マイルズ:人生の分岐点

 夜、寝台で横になっていると、誰か/何かの気配を感じることがあったけれど、それ以外は平穏な日々がしばらく続いた。


 魔法が使えない分を、知力で補う。歴史上には、魔法が使えない領主だっていたし、領主として統治するために必ず魔法が必要ということでもない。そんなボクを、父上は応援してくれている。ボクが魔法を使えないと知った時、父上はどれほど落胆されただろう。でも、父上だけじゃない、母上も城詰めの者たちも領民の皆も、そんな悲しみなどみじんも見せず、ボクに愛情を注いでくれた。


 ボクが魔法を使えないと知ったのは、領地で貴族たるべき知識を覚えるため教師を城に招いた時だった。当初、彼女はボクに初級の魔法を教えようとしてくれた。が、どうしてもボクは魔法を使えなかった。そこで、彼女は王都から高名な魔法医師を呼び、ボクを診察させた。好意からだけではない、彼女の評判に差し障るからだ。

 その結果、ボクに魔法の能力がないことが、明らかになった。家庭教師や魔法医師は、それを秘匿してくれていたが、人の口に戸は立てられない。やがて領内でも、ボクが魔法を使えないことが公然の秘密となってしまった。


 学院に入学する頃には、王国中にその事実は知れ渡っていた。それはそうだよね、魔力の高さ、精密さで知られるヴァンダイン伯爵の子供が、魔法学科ではなく普通学科に入学するのだもの。“ボクは魔法が使えません”という看板を首から提げているようなものだよ。

 学生や教師も、表だって魔法が使えないことそれを蔑んだりはしなかった。ニッケルみたいな奴はいたけれどね。でも、ある意味、ニッケルは正直者だったのかも知れない。いくら爵位の関係ない平等がモットーの学院内であっても、伯爵の子息、しかも将来爵位を継ぐことが分かっている相手だ。教師たちの迫害はストレートに罵倒してくるニッケルたちよりも、陰険で陰湿、周囲に分からないように仕掛けてくる。幼いボクは、それに反抗することができなかった。


 だから、魔法以外の学業で、文句がつけられないくらい良い成績を残して見せようと思ったのだ。そして、四回生の今、成績は学院でも上位だ。飛び級の話も出ている。けど、まだまだだと思う。いくら勉強ができても、いつだって、どこでだって人をミクだそうとする人間がいることを、ボクは知っている。


 そういえば、あれからしばらくニッケルの顔を見ていない。奴の取り巻き、トーチーとエバンスは、学院内をこそこそと歩いているところを見かけたが、こちらには気が付かなかったのか、ちょっかいを掛けてくることはなかった。


 平和な日々だった。ほんの、しばらくは。


「探したぞっ! チクリ屋の能なし野郎っ!」


 ボクの前を塞ぐように立っているニッケルは、紅潮した顔を歪ませていた。鼻息が荒いのは、走り回っていたからではなさそうだ。少し驚いたが、こんな状態の相手を、まともに相手するのは時間の無駄だ。横をすり抜けようとしたのだけれど。


「ふざけんな、逃げんなよっ!」


 ふざけてもいないし、逃げてもいない。ボクの腕を掴んだ手を離して欲しい。

 

「ニッケル。ニッケル・ヴァンドロア。何を怒っているか知らないけど、ボクには関係ない。すぐにその手を放すんだ」


 それでもニッケルは、ボクの腕を掴んで放さない。


「関係ないだと? お前が告げ口したせいで、親父にたんまり怒られたんだよ! おかげで、領地に戻らなきゃいけなくなったんだ、どうしてくれる」


 どうしても何も、それはヴァンドロア家の問題であって、ボクの預かり知らぬことだ。第一ボクは、ニッケルの父親に告げ口したりしていない。


「俺の実家に、マーカス殿下直筆の手紙が届けられたんだよ。どうせ、お前が殿下をそそのかしたんだろう?」


 殿下に手紙を書かせるなんて、そんな恐れ多いことボクにできるわけないだろう。大体、殿下が君の父親に何を伝えたと言うんだい?


「何が書いてあったかは知らねぇけど、これで俺の将来計画はご破算だっ!」


 何も考えていないようでいて、将来計画を立てていたのか。すごいな。……というか、将来を見越す頭脳があるのなら、くだらないいじめなんかに手を染めなければ良かったのに。


「うわっ!」


 ニッケルは、ボクの腕を放すと同時に、思い切り突き飛ばしてきた。ボクは、体勢を崩してその場で尻餅をついてしまった。


「もう、俺はお終いだ。でも、お前も道連れだ」


 ニッケルが、両腕を天に伸ばし、魔法の詠唱を始めた。


「イグニス イグナス サラマンドラ、火を司りし精霊よ、炎もて敵を討ち滅ぼさん……」


 火の詠唱だ、それも上級の。こんなところで、魔法を使うなんて。

 ニッケルの詠唱につれて、奴の頭上に火の塊が現れ、どんどん大きくなる。遠くで、誰かが叫び声を上げている。ボクはどうしようもなく、その赤い火の玉を見上げていた。


『このままでいいのか?』


 嫌だ。嫌に決まっている。死にたくなんかない。


『集中しろ、集中しろ。想像するんだ』


 あの火の玉を吹き飛ばす、風を。


『そうだ、いいぞ。その調子だ。集中を切らすな。呼吸を深く、ゆっくりと』


 火の玉を、吹き飛ばす。大きな風を。


『切り裂く風をイメージしろ、いいか、ノウマク サンマンダ――』

「――ノウマク サンマンダ ボダナン バン! 風撃弾!」


 ボクの叫びとともに、大きな風が巻き起こり、塊になってニッケルの魔法を消し飛ばした! それだけじゃない。反動で、ボクの身体も後方へ吹き飛ばされ、ニッケルも風が生んだ衝撃波のあおりで地面に叩きつけられてしまった。ピクリとも動かないニッケルの身体を見つめながら、ボクは呆然としているだけだった。


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