第12話

「…どうして」


「何がですか?」


 慣れた様子で椅子に座る亀梨さん。


「相談があるんですけど」


「それは」


「この前のとは別のことです」


 言う前に否定された。


「私もいつまでも引きずってる訳にはいかないので。それで、試験が近いので勉強を教えてください」


 恋愛ごととはかけ離れた相談。


「駄目ですか?宇川君との件よりは取りかかりやすいと思うんですが」


「駄目ではありませんが…どうしましょう」


 小淵さんの問いかけに対する答えは決まっている。そこには罪悪感や打算を含んでいたが。




***




 亀梨さんには、苦手な科目などを教えてもらった後、先に帰ってもらった。


「…今回はどうしましょう?」


 小淵さんの言葉は全体に向けられていたが、視線が合っている。出鼻をくじかれたというか、宙ぶらりんな状態になってしまうことは気になる。でも、気を遣ってもらっているのはこちらだ。


「教科毎に分かれた方がいいかな?あっ、月雪さんと宵川さんは自分のがあるだろうしはぶいた方がいいか」


「いえ、大丈夫です!ほら、人に教えるのはいいって聞きますし!」


「…大丈夫」


「この時期の一年生の試験は中学までの復習が主でしたね。そこまで難易度が高かった覚えはありませんが…」


「それは小淵先輩だからじゃないですか?頭良さそうですし」


「そんなことをありませんが…」


「あっ、新川先輩は大丈夫ですか?三年のことはわからないので」


「今のところはまだ忙しくないので大丈夫ですよ」


「そもそも何故ここに来たんでしょう?友人と教えあったりするものじゃないんですか?」


「…あの、小淵先輩?なんで私を見るんですか?」


「ご友人が多そうなので?」


「あっ、よかった。頭の心配されてる訳じゃなかったんですね」


「その発言で心配になりました」


「心配しなくて大丈夫ですから!まだ受けたことないのでわかんないですけど、多分大丈夫です!」


「無理はしないでくださいね」


「ちょっ、新川先輩まで!?」


 宵川さんは、下手な泣き真似をしながら月雪さんに抱きついた。


「でも、確か5教科だっけ?なら、1人は無理する必要はないような」


「あの!先輩!本気で言ってませんか!?本気で私をハブろうとしてませんか!」


「気のせいだ」


 現代分と古文を一括りにするのは違うと思うし。


「役に立ちますからね!どんとこいですよ!」


 宵川さんが自分の胸を叩く。…悲しい。


「…先輩?何ですか?」


「宵川さんは何の教科が得意なの?」


「はぁ…許してあげます。えっと、得意科目ですよね。なんと!得意科目も苦手科目もありません!」


「…」


「ちょっとした自慢なんですよね〜。友達からもすごいって言われますし」


「月雪さんは?」


「…なんでも」


「なんでスルーされたかは置いておくとして、白音ちゃんはすごいんですよ!」


 宵川さんは月雪さんの頭に顎を乗せながら言う。月雪さんは嫌そうにしているが。


「凄いんですよ、白音ちゃん。新入生の挨拶したんですよ!」


「月雪さんが?」


「そうですよ!あれ凄いかっこいいですよね!なんばーわん!ですよ!」


 申し訳ないけど月雪さんがハキハキと話す様子が想像できない。


「…なんの話だ?」


「うおっ、起きてたのか」


「今起きた。で、なんの話だ?」


「それより先に教科書なんとかした方がいいぞ」


「あ?…うわあぁぁ!」


 慌てて教科書を拭き始めた。ハンカチは渡してしまったのでティッシュを渡しておく。それで気がついたが、紅葉がごしごし擦っているのに表面が剥がれたりはしていない。今の教科書は多少は水を弾くのかもしれない。きっと紅葉みたいなやつが多かったんだろうな。


「ここに置いておくか。あとは祈る。…で、何の話だったんだ?」


「切り替え速いな!月雪さんが新入生の挨拶したって話だよ」


「あー、あれかぁ」


 紅葉がにやけ顔をしながらこちらを見る。


「光めちゃくちゃ緊張してたよな!何回も噛んでたし、途中で同じこと言い始めたし」


「いつまで覚えてるんだよ…」


 そのあと席に戻るまでに転んだのも、今となっては懐かしい。…うん。忘れてください。


「ふざけてやってるかと思ったら本気でだもんな」


「誰があんなに大勢の前でふざけるんだよ」


「あの、先輩…?」


 宵川さんが目の前に来て、こちらを見上げていた。何故か目が潤んでいる。


「嘘、ですよね…?」


「何が?」


「先輩が頭いいわけないですよね…?」


「失礼すぎるだろ」


 裏切られたといった顔をする宵川さんから少し距離をとろうとするが、握った服を離そうとしない。


「嘘って…嘘って言ってくださいよ…先輩っ!」


「何でシリアスな雰囲気だしてるの?普通に頭いいぞ」


「うっわ、この人自慢し始めました。謙遜とかないんですか?」


「1年の間中総合1位だ」


「えっ!?」


 真っ先に驚きの声を上げたのは宵川さんではなく小淵さんだった。


「…あの、小淵さん?何でそんなに驚いてるの?」


「あっ、えっと、その、すみません。意外だったので…」


「隠せてないよ?オブラート忘れたの?」


「小淵先輩ならともかく継野先輩が?…あっ、夢ですね!」


「頰をつねろうか?本気で」


 宵川さんは伸ばした手から逃げるように自分の席まで戻ると再び月雪さんに抱きついていた。


「あの、継野君。ちなみに点数はどれくらいなんですか?参考にしたいので」


「あー、えっと」


「ほとんど満点だったぞ!100点ばっかりだったからな!」


「おい」


 勝手に言うな。


「満点!?全教科ですか!?」


 小淵さんが今までにないくらいに驚いている。宵川さんは聞きたくないとでも言うように月雪さんの、えっと…そう、胸部。胸部に包まれている。…逆にいやらしいか?


「流石に全教科ではないけど、何教科かは満点を取れてるかな」


「満点…いえ、話を戻しましょう。では、継野君には残った教科を担当してもらってもいいですか?」


「それはいいけど、現代文は紅葉に任せてもらってもいいか?」


「水月さんにですか?」


 不思議そうな顔をしている。わかる。その気持ちはすごくわかる。


「紅葉は現代文だけは満点取るんだよ」


「えっ!」


 今まで見た中で一番驚いてる。さっきよりも。


「現代文なら光にだって負けないぜ」


 思いっきりドヤ顔をして腕を組んでいる。あの、宵川さん?睨んでるのは満点に対してですよね?視線が強調された部分に向いている気がするんですが。


「…凄いですね。マーク式でもないのに満点ですか…滅多に撮れるものでないと思います」


「で、ですよね!取れないのが普通ですよね!」


 多分小淵さんの方は満点でなくても高得点は取ってるんだろうな。


「そう。この感覚だよ!最近は光も美沙も、あーはいはいってテキトーに流すからな!もっと褒めてくれていいぞ!ほら、たまには光も!」


「いや…」


 確かに認める。俺だって現代文で満点を取ったことなんて滅多にないというか、1回しかない。どこかしらで部分点を取れずに数点落としてばっかりだ。だから、毎回満点を取る紅葉は凄い。凄いが…


「他の教科がな…」


「…あっ!そう言うことですか!?もしかして水月先輩って他の教科は全然なんですか?」


 なんか嬉しそうにしている。


「いや、光とか美沙の基準で考えてるからだろ?オレからしたら中学の時より点数取れてるからな」


「もしかしてこの学校ってそんなにレベル高くないんですか?」


「いや、そんなことないぞ。1年の時とか赤点とりまくってたし」


「今は違うんですか?」


「美沙と光に教えてもらったからな」


 そう。本当に大変だった。紅葉は赤点とりまくってたと言ったが、まさにその通りだ。赤点が一つでもあったテストが何回もあるのではなく、1回のテストにつき赤点を多く取った。もっと具体的言えば現代文以外は毎回全滅だった。

 その上授業中はほとんど寝ていたりすれば当然のことだが、紅葉は1年の前期の時点で留年しそうになっていた。


「あの時は大変だったなぁ…寝てたらすぐに起こされるし、なんか宿題も出されたし」


「お前は自業自得でも、俺は巻き添いだからな?」


「それは光が先生に頼まれてそれを引き受けたからだろ?」


 内申点の為にな。紅葉のためじゃない。


「そうか、なら次のテストからは手伝いなしな」


「それは困る!」


 即答だった。


「いい加減一人でできるようになれ」


 宵川さん達が驚いてるぞ。


「言われた通り毎日予習と復習の時間はとってるけど、母さんが、『帰ってくる時間が早くなったならその分勉強できるわね。次の試験は期待しているわ』ってプレッシャーかけてくるんだよ」


「そうか、頑張れよ」


「光ぃ…」


「それで、脱線したけど不都合なければ紅葉の担当は現代文にしたいんだけどいいかな?」


 大丈夫らしい。


「なら私は…古文でもいいでしょうか?私か1年生の時は漢文はなかった気がしますので」


「私は理科で!大した差じゃないですけどよかった気がするので!」


「社会」


「私は英語にします。継野君大丈夫ですか?」


「数学だよね?大丈夫」


 無事に担当する教科が決まり、解散となった。



***



「そういえば、あの問題使えばいいんじゃね?」


 帰途についていると、隣を歩く紅葉が言った。


「オレのときに光が作ってくれたプリントだよ。放課後にやらされたやつ」


「まだ残ってるかわからないけど、使わないつもりだ」


「なんでだよ?」


「範囲が違うし、あれをやらせるのは嫌がらせみたいなもんだろ?」


 言い終わるや否や紅葉に頰をつねられた。満面の笑顔。


「ここにやらされたやつがいるんだけど?」


 紅葉の手をはがし、少しでも痛みを和らぐように頰をこする。


「そもそもあれは適当作ったやつだからな」


「それはやったオレが一番わかってるよ。ほとんどの問題の答えが変な数になったからな。分子に1231が出たのはまだ覚えてるからな」


 俺自身の勉強の為にも紅葉の隣で解いていたのだが、俺も割れると思って割っていったが余りが出続けるので諦めて調べると1231が素数であることがわかった。分母が素因数をいくつか持っていたのも原因だろう。


「今考えれば簡単にわかるのにな」


「習ってたやつも少なかっただろ。光がわかんなきゃオレだってわかんねぇよ」


「改めて考えると中学の時って何を習ったんだっけな」


「掛け算とかだろ」


「掛け算は小学校だろ?…いや、もしかしたら今は小学校より前に習うかもな」


「ならオレたちはラッキーだな!習う量少ないだろうし」


「…そうだな」


 英語なんかは習う時間が長ければ長いほど習得できるだろうし、社会に出た時に比べられるだろうが、今更どうしようもない。


「ん、じゃあな!」


「おう、明日な」


 紅葉と別れる。家に入ろうとしたところで少し向こうに未来が歩いているのが見えた。未来もこちらに気づいたのか小走りになった。


「おかえり」


「別に待ってなくてよかったんだけど」


「今日は少し遅かったのか?」


「ちょっと、あったから」


 玄関に入り靴を脱いでいるとドアが開き、母さんが顔をのぞかせた。


「おかえり。どうしたの?」


「ちょうど一緒になった」


「そうなの。ちょっと出かけてくるわね」


「どうしたの?」


「醤油きらせちゃった」


「行ってこようか?まだ靴履いてるし」


「いいいい、この時間は光も勉強してるでしょ?」


「後にしてもいいし」


「時間あるなら未来を見てあげなさい。じゃあ行ってくるわね」


 どちらかが帰ってるのを待っていたのか、もう鞄も用意されていてすぐに出ていってしまった。


「一緒にするか」


「えっ、えっと…うん…」


 机の下に鞄を置き、手を洗う。未来も手を洗うと、2階に上がっていった。そしてすぐに降りてくる。


「なんか飲むか?」


「なんでもいい」


「はい」


 未来の前にコップを置き、対面に座ろうとしたところで、テストのことを思い出した。


「ちょっと待っててな」


「?うん」


 忘れているのか首を傾げながら返事が返ってくる。

 探しておいたテストを手にとり、部屋を出ようとしたところで、ふと思いつき机の上に並べる。





「おまたせ」


「うん。何してたの?」


「はい、これ」


 テストを渡す。


「あっ、そういえば…ありがと。って、わざわざ消したの?」


「少し跡は残ってるけど、無い方が使いやすいだろ」


「そこまでしなくてよかったのに」


「大した手間じゃなかったからな」


 椅子に座り、自分の勉強を始める。未来もテストを置いて続きを始めた。



***



 しばらく続けていると、肩をつつかれた。


「どうした?」


「これなに?」


 未来がこちらに向けていたのは紅葉と話していた自作の問題だ。


「テストに混じってたか。捨てとくわ」


「何枚もあるけどなにに使ったの?何も書いてないし」


「あー」


 予備で刷っておいたやつをテストと一緒にしまっておいたらしい。記憶にないが。


「クラスメイト用に作ったんだよ。本当にダメな奴でな」


「ふ〜ん…」


 こちらに向けていた面を翻し、未来はその問題文に目を走らせた。


「これって役に立つ?」


「え?まぁ、多少は役に立つんじゃないか?でも、当然問題集とかあるならそっちの方が役に立つと思うぞ」


「問題集の問題は大問だから最後までやるのに時間かかるけど、これなら1問で終わってるし、休み時間にやる分には丁度いいかも。これ貰っていい?」


「それならもっとちゃんと作るぞ?少し時間かかるかもしれないけど」


「これでいい。お兄ちゃんだって暇じゃないでしょ?これが役に立ったらまた頼むかもしれないし」


「…わかった。それなら一回返してもらっていいか?」


「うん?何するの?」


「コピーしようと思って」


「なんで?もういらないでしょ?」


「部活で1年に勉強教えることになってな。担当が数学なんだ」


「ふ〜ん」


「…なんか機嫌悪くなってないか?」


「別に。さっさとコピーしてくれば?」


 よくわからないが、急ごうと思った。





***





「ただいま〜、あれ光は?」


「なんかコピーしにいった」


「そう」


 お母さんは適当に相槌をうっていた。私も話しながら手は止めていない。頑張らないといけないから。


「あら、これテスト?」


「うわっ!?」


 びっくりした。立ち上がりそうになった。


「足音消してこないでよ」


「してないわよ。ただ邪魔しないように静かに歩いただけ」


 お母さんは私の肩に手を置きながら後ろから覗き込むように見ていた。


「あっ、これは光のね」


「名前は消してあるはずだけど?」


「点数は残ってるじゃない」


 シャープペンシルで書かれている場所は丁寧に消されているが、赤ペンで書かれた点数は消えていない。


「本当に面白みのない子よね〜。…あっ、ほら、100点以外あった」


「何探してるの…それも98点だし」


 そのあともちょくちょく100点以外を見つけた。テストで100点以外の方が少ないなんておかしい。


「私もお父さんもそんなに頭いい方じゃないんだけどなんでかしらね?」


「ずっと勉強してるからじゃない?」


 ご飯の時とか手伝いとかでしか部屋から出てこない。あんなのほぼ引きこもりだ。引きこもり。


「光が居れば家庭教師なんていらないわよね」


「いらない。特に家庭教師なんて」


 赤の他人と二人きりで長時間なんて耐えられない。


「なんか教えてもらったの?」


「…あんまり」


「勿体ない。どんどん使えばいいのに」


 だってお兄ちゃん集中してたんだもん。


「…ここわかる?」


「ちょっと、私に頼らないでよ。わかるわけないじゃない。戻ってきたら光に聞きなさい」


「…うん」


「光もわからないことを聞くくらいなら邪険にしないでしょう」


「うん」


「頑張って勉強してるんでしょ?」


「うん」


「大好きなお兄ちゃんとおんなじ学校に行きたいんでしょ?」


「うん」


 …


 うん?


「ち、違うから!?」


「ん、何がだ?」


 ちょうど戻ってきた。何も知らないお兄ちゃんがこちらをみて不思議そうにしてる。…むかつく。


「うっさい、バカ!」


「えぇ…」


 いいから勉強教えてよ。

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