マイルズ:不思議な気配

 ボクの名前は、マイルズ・ヴァンダイン。


 王都にあるザルダン学院の四回生。

 ザルダン学院は、何人もの優秀な魔法使いを輩出している、我が王国の名門校だ。学院ここの魔法学部に在籍しているというだけで、それは優秀な人間ということになる。――残念ながら、ボクの所属は普通学部だ。なぜなら、ボクは魔法が使えないから。


 この世の中には、魔法の使えない人間は多くいる。おおよそ七割くらい? でも、ボクのようにまったくちっとも、一瞬でも魔法を使えないという人間は珍しい。百年以上前なら、生きた標本として調べ上げられ解剖され、最後にはバラバラにされた身体を薬液と一緒に瓶詰めにされて倉庫に眠らされたかも知れない。


 そんなボクでも、王都でも名門と言われるこの学院に入学できたのは、ボクがヴァンダイン家の一人息子、つまり将来、ヴァンダイン伯爵の名を継ぎ、領地を経営していくことが決まっているからだ。伯爵には伯爵としての、爵位に見合った経歴が必要ということ。たとえ魔法が使えない、“能なし”であっても。


 救いだったのは、ボクの知識欲や好奇心が、尊厳プライドや見栄よりも大きく強かったことだ。学院の図書館は、知の宝庫、王国千年の叡智の集積場所だ。そんな場所に居ることができるなら、能なし呼ばわりされても気にならない。まぁ、多少は傷付くけど。


 図書館に籠もっているおかげで、座学の成績は学院でも上位だ。これまで二年連続で優秀生徒に選ばれている。去年は最優秀生徒の栄誉に恵まれた。身体を動かす方の成績は、ずっと低いけどね。


 だから、ボクは図書館で本を読んでいることができればそれで幸せだったし、他人には干渉して欲しくなかった。でも、世の中は上手くいかない。


「おやおや、伯爵様は今日も部屋に籠もってお勉強かなぁ?」


 相手が誰なのかすぐにわかったけれど、声の聞こえた方を振り返ってみる。、ニッケル・ヴァンドロアと、奴の取り巻き凸凹コンビだった。ヴァンドロア子爵家の三男坊で、ボクと同じくザルダン学院四回生――でも、ニッケルは魔法学部だ。


「なにか、用?」

「あ? 用がなくっちゃ声もかけるなってことかよ? 伯爵さまぁ?」


 ボクの父親は伯爵、ニッケルの父親は子爵。本来なら、ニッケルはこんな口調でボクに話しかけることは許されない。しかし、学院内では爵位は関係ない(ことになっている)し、そもそもボクも奴も爵位は持っていない。ボクは、爵位を笠に着るつもりはない。でもだからといって、ニッケルみたいな奴に言われっぱなしにしたくもない。


「そんなこといってない。それに、ボクは伯爵じゃないし、部屋に籠もってもいない」


 籠もっているのは図書館だ。


「どうでもいいんだよ、そんなこと」


 そうさ、奴はボクを虐めたいだけだ。

 なんでニッケルがボクを虐めたいのか――そんなこと知りたくもないけれど、どうやらそれぞれの父親が関係しているようだ。ボクらの父親も、やはりザルダン学院ここで同期生だったらしい。ついでに言えば、ボクの母もここの卒業生だ。でも、そんなこと関係ないだろう? 親は親、子供は子供なのに。ニッケルにはそれが分からないようだ。


 迫害者ニッケルは、数歩でボクの前に立った。同い年なのに、奴の方が一回りも二回りも身体が大きい。取り巻き二人は、左右に分かれてボクの逃げ道を塞いでいる。まるで、打ち合わせしたみたいだ。


「いつもいってんだろ? お前の顔が気に入らないんだよ、


 ボクは言い返さない。言い返せないんじゃない、言い返さないんだ。


「なんとか言ったらどうだよ、伯爵サマ」


 ニッケルがボクの肩を小突く。奴も本気でボクを殴ろうとは思っていないだろう。いくら学園内の出来事、まだ清神前の子供だとしても、子爵の子弟が伯爵の跡継ぎに怪我でもさせれば、どんなことになるか。誰だって分かる。そのくらいの分別はあるはずだ。

 そう思っていても、奴が腕を振り上げれば、ボクは反射的に歯を食いしばり目を瞑ってしまう。


「何をしているんだ」


 涼やかな声が、ボクたちの間に割って入った。この声は……。


「で、殿下……」


 ニッケル(とその取り巻き)が、慌てて居住まいを正す気配が伝わってくる。ボクを慌てて姿勢を正す。眼は伏せたままだ。


「ニッケル・ヴァンドロア。私は“”と聞いている。私の問いに答えられぬのか? それとも、答えたくないのか?」

「い、いえ、そのようなことは……」


 声は高い場所から聞こえる。あぁ、騎乗したままなのだろう。当然だ。


「た、戯れていただけでございます」


 ニッケルの声は、今にも消え入りそうだ。ざまを見ろという気持ちよりも、こんな所をあの方に見られてしまったことが恥ずかしい。顔が上げられない。


「戯れか……君は時折、戯れが過ぎるようだな。我々若輩なる者は、すべからく勉学に励む時期だと、私は考えるのだがね?」

「は、はっ、まったくその通りでございます。面目次第も」

「ならば、とっとと校舎に戻り給え」

「はいっ!」


 ニッケルたち三人が、走り去っていく。ボクも、この場を離れたかった。


「災難だったな、マイルズ・ヴァンダイン」


 あの方が、馬から下りてこちらへと歩み寄ってくる。


「何をそのようにかしこまっている? 顔を上げたまえ」


 そう言われて、顔を伏せたままにできるほど、ボクは神経が図太くはない。ゆっくりと顔を上げると、そこには、金髪の貴公子が立っていた。大きな瞳は、宝石のような翠色。きりりとしまった唇は、強い意志を感じる。マーカス・スウィーフ・マリノ殿下。この国の第二王子。


「あ、ありがとうございます。マーカス殿下」

「礼を言われるようなことはしていないよ。なぁ、アル」

「私たちは、散策に出て後輩たちに出会った、それだけです」


 殿下が話しかけた、騎士はアルベルト・ヴァンオーグ。オーグ流剣術の達人にして、将来はオーグ流総帥となる人。女性と間違われるほど美しい顔立ちをしているが、剣を執らせれば近衛騎士団団長とも互角に渡り合えると言われている。マーカス殿下の学友にして護衛だ。学院内で、彼ら二人に憧れない者などいない。


「そういうことだ。私たちはたまたま会っただけ、だろう?」


 殿下は、気さくにポンポンと私の肩を叩く。あぁ、消えてしまいたい。恥ずかしさで、顔が熱い。そんな顔は見られたくないから、ボクは顔を上げられない。


「今日も勉学に励んでいるようだね、マイルズ。頼もしいね。君には将来、私の補佐になって欲しいと思っているのだよ」

「もったいないお言葉です。しかし、ボク、いえ、私は魔法が使えません」


 ボクが魔法を使えない、能なしであることは、学院の誰もが知っていることだ。殿下がそれを知らないはずはなく。たぶん、ボクをからかっているのだろう。


「それがどうした? ボクは君の明瞭な思考、そして知識を買っているのだよ。学院内でも君ほど頭脳明晰な者はいないと思っている」

「あ、ありがとうございます」

「うん。だから、負けずに頑張るんだよ、いいね?」

「はい……」


 ボクは顔を伏せたまま、小さく答えた。でも、少しだけ嬉しかった。



 学院内にある寮の部屋は、図書館以上にボクに安らぎを与えてくれる場所だ。勉強部屋と寝室がひとつになっているため、ヴァンダイン伯爵領にある屋敷の部屋よりも狭いが、勉強するにはよい環境だと思う。

 この部屋に入ることができるのは、ボク以外だとマーシア、それに寮母、寮監くらいのものだ。ニッケルたちとはそもそも建物が違う。ここで階級の違いが出てくる。伯爵家の者が、下位の者と同じ屋根の下で寝食を共にすることはない。

 矛盾だな、と思う。それなら、ニッケルたちと会わずにいられるようにして欲しい……いや、それは逃げだな。将来、父の爵位を継いだとき、嫌な相手だからと逃げる訳にはいかない。予行演習というには、少し辛すぎるけれど。


 寝台横の物置台に置いてあるランプを手に取って、螺旋ねじを回す。こうすると、絞り金口から出ている芯が短くなって、暗くなるという仕組みだ。ヴァンダイン領の技師が作ったものだが、なかなか良い細工をしている。父は、魔法に頼らない製品の開発を奨励している。――ボクが魔法を使えないと分かってからは、よりいっそう。


 寝具に潜り込む。ゆったりした綿の布団に包まれると、どっと疲れが押し寄せて、ボクはすぐに夢の世界へ落ちていった。


「!」


 突然、目が覚めた。

 何か、不思議な感覚を覚えたから。誰か、何かが自分の傍にいる――そんな感覚。


 部屋を見回してみても、ボク以外に誰もいない。子供の頃に聞かされた、夜更かししている子の魂を食べに来る悪霊の話を思い出したけれど、もう、そんな話で怖れるような歳じゃない。

 気配はまだある。でも、なぜか悪いモノには思えなかった。

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