悠人:現状把握
あー、びっくりした。
完全に目が合った、と思ったけれど、少年は俺に気が付かずそのまままた横になってしまった。やっぱり、俺、死んで霊になっているんだなぁと、深くため息をついた。ため息の音はするけれど、息の流れは感じない。不思議な感じだ。
少年が身体を起こして周囲を見回している間、思わず息を殺して身を小さくしてしまったが、よく考えれば、俺は何も悪いことしていないよな。不法侵入ではあるかも知れないが、こっちからすれば拉致されたようなものだし。うん。俺は悪くない。
しかし、これまで祓う側だった人間だったのに、今度は祓われる側になってしまうとは。これも何かの因果なのか。
そんなことをクドクドと考えていても仕方ない。とりあえず、外の様子がどうなっているのかを見てみようか……。
移動できない。
いや、動けはするのだけれど、移動できるのは少年を中心に半径五メートル程度の範囲だけだ。つまり、俺は少年の背後霊、あるいはベッドの地縛霊になってしまった可能性がある。
ベッドの地縛霊はいやだなぁ。ずっと他人が寝ているところを見続けるのは、もはや拷問だろう。いつまで続くのかは分からないが。
移動ができないなら、物体は動かせるだろうか? 物が動かせれば、少なくとも生きた人間と意思疎通ができるはず。ベッドサイドのランプに手を伸ばしてみる。
……触れない。
ランプを触ろうとした手は、なんの抵抗も無くすり抜けてしまった。火に手が近づいたのに熱くもない。
あぁ、くそっ! これは詰んだな。何もできない。
いやまて、良く考えろ。これまでに祓ってきた
おわっと!
なんとなく差し出した俺の手が、少年の身体に触れたとたん、鮮明なイメージが俺の中に流れ込んで来た。これは、この少年の記憶か? まるでVR映像を見ているような感じだが、音が聞こえない。フルカラー総天然色サイレント映画だ。
………………
…………
……
これは、今日のできごとか。
音は聞こえなくても、なんとなく少年の感情が伝わってきた。感情が伝わるサイレント映画だ。
俺は、口よりも先に手が出る
自分とは違う、他人の感情が流れ込んで、それに流されるなんて。くそっ。なんでこんなことに。歯痒さばかりが残る。これは過去の出来事で、俺にはどうしようもできないが、それが分かっていても、なんとかしたい。そんな気持ちになる。
気が付けば、夜が白み始めていた。
眠くないし、そういえば腹も減ってない。霊だからか。うーむ。これは便利、なのか? そういえば、霊は何を喰っていたんだろうなぁ。現世では気にも留めなかったが。
外から鐘の音が聞こえてきた。聞き慣れた寺の鐘ではなく、教会で鳴らすようなゴリーン、ゴリーンとなる鐘だ。そういえば、ハンドベルのような手持ちの鐘を使う祓い屋もいたっけ。音が魔を祓う、場を浄化するとか言ってたな。ふむ。とりあえず俺に影響はなさそうだ。
おお、少年が目覚めた。早起きだな。子供ってのは、母親が起こすまでは布団に入っているもんだと思ったが。そういえば、母親は呼びにこないのか。随分と自立した坊主だな。……いや、違う。記憶にあった。ここは学校の寮みたいな場所だった。寮にしてはずいぶんと広く贅沢な造りだとは思うが。
少年が、ベッドがら下りて身支度を始めた。子供の裸を愛でる趣味はないので、背を向けておく。別にやることもない。ただ浮かんでいるだけだが。
そういえば、脚は? と思って下を良く見ると、ちゃんと二本の脚が見えた。おう、よかった。半透明に透けていることを除けば、五体満足だ。動かすこともできる。まぁ、フワフワ浮いている状態なんで、動かせても意味はないが。
ノックの音が聞こえ、少年が『入れ』と応えた。ずいぶんと偉そうだな、子供なのに。入って来たのは、三十くらいの痩せた女だった。灰色の服に前掛けを着けている。女中さん?
『おはようございます、ヴァンダイン様。朝食は如何いたしますか?』
『おはよう、マーシア。あまり眠れなかったので、軽い物をなにか』
あ、“寮付きメイド”という単語が浮かんできた。この寮に住んでいる学生の世話をしている人らしい。この少年が上から目線なのは、学校に雇われているからか。
『かしこまりました』
そう言ってマーシアが部屋を出て行くと、少年はサイドテーブルにあったランプ? ランタン? を手に取る。それを壁際の机の上に置くと、なにやら底の方をいじった。
いきなり、明るくなった。ランプの下についているつまみは、ボリュームみたいなものだったらしい。今時、LEDランプを使っていないなんて、どんな辺鄙な場所なんだ。そういえば、天井に照明器具もないし、テレビもパソコンもない。スマホすらないって、どんな禁欲生活なんだ。さっきの鐘といい、ここは修道院か何かか?
ん? んん? んんんっ?
いや、それはおかしい。少年の記憶を体験した限りでは、学校は結構な大きさのようだった。それなのに、図書館の照明は壁に嵌め込まれたランプだけだった。それだけじゃない、パソコンやコピー機もなかった。いくら辺鄙な場所でも、百年、二百年前の設備しかないなんて、そんな学校があったら話題になっていなければおかしい。
そんなことを考えていたら、いつのまにか少年は本を開いて読み始めている。まだ明け方、ランプの明かりがあるとはいえ、こんな薄暗い中でよくもまぁ、本を読めるなぁ。よほど本が好きなんだろう。
おや? そういえばいつの間にか、ベッドから離れて、さっきまでたどり着けなかった机の近くに来ている。どうやら、ベッドの地縛霊ではなかったようだ。少し安心した。
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