

 王都から半日、森の入り口で装備を点検した後、森へと分け入る。もう五度目なので、慣れたものだ。


 実感として、魔獣は少なくなっている気がする。ただ、普段でも北の森は他の森よりも凶暴な魔獣が多い。何人も命を落としている場所なので、油断はできない。


 やっかいなのは牙猿。集団で襲いかかってくる上に、樹を上手く使って襲ってくるので相手が難しい。拓けた場所に誘導して一気に叩くのが、牙猿退治の常道だ。


「よし、広い場所に出たぞ! 真ん中で集まれ」


 今回も、軍からはサニーがやってきた。やはり、マーカス殿下とは旧知の仲らしく、言葉でなく手の形で意思を伝えたりしている。


「息を整えろ! よく狙って撃て!」


 サニーの指示で、それぞれが詠唱を口にする。


「ナウマク サンマンダ バザラダン カン、爆炎弾!」


 火球を作り出し、牙猿に向かって放つ。


「オン!」


 火球は、ボクの言葉とともに爆裂、小火球となって牙猿を遅う。


「おぉ、すばらしい制御だね、マイルズ」


 隣で火球を連続して撃っている殿下は、汗ひとつかいていない。さすがだ。ボクには、こんな余裕はまだない。


「まだ、まだです」


 魔法を制御しながらだと、答えるだけで精一杯だ。


「いやいや、すごい才能だよ。魔法が使えるようになって、こんな短い期間で上達するなんて。君もそう思うだろう、アル?」

「えぇ。そうですね。闘技会の時よりも上達しているように思えます」


 うれしいけど、集中できない。あ、失敗した。


 群れの大半を失って、牙猿の群れは森の奥へと消えていった。

 その後、森の奥へと進みながら、魔獣討伐は順調に続いた。


「そろそろ野営しよう」というサニーが告げたのは、地面から岩が覗く拓けた場所だった。ここで、ボクらは一晩を明かすことになった。

 森の中で拾った枯れ枝で、火を焚く。魔獣も獣と同じように火を怖れるが、念のため、交代で番に当たることとなった。この隊では最年少ということで、ボクが最初の番に立った。


 夜の森は、また違う表情を見せる。静寂のようでいて、枝のしなる音、葉が擦れる音、動物あるいは魔獣の遠吠え、さまざまな音が聞こえる。なんとなく寒気を感じたボクは、聖女ルシアからもらった杖を、胸の前でかき抱く。すると、温かく感じるから不思議だ。

 なぜ聖女は、ボクにこの杖をくれたのだろう? 確かに、この杖のお陰で魔法の成魚が前よりも楽になった気がするのだけれど、この杖にはもっと別の力が宿っているような気もする。


「少年、代わろう」


 炎を見つめていたボクに、アルベルトさんが声をかけてきた。


「ね、眠れました、か?」

「あぁ。何時いかなる場所でも寝ることができなければ、騎士たり得ぬよ」


 アルベルトさんが、ボクが椅子代わりにしていた倒木に腰掛けた。


「君も早く眠るが良い。明日が辛くなるぞ」

「はい、ありがとうございます」


 ボクは、岩のひとつに背を預け眼を瞑った。すぐに睡魔が訪れて、ボクの意識を奪い去っていった。



 突然肩を揺すられたボクは、ぼんやりと眼を開けて、桃源郷から連れ戻した相手をみようとした。


「やぁ、マイルズ。起こしてごめんよ」

「で、殿下?! なぜ、ここに?」


 暗くて良く見えないけれど、マーカス殿下が笑う気配がした。


「どうしても君に、君だけに見せたいものがあってね。少し、私のわがままに付き合ってくれないか?」


 そんなことを言われて、眠いからと断ることができる人間がいるだろうか? ボクは、マーカス殿下に言われるがまま、殿下の後ろを付いていった。

 しばらく歩いた後に辿り着いたのは、洞窟の入り口だった。高さは大人の背くらいだけど、横幅は馬二頭分くらいある。


「ここに置いたはず……あった。イグニス、炎よ顕現せよ」


 マーカス殿下が、洞窟の脇に置かれていた松明を取り上げ、火をつけた。


「お、お持ちします!」

「大丈夫。さぁ、中に入ろう」


 マーカス殿下は、松明を掲げながら洞窟へと入っていった。ボクも慌てて後を追った。

 入り口は狭かったけれど、洞窟の中は意外に広かった。


「足下に気をつけてね」

「はい」


 ゴツゴツした岩を避けながら、奥へと進む。どこかに穴があるのだろうか、弱いけれど冷たい風が吹き付けてくる。


 どのくらい歩いただろうか。いくつかの分かれ道を過ぎて、大きな横穴の前で殿下は立ち止まった。大人がふたり横に広がっても、十分に余裕がありそうな大きさだ。


「ちょっと待ってね」


 殿下が穴の壁に手のひらを置いて何か呟くと、壁が光を放ち始めた。


「魔光石だよ」


 魔光石は、魔力を込めると光を放つ石だ。貴重なので上流階級の一部でしか使われていない。伯爵家うちでも父の部屋と祖先の霊廟にしか置かれていない。それが、こんなにたくさん。


「すごいだろう? 以前の討伐行の時に、偶然、見つけたんだ」

「すごく、神秘的です」

「奥に、もっと面白いものがあるよ、見てきてごらん」

「はい。では失礼して」


 ボクは殿下に一礼して、穴の奥へと入った。穴の内部は、光る魔光石と光らない石が、まるで模様のようになっている。だが、しばらく歩いても、何もなかった。


「殿下、どのくらい先に――」

「アース ノーム タウロス 彼の者を束縛せよ、土の鎖!」


 地面から壁から、土の鞭が伸びてボクを縛った! 何をするのですか! そう叫びたかったけれど、口も塞がれている。魔法を使おうにも、詠唱ができない!


「“なんでこんなことを?”という顔をしているね?」


 ゆっくりと、身動きできないボクにマーカス殿下が穴の入り口から入って来た。


「あぁ、ちゃんと理由があるんだよ。私にとって大切な理由がね。でも、君が知る必要はないんだ。だって、君はこれから無残にも魔獣に食い殺されるんだから」


 ボクは必死で逃れようとしたけれど、土の魔法でできた鎖は微動だにしなかった。


「暴れても無駄だよ。安心して、すぐに死ぬことはないよ。私が直接殺しても良かったんだけれど、君はヴァンダイン伯爵の跡取りだからね、死因が調べられて犯人捜しになっても困るんだよ。だから、ここに縛り付けて、魔獣がやってくるのを待つことにしたのさ」


 なにか、どうにかして、抜け出すことはできないか? 死にたくない。まだ、ボクは何もできていない。


「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ君の身体を切らせてもらうよ。君の血に誘われて魔獣が来るはずさ。どんな魔獣が来るかな? できれば、苦しまずに逝けるといいね。さぁ、どこを切ろうかな?」


 剣を手にしたマーカス殿下が、一歩一歩、ボクに近づいてくる。あぁ、逃げられない。ボクはここで死ぬの?


『諦めるな!』


 そんな声が聞こえた、気がする。


「さぁ、覚悟はいいかい?」


 殿下が、いや、マーカスが剣を構える。歪んだ笑いを浮かべた彼が持つ、剣の切っ先がボクの喉元を狙って――。


「殿下っ! 何をされているのですかっ!」


 穴の入り口から、マーカスを制止する声が響いた。現れた人影は、アルベルトさんだった。


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