第15話

 週が明け、月曜日。授業を終え、部室に向かうと既に亀梨さんが来ていた。


「こんにちは」


「こんにちは、早いね?」


「たまたま自習だったので、少し早めに出てきました」


「あれ、鍵はどうしたの?」


「笹木先生に借りてきましたけど、まずかったですか?」


「わざわざありがとね」


「いえ」


 カバンを置き、小淵さんにメッセージを送ってから、亀梨さんの手元を覗き込む。


「何処かわからないところあったら聞いてね。わからないままにしておくとそれが気になって集中を欠くから」


「…なら、ここ教えてもらってもいいですか」


 昨日渡したプリントをもうやってくれたらしい。答え合わせも済んでいる。


「えっと、因数分解のところ?」


 俺の時はまだ習ってなかったような気がする。


「この場合はcで整理する方が簡単だね。次数が小さいやつで整理するところから始めた方がいいと思う」


「次数って右上の数ですよね?」


「そうだね。因数分解の時はそれを気にするだけで大丈夫」


「…こっちも聞いていいですか?」


「これは記号はxだけだから定数項、えっと、xのついてない場所だから今回は3だね。xに3の約数を入れると答えが0になるやつがあるはずだからそれを考えてみて」


「そういえば数学の授業でなんかそういうことを聞いたかもしれないです」


「ノートはとってる?」


「一応取ってますけど写すのが精一杯であんまり聞けてないです」


「授業の速さも変わるだろうし、そのうち慣れるからそこまで気にする必要はないよ。だけど、綺麗な字を書くね」


「そんなことないと思いますけど」


「見直ししやすいからいいと思うよ」


「そうですか」


 亀梨さんは再び問題を解き始めた。しばらく隣で見ていると、部室の扉が開いた。


「遅くなってすみません」


「遅くなりました!」


「…」


 3人もカバンを下ろし、それぞれの椅子に座る。


「区切り着いたら別の教科をした方がいいかもね」


「わかりました」


 亀梨さんがわからないところを示してくれたのでそこまで時間かかることもなく終えた。


「じゃあ、次私!私ですね!」


 自己主張激しくやってきた宵川さんに席を譲り、自分の椅子に戻る。


「最初に貰った問題集見た?最初の方に中学までのおさらいが載ってるらしくて、そことテストまで授業の内容から出されるみたいだから、問題集からやろう!」


「う、うん。今日は問題集持ってきてないんだけど」


「あっ、そっか。なら一緒に見よっか」


 宵川さんは亀梨さんとの間に問題集を広げる。


「遅くなってすみません」


 新川先輩が入ってきた。あと来ていないのは紅葉だけだ。


「そういえば継野君、土曜日にショッピングモールにいましたか?」


「はい、新川先輩もですか?」


「はい。参考書を買いに行った時に偶々見掛けまして」


「土曜日は紅葉たちと遊んでましたね」


「はい、水月さんと、あと1人いらっしゃいましたか?」


「同じクラスの人です。水月の陸上部仲間で」


「そういえば、最初にお会いした時に水月さんは陸上部だったと言ってましたね」


「はい。それで都合があったので遊びに行きました」


「そうだったんですね」


 新川先輩としばらく話したあと、亀梨さんたちの方を見ると、月雪さんも一緒に理科の問題集を開いていた。


「あっ、それはね、えっと…なんだっけ」


「…コロナ」


「あ、そう、それそれ」


 今やっているのは地学みたいだ。1年の時は2教科習うはずだからもう一つはまたやるんだろう。月雪さんも教えているのを見ていると、紅葉もやってきた。


「部活の先輩に捕まって遅れた」


「どうかしたのか?」


「んー、なんか陸上部に戻ってこないかってさ」


 腰を下ろしながら答えてくる。


「ほら、甘味(かみ)先輩だよ。怪我して病院にいた」


「あー、戻ってきたのか」


 紅葉に陸上部に連れてかれていたので甘味先輩にもあったことはある。紅葉と同じ長距離の選手で、お世話になったと言っていた。その甘味先輩は去年の冬に疲労骨折と肉離れを起こし、病院に通っていた。


「オレが辞めたって聞いて探してたんだとさ」


「そうか」


 手をかけていた後輩だっただろうから余計にだろう。心中お察しします。




***




 昼休み、紅葉と弁当を食べていると、教室の扉が開いた。


「水月はいるか!?」


 甘味先輩の大声にクラス内は視線を向けるが、次第にこちら、紅葉の方へと移した。


「何か用ですか?」


 一応紅葉も先輩には敬語?を使う。


「これ、大会の日程だ!確認しとけよ!」


 言い逃げのようにして甘味先輩は走り去った。廊下を走っちゃいけません。


「出るつもりなのか?」


「いや、でねぇよ?」


 紅葉は丁寧に日程表を折り始めた。紙飛行機とか懐かしいな。


「それっ」


 紅葉の手から放たれた紙飛行機は綺麗な放物線を描き、壁に当たると、そのまま下のゴミ箱へ吸い込まれた。


「見たか、継野!入ったぞ!」


「おう。あっちは缶とかの方な。燃えるゴミはその隣だ」


「あ、まじか。次はきめるぜ」


「そのまま隣に捨ててこいよ…ゴミ箱に1回入ったやつとか汚いだろ」


「それもそうだな」


 紅葉は紙飛行機を隣のゴミ箱に移すと、手を洗いに行った。




***




 放課後、紅葉と部室に行くと、小淵さんと一年生組。

 そして、なぜか甘味先輩がいた。


「やっぱり、こっちに来たか!」


 紅葉しか目に入っていないようだ。


「あの、継野君。あの方は知り合いですか?」


「陸上部の甘味先輩。昼休みにも紅葉を訪ねてきた」


「そうでしたか」


 そういうと椅子に座ったが、まだ警戒しているようだ。そりゃ、180超えてる男子がいきなり来たら驚くよな。


「あの、先輩。ほんとにいいんで」


「他のみんなも戻ってきてほしいと思ってるはずだ!」


「陸上はやめたので」


「大丈夫だ!心配しなくても今日から練習に戻れば大会までには間に合う!」


「あの…ですから」


「そうと決まれば急げ!練習が始まるぞ!」


 甘味先輩は急かすが紅葉はその場から動かない。


「水月?」


「あの、甘味先輩、でしたか?」


「ん?誰だ?」


「…ここは相談部の部室で、私はその副部長です。申し訳ありませんが、相談部に用がないのなら退室いただけますか?」


「おぉ!悪いな、すぐ出るからよ!ほら、行くぞ、水月!」


「あと、本人に戻る意思がないのに強制するのはいかがかと思いますが」


「お前達は知らないかもしれないがな、水月はすごいんだ!1年でありながら全国優勝。しかも日本新だ。それを辞めていいわけがないだろ!」


「それは…」


「え〜!紅葉先輩ってそんなに凄いんですか!?」


 一番驚く宵川さん。そういえば自己紹介の時は陸上部だったとしか言ってなかった。


「そうだ!いずれ世界にだって通用するかもしれない!そんな才能をみすみすと逃していいものか!」


「せっ、世界…日本代表ってことですか!?すごいじゃないですか!?インタビューとか受けるんですかね」


 甘味先輩の言葉に同調している。


「ほら、後輩もこう言ってるんだ。水月は陸上部に戻ってくるべきだ」


「…」


 紅葉は居心地が悪そうに黙り込んでいる。お世話になった先輩ということもあり、断るのが気まずいんだろう。


「なるほど。水月さんはそこまで期待されているんですね」


 小淵さんが口を開く。


「そうだ」


「では、他の部員にはそこまでの期待はしていないと?」


「そういうわけではない!だが、一番才能があるのは間違いなく水月だ」


「才能ですか」


「そうだ。全国の猛者と競い合うには努力だけでは足りない。才能あるものが努力を重ねることでようやくその舞台に立つことができるのだ」


「ですが、先程も言いましたが、それはあなたの意見ですよね?」


「何?」


 紅葉だけに向けられていた視線が小淵さんへと移る。


「失礼を承知で言いますが、あなたはどの立場から物を言ってるんですか?」


「先輩としてに決まっているだろう」


「あなたが留年でもしていない限り、陸上に関わったのは最大でも十数年間かそこらでしょう。その程度であなたが才能の有無を判断するのですか?」


「俺の両親とも元陸上の選手だ。俺は小さい頃から両親の話を聞いて育ってきたし、両親の知り合いからも話を聞いてきた」


「それがなにか」


 甘味先輩は苛立ちからか、声に険がある。


「他の者より陸上に関する知識が深く、当然選手のことにも詳しいと言っているんだ」


「あなたの言っている他の方とは同年代でということですか?」


「そうだ」


「そんなもの、比べる価値がないでしょう」


「は?」


 あっけにとられたように言葉が止まる。


「あなたが同年代の方と比べて知識も経験も積んでいたとして、それがなんだと言うんです。例えば、この高校の陸上部の顧問は世界大会も経験している選手だった方ですよね?その人も水月さんを連れ戻してこいとおっしゃられましたか?」


「…ああ」


「強制的に連れ戻してこいと言われましたか?」


「…」


 甘味先輩は目をそらした。


「そうであるならば、申し訳ありませんが、相談部としては抗議させていただきます。あなたの部員が他の部の活動を妨害している、と」


「妨害などと大袈裟に言うものではないだろう」


「それを判断するのはあなたではありません」


 甘味先輩は言い返そうと口を開いたが、言葉が出なかったのか、部室を出て行った。張り詰めていた空気がゆるむ。


「では、私は笹木先生のところへ報告に行ってきますね」


「あっ、オレも行く。原因はオレだしな」


「そうですね。行きましょう」


 2人が出て行った後、すぐに新川先輩がやってきた。


「すみません、質問に行っていたら遅れてしまいました。小淵さんと水月さんを見かけましたけど、何かあったのですか?」


 新川先輩に事情を説明する。


「甘味、君ですか…そんな人がいるということも知りませんでした」


「それで、今2人が笹木先生に報告に行ってます」


「そうなのですね」


「今いいですか?」


「どうされましたか、宵川さん?」


「えっと、桜ちゃんの…」


 見ると亀梨さんの手が止まっている。理科は一区切りついたようだ。


「あっ、すみません。気がつきませんでした。椅子、貸していただきますね」


 新川先輩が宵川さんに代わって亀梨さんの隣の椅子に座った。すると、新川先輩は鞄から眼鏡を取り出し、耳にかけた。


「苦手な所はありますか?」


「助動詞はまだ覚え出るんですけど、後は殆ど何もできません…」


「では、尊敬語の確認にしましょうか。現代語の敬語との違いは覚えていますか?」


「動作で変わるんでしたか?」


「はい。尊敬語は動作をした人に対して、謙譲語は動作を受けた人に対して、そして丁寧語はその会話を聞いてる人に対して使います。丁寧語は少し例外もありますが、習うのは暫く先だと思うので置いておきますね。教科書にも表になってあると思います。少し探しますね」


「はい」


「…ここですね。ここは表で覚えると、後々思い出しやすいと思います。あとは…はい。今軽く丸で囲んだものは、昔の天皇やその家族達などにしか使われない敬語なので、これが出たらそのような人が出てくる話だとわかります」


「覚え方のコツってありますか?」


「見る回数を増やすことでしょうか?見るのに5分もかかりませんし、1日に1回見るだけでもかなり違うと思います。続けていくといつのまにか覚えていると思います」


「先輩?何見惚れてるんですか?」


「え?」


 宵川さんの顔で視線が遮られる。


「いや、ほら。眼鏡珍しいなって」


「本当ですか〜?」


 嘘です。


「…まあ、そういうことにしておいてあげましょう。ちょっと待っててくださいね」


 こちらに背を向けて、自身の鞄を漁っている。


「ほら!どうですか!?」


 振り向いた宵川さんの顔には眼鏡が掛けられていた。


「ふふん、どうですか?眼鏡ですよ!」


 腰に手を当て胸を張っている。


「それ、宵川さんの?」


「そうですよ〜。どうです?似合ってます?」


「宵川さんは普段コンタクトつけてるの?」


「え?待って待って。なんで普通の話題に?感想は?眼鏡姿の感想はないんですか?」


「眼鏡姿ってなんだ」


「細かいことはいいんですよ!ほら、感想!」


「似合ってる?」


「なんで疑問なんですか!?先輩の好きな眼鏡ですよ!眼鏡っ娘です」


「誰も眼鏡が好きなんて言ってないだろ…」


「えっと、使いますか?」


 うるさくしすぎたのか、新川先輩が教えるのをやめて、こちらに眼鏡を差し出している。


「こっちのことは気にしないで、続けてください」


「ほら、先輩が騒ぐから迷惑かかってるじゃないですか」


「俺のせいか?」


「そうですよ?先輩が素直に褒めないからです」


「ニアッテルヨー」


「雑っ!」


「似合ってるよ」


 小さな顔にピンク色の縁の丸眼鏡がよく似合っている。


「それでいいんですよ」


「それより勉強いいのか?」


「やばいです」


 即答だった。


「ドヤ顔で言うな」


「だったら先輩が教えて下さいよ」


「途中でふざけないならな」


「わーい」


 子供のような声を出して鞄を取ってきた。


「そんなにじゃらじゃらつけてて邪魔じゃないのか?」


「じゃらじゃらってお爺ちゃんですか?クラスの子からとかがくれるの付けてたら増えちゃいました。たまに引っかかったりするので正直邪魔ですね」


「じゃあ取れよ」


「そう言うわけにもいかないんですよ。一つだけ取ったりするとそれをくれた人を嫌ってるみたいになるし、数個だけ残してもその人達以外と仲良くする気はないって言ってるみたいじゃないですか」


「相手もそんなこといちいち気にしてないと思うけどな」


「なので、全部残すか、全部取るかの2択しかないんですよ。って、それより勉強ですよ!早く教えてください」


「はいはい」


 暫く宵川さんの勉強を見ていると、報告に行っていた2人が戻ってきて、紅葉は新川先輩と交代して現代文を教えていた。

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