悠人:邪霊退散

 この国の為政者は、愚かでもバカでもない。

 国民に不安を与える事件を、放置はしなかった。ただ、相手が霊であったために、打つ手があまりにも少なかっただけだ。


 そこに神聖パラス教が協力を申し出て、本格的に軍を投入するような邪霊殲滅作戦が決行されることになったらしい。らしい、というのはよく知らないから。俺とゴース、サイラスは、エルの使い魔による通信で、詳細を知らされることなく城下へと向かった。


 街では、街角ごとに兵が立って警戒している。異常があれば、すぐに囲い込みができるよう配置されているのだろう。俺たち霊体と違って、邪霊の反応をすぐに感じ取れるわけではないから、こうして人海戦術に頼るしかない。それにしても、大変な労力を祓ったものだ。それだけ、被害が馬鹿にならないレベルになっているのだろう。


「今回は、のけ者にされたりしないからね」


 俺たちの前で息を巻いているのは、途中で追いついてきたバルガだ。


「仕方ないだろう、お前、王都にいなかったんだから」

「今夜だって、置いていこうとしたじゃないか!」


 そりゃまぁ、戦力にはならなそうだし。


「む? あそこじゃ」


 そんな時、邪霊の気配が現れた。街の南、住宅街の方向だ。


「行こう」


 俺たちは、気配の方向へ向かって飛んだ。


「はぁーい♡ お久しぶりぃ」


 途中でエルが合流してきた。


「久しぶりの外界だわ! 不謹慎だけど、楽しー!」

「ふぁっ、はじめましてっ! バ、バルガと申しますっ」

「あら。はじめましてぇ。エルよ。よろしくぅ」


 おいおい、魔女の魅力にやられているんじゃないよ、バルガ。


「バルガちゃんのような反応が当たり前なの。ハルトちゃんが変なの」


 やれやれ。バルガの様子を見て、ゴースはブツブツ苦言を垂れ流しはじめた。わかったから。今の目的は邪霊狩り。放っておいたら、守護している人間がやられる可能性だってあるんだから、ここは力を合わせようぜ。


 邪霊の気配は、とある邸宅からだった。大邸宅だが、四隅に配置された結界用の塔がひとつ破壊されている。壊れたことで邪霊が侵入したのか、侵入した邪霊が破壊したのか。いずれにせよ、今は結界が消えていて、内部から禍々しい瘴気があふれ出ている。今は、お食事中らしい。


「どうする? 突っ込むか?」


 俺の問いかけに、エルは「待って」と応えた。


「今、ルシアちゃんがこっちに向かっているから」


 しばらくすると、兵士が集まってきて、なにやら組み立てている。木でできた塔だ。


で、簡易な結界を作るつもりじゃな」


 なるほど、結界で邪霊を閉じ込めるつもりか。兵士の何人かは守護霊持ちで、自ら結界を張っている。中にはうろんな視線をこちらに向ける霊もいたが、ゴースの姿を見ると視線を外した。霊なら気配で察しろ。


 もぞり、と気配が動いた。どうやら食事が終わったらしい。


「聖女はまだか?」

「もうすぐよ」


 待っていてはくれないようだ。屋敷の天井から、闇が噴き出してきた。そして、徐々に人の形になっていく。でかい。現世で見た、お台場に置かれているロボットよりもでかい。

 いや、騙されるな。あれはカモフラージュだ。霊が自分をより大きく見せたいときによく使う手だ。修行は手を抜いていた俺だが、実戦経験は豊富なんだよ。


 邪霊は、結界を張っている兵を見下ろすと、黒い息を吐いた。霊体にとっては、嫌悪感を感じる程度だが、人体には何らかの影響があるらしい。黒い息を浴びた兵が苦しみだした。これはいかん。


「オン コロコロ センダリ マトワギ ソワカ、薬師如来よ、その力を顕現せしめ賜え」


 黒い息は、やはり瘴気の一種か。霧が晴れるように、消えていく。


「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」


 くうに印を切る。


「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度……」


 邪霊が苦しみだした。少し小さくなったようにも見える。俺の隣では、サイラスが弓を、ゴースが杖を構えている。詠唱が終われば、攻撃を邪霊にたたき込める。

 邪霊の身体が縮んでいく――だがそれは、弱っているからではなかった。奴は、変化したのだ。身長二メートルほどの、悪魔の姿に。


 巨大な角を持つ黒羊の頭に人間の上半身、背中には黒い翼。蹄のある獣の下半身に長い尻尾。キリスト教で語られる悪魔、バフォメットにそっくりだ。悪魔の姿ってのは、万国、じゃない万世界共通なのか?

 どうやらこいつは、実体があるらしい。手に持った巨大な鉈で、人々を襲い始めた。くそ、何か手はないか。


「あれは、古の昔に数多くの国を滅ぼしたという悪魔の姿だ!」


 バルガが叫ぶ。博識だね。ついでに倒し方も教えてくれよ。




「お止めなさい!」


 幼いけれど、凜とした声がその場に響いた。悪魔が兵を襲う手を止め、ゆっくりと後ろを振り向くと、そこには一台の馬車があった。そして馬車の上には、聖女がすっくと立っていた。


「悪しきモノよ、醜きケダモノよ。いつにしてゆいなる神パラスに代わり、我、ルシアが命ずる。冥府へと消え去れ」


 ルシアの身体から、光が放たれる。あぁ、これは霊力の光だ。霊波だ。霊になると、こんな風に見えるのか。

 いつの間にかエルがルシアの後ろに立ち、同じような祈りのポーズをしている。普段とは違う、真剣な顔つきだ。


 聖女の放つ光を浴びて、悪魔の姿をした邪霊は苦しみだした。良く見ると、身体のあちこちが溶け出している。すげぇな。


「グァッ!」


 悪魔は、持っていた鉈を聖女目がけて振り下ろした! が、鉈は空中で縫い止められたかのように止まった。悪魔は、大きく後方へ飛び退くと、背中を向けて逃げようとした。


「逃がすかっ!」


 サイラスが放った矢が、悪魔の背中に突き刺さった。実体から霊に戻っているようだ。ならば。


「ノウマク サンマンダ ボダナン キャナヤ バンジャ ソハタヤ ソワカ、願い奉る、粉砕!」


 馬頭観音呪の力を、悪魔に叩きつける。ぐしゃり、という音と共に、末期の声が聞こえた。どうだ? 俺は気配を探る。何もない。

 聖女の方を見ると、エルが笑いながら手を振っていた。どうやら、浄化できたかな?


「あれも分体だったのでしょうか?」

「分体で実体化できるほどの力を持っておるとは思えん。おそらくは、あれが邪霊の本体じゃろう」

「ならいいんですけどね」


 その時の俺たちは、まだ本当のことを知らなかった。


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