第13話

「亀梨さんは単語は覚えてるんですね」


「そんなに難しくないので」


「単語の意味を覚えてるのと覚えてないのではだいぶ変わってくるので良かったです」


 放課後、今は小淵さんが亀梨さんに英語を教えていて、並んで月雪さんと宵川さんも勉強している。


「白音ちゃん、これどうやったっけ?」


「…」


「白音ちゃん?」


「…」


「えっ、無視は酷くない!?」


「私で良ければ空いてますよ?」


「いえ、新川先輩の手を煩わせる訳には…あっ、先輩は数学の担当でしたよね?教えてください」


「なんで新川先輩には遠慮して俺には遠慮しないんだ」


「だって新川先輩より先輩の方が暇そうじゃないですか?」


「俺がやってること見えないの?」


「いや、見えてますけど。何やってるんです?」


 近くまでくると手元を覗き込んでくる。


「これ、問題ですか?えっ、昨日作ってきたんですか?」


「まさか。去年の紅葉にやらせたやつだよ。今は今回の分だけ分けて答えを出してるとこ。また使うんだったら答えも残しとくべきだった」


「うわぁ…」


 プリントを摘みながら変な顔をしている。


「どうかしたか?」


「先輩重い。重いですよ?問題まで作るなんてドン引きです」


「いや、そんな顔されても」


「普通そこまでしませんて」


「そのくらい大変だったからな」


 去年の分は全て持ってきたものの、今回必要なのは大した枚数ではないので、答えも出し終わった。


「懐かしいなぁ、これ」


 紅葉もプリントを手に取り眺めている。


「というか、昨日は使わないって言ってなかったか?範囲が違うとかなんとか」


「少しだけならあったのと、昨日妹が使うって言ってたからそれなら使うか、と」


「あー、名前未来って言ったっけ?会ったことないけど」


「一個下だからちょうど良くてな」


「ふーん」


 紅葉はプリントを元に戻す。


「今見るとこんなもんかってなるな」


「1年経ってまだそんなこと言ってたら大変だろ」


 あれだけ苦労したんだし。


「そろそろ交代しましょうか。次は誰にしましょう」


 小淵さんが亀梨さんに尋ねる。


「数学で」


「なら、継野くんですね」


 亀梨さんの視線がこちらへ向く。…あれ、なんか宵川さんに向けられたのと同じ感じだ。

 『こいつ教えられんのか』と。失礼な。


「小淵さんはもういいの?」


「はい。亀梨さんは文法さえ覚えれば高得点取れるはずです。あとは、読む速さですけど、文法を毎日少しずつでも繰り返して、英文を読めば大丈夫なので、私ができるのはこれまでです。英語は案外教えられることって少ないんですよね」


「そうなんだ。英語は積み重ねだもんね」


 返事をしながら亀梨さんのところに向かう。


「…お願いします」


「具体的に苦手なところとかありますか?」


「敬語はいらないです。今更ですし」


「…苦手なところある?」


「わからないです」


 言いつつ問題を解いている。一問一問解答を確認しているし、間違ったところも消さずに残してある。ただ、公式の一部を間違って覚えていたり、単純な計算ミスをしていたりして勿体ない。


「亀梨さんは結構字が小さめだから、文字を大きく書いてみて。それで少しは計算ミスは減ると思う」


「字が汚くなるんですけど…」


「小さい字は歪んでるところも小さくなるから綺麗に見えるけど、たくさん書くと見辛くなるから多少汚くてもある程度は大きく書いた方が見栄えはいいよ」


「そうですか?」


「あとは細かく計算が合ってるか確認するしかないね。誰だって計算ミスはあるから」


「わかりました」


 黙々と解いていく亀梨さんに細かい間違いなどを指摘したりしていると時間になった。


「そろそろ終わりにしましょう。今日できなかった教科は来週ということでお願いします」


 小淵さんの言葉に帰る支度を始める。


「亀梨さん、去年使ったやつで悪いけどこれ、良かったら使って。時間があったらでいいから」


「さっき話してたやつですよね」


「うん。休み時間とかにできると思うから」


「…これ、休み時間にやるんですか?」


「一応作った時には休み時間内に終わるようにしたけど、無理にする必要はないよ」


「…なんか、休み時間のたびに勉強してたら今以上に浮くと思うんですけど」


「そうか」


 そういうことは全く気にしていなかった。紅葉の時は俺も御崎さんもつきっきりだったから。


「あっ、なら、私もやりたいです!」


 横から宵川さんが入ってきた。


「1人じゃなきゃ大丈夫ですよね?私も勉強しなきゃですし、頑張ります」


「あー、悪い。プリントがないわ。元のやつ」


「えー、なら、ちょっと貸してもらってもいい?すぐコピーしてくるから」


「…どうぞ」


「ありがとー!」


 宵川さんは亀梨さんからプリントを受け取り走っていった。


「…」


「小淵さん、俺が戸締りしておくからいいよ」


「…そうですか?ありがとうございます」


 鍵を受け取る。


「またね」


「はい。また来週に」


 小淵さん達は帰っていった。それを見届けて再び椅子に腰を下ろす。


「あの、いいです。一緒に待ってもらわなくても。校門とかで待ちますし」


「えっと、一応部長だからね」


「意味がわかりません」


 溜息をつきながら亀梨さんも椅子に座る。




「あの…気にしなくていいので」


 無言で扉を眺めていた亀梨さんが口を開いた。


「あの時は取り乱しましたけど、もう平気です」


「でも…」


 ずっと好きだったんでしょ、とか、俺たちが原因で、とか続けようとしたが、遮られる。


「本当に大丈夫です。寧ろ、あの時八つ当たりしてしまったことを謝りたかったんですけど、すみません。タイミングが掴めなくて」


「謝るのはこっちの方じゃ?」


「いえ、相談部の皆さんがしてくれなくてもいつかこうなってた筈ですから。いつまでも先延ばしにするよりずっといいです」


 亀梨の表情は見えない。だが、強い言葉とは裏腹に、肩が震えていた。


「本当に清々しました。これで自分の好きなことできますし。ですよね?」


 振り返った亀梨さんの目は潤んでいる。流れはしなかったが、それを見て、動揺してしまった。


「まだ、間に合いますよね?1ヶ月以上遅れてますけど、勉強も教えてもらってますし、後回しにしていた部活も決めないといけませんね!」


 亀梨さんは笑った。


「急がないと、間に合わなくなっちゃう。3年間も一人で、なんて、耐えられません。これからはいろんな人に話しかけないと」


「ひとりぼっちで終わっちゃう」


「そんなことないよ!!」


 扉が開き声の主が飛び入ってくる。


「私だっているし、白音ちゃんだっているよ?友達でしょ?」


「…だって、全然話したこともない…」


「なら、今から友達!握手!」


 宵川さんは、亀梨さんの膝の上でとじられていた手を開き、握る。


「これからよろしくね。桜ちゃん」


 亀梨さんは、握られた手に一度視線を移し、そして宵川をみて、微笑んだ。


「うん、うん!ありがとう!」


 亀梨さんの頰に一粒の涙が伝っていた。



***



 2人が帰っていくのを見送り、鍵をかける。


「継野、今帰りか?」


「はい。先生はどうしたんですか?」


「鍵が帰ってきてないと思ってきてみたら丁度な。だから待っていたんだ。鍵は返しておくからお前も帰れ」


「はい」


 鍵を渡し、玄関に向かう。


「おつかれ。ゆっくり休めよ」


 笹木先生は、そう言いながら手を上げて去っていった。


 帰途につく。

 そして考える。何に対する言葉だったのか?実際には何も解決していない。最初の相談も、今回のも。何に区切りがついたのだろう。その答えはまだわからなかった。




***




 土曜日。まだ5月も上旬だというのに真夏かと勘違いするような日差しの中、俺は紅葉の家に向かっていた。昨日の夜、唐突に紅葉から誘われ、予定も特になかったので了承したが、歩いてるだけで滲んでくる汗に少し後悔し始めていた。長らく使ってなかったためか自転車のタイヤから空気が抜けていて、面倒がって徒歩で行こうとしたのが間違いだった。


「おはよっ」


「うわっ」


 背中を叩かれつんのめる。


「『うわっ』だって」


 叩いた手そのままこちらを笑っているのは御崎さん。今日は3人で集まる予定だった。

 

「御崎さんって家こっちだったっけ?」


「…」


「御崎さん?」


「ここに御崎さんはいません」


 いきなりどうした?


「いません」


 不機嫌そうになっていく御崎さん。


「…もしかして呼び方のこと言ってる?」


「そうだね」


「でも、あれは練習としてだったんじゃ?」


「光くん」


 御崎さんは笑っている。目以外は。


「あの時はあだ名で呼んでくれたのに今は苗字にさん付けなんて他人行儀だなぁ…」


「いや、でもあれは」


「他人行儀だなぁ…」


 NPCですか?


「せめてあだ名は勘弁してくれない?ああいう呼び方って女子だけに許されてるみたいな感じで恥ずかしいんだけど」


「…はぁ、そんなことないでしょ」


 溜息をつきながら、こちらと目を合わせてきた。


「それに、照れながら言う光くんがいいんだよ?」


「…」


 すこし歩くスピードをあげる。


「あっ、ちょっと待って。おいてかないで」


 手首を掴まれ、止められる。本気でおいてくつもりじゃないから離してくれ。もしくは力を緩めてくれ。


「仕方ないから名前呼びで許してあげるから」


「なんでずっと上からなんだ…」


 陽炎の立ち昇る道路を2人で歩く。暑い。


「ちょっと、光くん?大丈夫?」


「え、何が?」


「なんかぼーっとしてない?」


「暑いからな」


「もう…」


 御崎さんが鞄からタオルを取り出し、顔を拭こうとしてくる。


「そこまでしなくても大丈夫」


「はいはい、いいからじっとしてて」


 顔を拭かれる。そして目の前にペットボトルが差し出された。


「ほら、これ飲んで」


「そこまでしなくても。もうすぐ着くし」


 もう紅葉の家は見え始めている。


「それまでに倒れられたら私が困るでしょ?熱中症舐めちゃダメだよ」


「…すまん」


「いいから、飲みかけでぬるくて悪いけどどうぞ」


 ペットボトルを受け取り、キャップをあける。


「…飲みかけだけど」


「わざとだな?」


「そうだよ」


 臆面もなく答えやがった。


「あはは、まあ、気にしない気にしない。さぁさぁ、グイッと」


「酒か」


 遠慮なく頂く。


「ん、サンキュな」


「はいはい」


 ペットボトルを返す。


「…ふふっ」


 聞こえてきた声に隣を向くと御崎さんがにやけていた。


「いきなりどうした?」


「いやー、ちょっと」


「なんだよ」


「自販機あったなって」


 指の先には言葉通り自動販売機が置かれていた。


「買っておくか」


「…その方がいいんじゃない?」


「御崎さんはどれがいい?」


「よびかた」


「…美沙はどれがいい?」


「なに、奢ってくれるの?」


「さっき貰ったからな」


「なるほど、私の飲みかけ一口は飲み物一つの価値があると。これは商売になりそうですなぁ」


「言い方やめろ」


 こてこての商売人のように手をする御崎さんの手を軽くはたいて止める。


「あたたかいおしるこにするぞ」


「やだなぁ、この時期におしるこなんて…あるね」


「あるぞ」


「せめて冷たいのにしてください」


 先程のに似たスポーツドリンクのボタンを押し、渡す。


「ジュースじゃないんだ?」


「あれ、ジュースの方が良かったか?前にジュースはあんまり飲まないって言ってた気がしたんだけど」


「覚えててくれたんだ」


「そのくらいはな」


 自分の分も買い、歩き始める。紅葉の家まで大した距離もない。


「ありがとね、光くん」


「…ああ」


 見上げながら言う御崎さんに、言葉に詰まりながらも返事を返した。


「…えへへ///」






***





「おー、待ってたぜ」


 ドアベルを鳴らすとすぐに紅葉が出てきた。


「2人一緒に来たんだな」


「途中で会ったんだよ」


「ほー、まあ上がってくれ。先に部屋行ってていいぞ」


 紅葉はリビングに行ったので2人で部屋に向かう。何度かお邪魔しているので部屋の位置はわかっている。

 紅葉の部屋は漫画が積み上がっていること以外は片付けられている。全体的に白の家具が多い。

 適当に腰を下ろすと紅葉がオボンに飲み物を乗せて来た。


「で、今日何する?この前はカラオケだったよな」


「そうだね。光くんが1人ロシアンたこ焼きたったからね」


「忘れろ」


 前回この3人で行った時は全員が知らない曲を歌って一番点数の低い人が罰ゲームというルールでやった結果50点台を出してしまい、その時の罰ゲームがそれだった。1人なので必ず自分でハズレを食べることになってしまうので全く楽しくなかった。


「コートにでも行くか?」


「この暑い日にか」


「あそこって工事中じゃなかった?」


「そうだっけ?なら、久しぶりにゲーセン行こうぜ」


「今日は暑いし、これ以上に暑くなる前に行っちゃった方がいいかもね」


「これ以上暑くなるのは流石に勘弁だな。せめて風でも吹いてくれればマシになるんだけど」


 コップの中を飲み干すと、すぐにゲームセンターに向かうことにした。

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