悠人:霊体修行

 俺はマイルズから離れられない、と思っていた。


「なに、儂ら守護霊と守護する者の繋がりは、そうそう容易に切れるものではないよ」


 ゴースに教えられ、少しずつ、マイルズから離れる方法を学んだ。肝心なのは、イメージだ。俺は、二人の繋がりを最初は船が係留される時に使うようなロープ、それを徐々に細いロープへ、さらに細いワイヤーへと代えていった。そのたびに、マイルズから離れることができるようになった。

 壁や天井、床でさえも、霊にとっては障害にならない。最初は現世での先入観が邪魔をして壁や天井を抜けるのに苦労したが、そこは祓い屋としての知識が役に立った。現世でも、霊たちは壁をスルスル抜けていたからな。

 そうして俺は、マイルズの部屋から外へ出ることができるようになると、この世界の観察に努めた。


 夜に昇る月はひとつ。だけれど、現世の月のように大きくはない。ちくしょう、五円玉があれば確認できるんだが。

 星は、いっぱいあり過ぎてわからん。キリスト教の悪魔祓いエクソシスト連中ともつき合いがあったから、多少、星の運行や星座の知識もあるが、まったく当てはまらない。ここが異世界だと、改めて思い知らされる。少なくとも地球じゃない。


 寮の屋根まで出た後、空中に浮かぶのは少し怖かった。ここだけの話。いや、これまでも浮いていたのだから、飛べるのも当然なのかもしれないけれど、部屋の中と外じゃ感覚が違う。


 それでも、何日か掛けて自由に飛べるようになった。アイキャンフラーイ。


「かなり動けるようになったのぅ」

「あぁ、ゴースのおかげだ」


 そんなある夜、俺が結跏趺坐で浮かんでいるところに、ゴースが現れた。ゴースの隣にもう一体の霊。バルガだ。


「その格好も、キミの世界のものかね?」


 学者を名乗る霊バルガは、魔法医ルンナの守護霊だ。スレンダーなルンナ先生に対し、バルガはガリガリに痩せこけた背の高い男だった。なぜか白衣に似た上着を着ている。こっちにも白衣があるのか?


「そうだ。瞑想する時にとる姿勢だよ」

「ふむふむ」


 俺の真似をしたバルガは、「なんだかムズムズする」といって、すぐに足を解いた。霊体だぞ、そんな感触あるわけないだろ。


「いや、意識をすれば、感じることはできるぞ? 訓練すれば、物に触ることもできるぞ。どれ」


 そういって身を翻したゴースは、水に潜るように地上へと降り、一本の樹の枝から青々とした葉を一枚、千切って持ってきた。


「このくらいは、容易にできる。ほれ」


 差し出された葉っぱは、しかし、俺の手を通り抜けてひらひらと地上へ落ちていった。


「何事も修行じゃよ」

「そうだな」


 バルガが眼を爛爛とさせて、近づいて来た。


「詳細に記録を残したまえ。異世界の霊がどのように学習していくのか興味深い」

「あーうん。記録を残すといっても、紙に書いたりできないから、できるだけ覚えておくよ。ビデオとかあればいいんだけどな」

「ビデオ? なんだそれは?」


 何気ない言葉に、バルガが食いついてきた。そうか、この世界にはビデオがないのか。


「えっと、動画を撮る――っても分からないか、連続して絵に残す機械だよ」

「何んと! そんなものがあるのか! 是非みたい、持ってきてくれ」

「だから、それは前の世界の話だし、霊なんだから持ってくることもできないし」


 ううむ、と唸ったバルガは、何か思いついたように顔を上げた。


「融合を試そう」

「融合?」

「あぁ、私とキミが融合することで、記憶や意識を共有――」

「これこれ、バルガよ。何を危険なことをさらっと喋っておるんじゃ」


 ゴースが慌てて、俺とバルガの間に入ってきた。


「危険なのか?」

「たしかに融合は、意識を重ね合わせ記憶を共有することができる。しかし、どちらかの意識に飲まれてしまう危険性が高い。もし融合に失敗すれば、飲まれた方の自我はなくなってしまうのじゃ」

「あっぶねーなぁ。やらねーぞ、絶対」


 バルガは残念そうにブツブツと呟いている。ヤバいなこいつ。つき合い考えよう。

 そうだ、ゴースに聞きたいことがあったんだ。


「なぁ、ゴース。不思議に思っていることがあるんだが」

「なんじゃね」


 バルガは少し離れた場所で無関心を装っているが、ありゃこっちを盗み聞きしてるな。別に聞かれても困ることじゃないからいいが。


「なんで俺たちが会話できるのか、ってことだよ」

「ん? それのどこが不思議なんじゃ?」

「ここは明らかに俺が生きてきた世界とは違う世界、異世界だ。当然、言語体系も違うはずだ。しかも、俺たちは霊だ。なのに、どうしてこうやって言葉を交わすことができるんだ?」


 ふむ、とゴースは顎を触りながら「これは仮説じゃが」と前置きして話し出した。


「そもそも、儂らは言葉を交わしてはおらんのじゃ」

「え?」


 いや、現実にこうして会話してるじゃないか。


「それは、ワタシが答えてあげよう」


 バルガがすっ飛んできて言った。やっぱり盗み聞きしてやがったか。そんな俺の感情などに関係なく、バルガは熱く語り始めた。


「生きている人間は、口を開いて声を出すことで意思を伝え合う。が、我々霊体は、声を出すことができない。声帯という器官が実在しないからね。私たちが声として聞いているのは、霊波、精神波、意思の波動、呼び方はいろいろあるが、“相手に伝えたい”という意識そのものだ。喋っている、聞いているという行為は、人間であった時の習慣でしかないのだよ」

「なるほど。声帯がないから空気を振動させることもできない、か」

「キミは、声が空気の振動だということを知っているのかねっ!」


 おっと、余計なこと言っちまった。話が長くなりそうだから、無視しよう、無視無視。


「えーっと、つまり、俺たちは会話しているんじゃなくて、意識を交換している、ってことなのかな?」

「そういうことになるな。ワタシはこの国の言葉で喋っているつもりだし、キミもこの国の言葉を喋っているのだよ、ワタシにとってみれば」


 上手い具合に、脳が情報を変換してくれているってわけか。


「あ、でもマイルズやその他の生きている人間の声も、俺の元いた世界の言葉に聞こえるぞ? それはなんでだ?」

「うーん、それは」


 さっきまで得意満面に説明していたバルガが、急に大人しくなった。バルガの後を、ゴースが引き取った。


「そこで、仮説の続きじゃ。一つ目の仮説は、お主が生きている人間の意識を、無意識のうちに読み取って言葉に変換している。二つ目は、お主がこちらの世界に来た時、なんらかの変化によってこの国の言葉が理解できるようになった。三つ目は、神か精霊からの贈り物じゃ」


 最後のはおいといて。


「そういえば、この世界の文字は模様にしか見えないんだけど、意味を読み解くことはできるんだよなぁ」


 でも、それはどっちの仮説でも当てはまる。


「やっぱりワタシと融合してみよう。そうすれば何か分かるかも」

「いいえ、結構です!」


 考えても仕方がないので、そんなものだと考えることにした。やばい、ゴースの三番目仮説に近いじゃないか。せめて、仏のご加護、ってことにしておこう。

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