背後霊は忙しい

水乃流

悠人:破折調伏

 俺の名は、慈恵院悠人はると


 もちろん本名じゃない。仕事で使う名前、ビジネスネームって奴だ。仕事は、俗に言うところの“祓い屋”、“拝み屋”。最近じゃぁ格好よく“退魔師”なんて名乗る奴もいるが、俺の柄じゃない。祓い屋ってのは、簡単に言えば霊的なトラブルを解決する仕事だ。

 うさんくさい? まぁ、そうだろう。この業界、インチキが溢れているからな。依頼する方だって、勘違いと思い込みがほとんどさ。そんな勘違いや思い込みのケアも、仕事の一部ってこと。それすら行わない、ゲス野郎どもも多いから気をつけろよ。


 俺? 俺は一応、かなりまっとうな部類の祓い屋だからね。子供の頃から、霊的な修行もさせられてきたし、本山にも認められているよ。もちろん、本山あっちは表だっては認めないけどね。真面目に務めていたか? と聞かれると困るが、それなりに経験は積んできたし、実力はあると思う。思いたいな。


 ついさっき、思い込みと勘違いキばかりと言ったけれど、そうでないことも稀にある。今、まさにそんなを引き当てちまったところだ。


 ガン! と腹に響く鈍い音がした。


 俺は錫杖を両手で持ち、振り下ろされた巨大な木剣を受け止めていた。木製なのに、やたら堅いし重い。一撃一撃が、恐ろしく重い。こんなの受けていたら、そのうち腕が折れちまう。


「正志っ! 生きてるかっ!」

「はいっ! 師匠!」

「よし、アレをやる! 準備しておけ!」

「はいっ!」


 俺の弟子を自称する正志が、元気よく答える。その腕の中には、気絶した子供を抱えている。生け贄だか、人身御供だかにされ書けた子供だ。その子を護るという使命があるから気丈に振る舞っちゃいるが、その声色は少し恐怖に震えている。正志も俺についてそれなりに場数を踏んでいるが、まだまだ修行が足らんな。悪霊やつらは、そんな弱さを突いてくる。時間をかけるのは、避けた方がいいな。

 俺は、悪霊の憑依した阿仁像が振るう木剣を受け流し、後方に跳んで距離を取ると、懐から取り出した最後の護符を床に貼り付けた。これで準備は完了。床に手を当て、グッと霊力を込める。

 

「霊縛八方陣!」


 八つの方角それぞれに配置した護符が、俺の霊力を受けて光を放ち、阿仁像を光で捕縛する。俺のオリジナル法術、と言いたいところだが、祓い屋仲間の姉ぇちゃんが使う技をアレンジしたものだ。護符を配置するまでが手間だが、その分強力だ。


「今だ!」

「はいっ!」


 正志が子供を抱えるように、阿仁像の横をすり抜けようとした。その瞬間、手のひらの中で、何かが割れる感触があった。くそ、束縛結界を破りやがった!

 阿仁像が体をひねり、手に持った木剣を正志たちに振り下ろそうと振りかぶった。弟子の危機に、俺の能力のひとつ、〝高速モード〟が発動した。人生で三度目の高速モードだ。能力という割には、自分で好きなときに発動することはできず、しかも高速になるのは思考速度だけ。つまり、身体はゆっくりとしか動かない。


 高速モードの俺には、すべてがゆっくりと動いているように見える。正志はまだ、自分の頭に向かって振り下ろされようとしている木剣に気がついていない。俺は、錫杖を突き出すようにして、正志と阿仁像の間に潜り込もうと身体を動かした。くそ、空気が重い。だが、このタイミングなら、木剣を錫杖で下から払いのけることができる。俺は、錫杖を思い切り振り上げた。


 だが、錫杖は木剣には当たらず、空を切った。阿仁像の野郎、振り下ろす腕を途中で止めやがった。フェイントかっ! そんな知能があるとは見えなかったが、奴は正志たちを攻撃すると見せかけて、俺に向かって剣を振り下ろしてきた。

 俺は、振り抜いた錫杖をその勢いのまま片手で回転させた。頭上で構えることができれば、体勢は悪いけれどなんとか直撃は避けられるはず。間に合うか? 間に合った!


 ところが、阿仁像の野郎、剣をまっすぐ振り下ろさず、途中で手首を返してきた。完全に物理法則を無視した、人間には不可能な動きだ。これだから霊の相手は嫌いなんだよ。

 木剣が、もろに俺の横っ腹に食い込んでくる。高速モードのデメリットは、肉体に受けた痛みが通常より長く感じられることだ。人外の力でなぎ払われた剣は、俺の筋肉を切り裂き、あばら骨を砕いていく。その痛みがずっと続くんだよ。想像できるか?


 と、俺の苦痛に反応したのか、高速モードが突然終了した。その瞬間、俺の身体は、横様に吹っ飛び、木の壁に激突した。

 だが、俺もやられてばかりじゃない。奴の剣が俺に当たる直前、右手で独鈷杵を思い切り投げつけてやった。俺の霊力を込めた仏具は、阿仁像の額に直撃した!


「師匠ッ!」

「来るなッ!」


 叫ぶだけで、体中が悲鳴を上げる。俺は、壁を背に、錫杖を杖代わりにしてなんとか立ち上がった。あー、肺をやられたな、こりゃ。

 阿仁像に向かって構え、小声で真言マントラを唱える。奴は、こちらへとゆっくりと振り向き……そのまま、膝から崩れ落ちていった。阿仁像に取り憑いていた霊の気配が、スゥーっと消えていく。独鈷杵が、よい仕事をしたようだ。


 もうもうと立ちこめる埃をかき分けるようにして、正志が俺のそばにやってきた。


「師匠ッ! 手当を!」

「俺のことはいい。お前はあの子を連れて逃げろ。村に戻ったら、応援を連れてこい」

「でも……」

「師匠の言うことが聞けないのか? いいから、行け」


 正志は、こちらを振り返りながらも、俺の指示通り子供を連れてこの朽ち果てた堂から出て行った。あいつの脚なら、三十分もかからず村へとたどり着けるだろう。


「さて……いい加減、出てこいや」


 ゆらり、と動く気配がした。やっぱり居やがったか。半分、当てずっぽうだったんだけどなぁ。


〝愚かなり。もはや抵抗する力もあるまい?〟


 なんだ、会話までできるのか。随分と力のある悪霊だな。陰に隠れて阿仁像に取り憑いた霊を操っていたか。俺の霊縛陣を破ったのもこいつだろう。いい性格してるぜ。正志を逃がしておいて、大正解だ。

 まぁ、奴の言う通り、ほとんど力は残っちゃいないが、抵抗できない訳じゃない。


「オン アボキャ ベイロシャノウゥ――うぐっ、ぐはっ!」


 真言マントラを唱える途中で、気管に逆流してきた血を吐き出した。くそ、もう少し……。


〝もう、命の灯火も消えかけておるのぅ、くっくっくっ、くやしかろう? お前の弟子が戻ってきたら、取り憑いてやろうかのぅ〟


 言ってろ。思い通りにさせるかよ。奴の依り代はどこだ? 依り代をぶっ壊して成仏させてやる――霞む視界の端に、何かが見えた。古びた兜……あれか! 俺は、力を振り絞って、言葉を絞り出す。


「マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ……」


 集中しろ、集中しろ。


「ハラバリタヤ――――ウンッ!」


 俺の吐き出した血が、霧となって空気中に渦を巻く。


〝な、なにを――うぉぉっ!〟


 血が、俺の霊力を込めた血が浄化の火を放ち、隠れていた悪霊の依り代、兜を燃やす。


 ――旋風、血炎爆。


 光明真言を介して大日如来の力を借りた。魔を払う炎となった俺の血が、依り代ごと奴の魂を削り取り、消し去っていく。

 これで奴を浄化できただろうか? いや、無理だろうなぁ。生きている人間と意思疎通できるような霊が、この程度でどうにかなるとは思えない。まぁ、だいぶ削ってやったとは思うけどね。

 

“な、何をしたぁぁっ! くぞっ! 許さん! 許さんぞぉぉっ!”


 どすっ、というくぐもった音が、近くで聞こえた。

 視線を下げると、俺の胸から木の棒が生えていた。あぁ、仏像の破片か。そんなことをしなくても、俺の身体はもう何も感じやしねぇよ。辛うじて意識が残っている……てい……ど……。


 俺の身体の中から、俺はゆっくりと引き剥がされていく。


 幽体離脱は、初めての経験じゃないが、死ぬときにもこうして霊魂が離脱するのか。


 胸に仏像の破片を生やしたまま、うなだれるように頭を垂れている俺自身を、俺は空中から見下ろす。不思議な感覚だが、これで世の中のしがらみや束縛から解放されるのだと思うと、そう悪くは感じなかった。


 霊魂の視覚で見回すと、銅の中は不思議な光と色に溢れていた。血炎爆の影響だろう。俺は、そのまま天井に向かって昇っていく。振り返れば、天上の光が降り注いでいるはずだ。

 もう少し真面目に修行していれば、死なずに済んだかな? いやいや、俺は真面目に修行なんてタマじゃない。それでも祓い屋としては二流の俺が、ここまでがんばったんだ。お師匠様も許してくれるだろう。先に行って、待ってますよ。

 正志には、あまり修行をつけてやれなかったが、才能はあるんだ。こんな生臭な師匠よりも高野おやまのエリート……円角とか司璋とか、九州の宗像姉妹でもいいな。がんばれよ。


 あぁ、もうそろそろだ。辺りが光に満ちている。もう堂があんなに小さく見える。


 わずか三十八年間だったけれど、俺の人生、捨てたもんじゃなかったな……と。いきなり横から強い力で! 痛みとかは感じないけれど、強い力を感じる。引き寄せられる先には、光ではなく、闇が渦を巻いて。くそっ! 悪い予感しかしねぇっ! 霊体の俺は、なんとか黒い渦から逃れようとしたが……そこで意識が途切れた。


………………


…………


……


 気が付くと、そこは見知らぬ部屋だった。部屋だってことは分かるが、なんだか薄暗い。


 「どこだ、ここ? 暗くて良く見えないな」


 誰かが俺の言葉を聞いていたのか? というくらいのタイミングで、部屋の中が徐々に明るくなっていった。まるでリモコンでテレビの明度を上げて行くみたいにゆっくりと。 しばらくすると、周りの様子が見えるようになった。部屋の中だ。俺が暮らしていたボロ寺の宿坊より広くて整理されている。木の柱に一部石が顔を覗かせているモルタル? の壁、棚も机も木製だ。全体的に日本っぽさがない。イギリスとか北欧の雰囲気か? 行ったことないけど。灯りは、サイドテーブルの上に置かれたランプの光だったようだ。なら、今のこの光はどこから?


 そんな疑問も、下を見た時に霧散した。


 俺の足下には、ひとつのベッド。その上にはひとりの少年が毛布らしきものを掛けて寝ていた。金髪の、小学生くらいの子供だ。俺は、その子を上から見下ろしている……ってことは、俺、浮いてる?

 慌てて自分の身体を確認すると……なんだこれ、背景が透けて見える。ちょ、ちょっとまて、待て待て待て。


 えーと、古びた堂で怨霊を払おうとして、全力尽くして死んだんだよな? うん、間違いない。俺は死んだ。で、今は、こんな半透明の幽霊みたいな姿に、って、じゃない、霊そのものじゃねーかっ!


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