第4話 妹

「ただいま」


 玄関を開けながら言うが、返事は返ってこない。

 階段を上り、自室に鞄を置くと、配布された教科書と問題集を出す。

 坂之上学園は、1年の最後に文理選択をして、2年からは文系か理系かも含めてクラスが分けられていて、俺と水月は文系を選んだことになる。

 時計を見れば、あと少しで5時。まずは、問題の最初の去年までの復習のページだけ終わらせることにした。





***




ガチャッ



 ドアを開ける音が聞こえた。


「おかえりー」


 聞こえるように少し大きく声を出す。


「…」


 返事はない。階段を上ってくる音だけが聞こえる。勉強を中断してドアを開けると、その人物はちょうど階段を登り終えたところだった。

 妹の未来みらい。俺の一つ下で、この4月から坂之上学園とは別の高校へ通っている。


「おかえり、未来」


「…ほっといて」


「はいはい。母さんから電話きたか?」


「来た」


 それだけ吐き捨てるように言うと、自室にこもってしまった。最近はこんな感じだ。大した会話もせず、ほとんど自分の部屋にいる。俺たちくらいの歳なら、こんなものかもしれないとも思うのだが、少なくともうちでは、今年の初めくらいまでは普通に会話があり、未来の部屋で勉強を教える程度には会話があったのだ。

 肩を落としながら、ふと、外を見れば、ちょうど外も暗くなり始めていた。部屋の電気をつけ、勉強に戻る。母さんもそのうち帰ってくるだろう。




***



 復習のページを終えたところで、タイミングの良いことに母さんが帰ってきたようだ。問題集を閉じ、リビングに向かう。


「なんか手伝うことある?」


 買い物袋から買ってきたものを取り出しているところだった。


「んー、じゃあ自分でカレー作る? ふざけた味にならない限り光好みで作っていいよ」


「そうする」


「あっ、納豆は明日にしてね」


「わかった」


 カレーのルーの箱の後ろに書かれている作り方を見る。アレンジさえせずに時間や手順、方法を間違えない限り食えないほど不味くなることはないはずだ。


「光、包丁とって」


「はい」


「そういえば、未来と話したの?」


「一応。帰ってきたのわかったから」


「そう」


 話しながらも手は野菜を切り続けている。俺もたまに手伝いはしていたので、ある程度はできるが、目を離しながらは怖い。


「あの子もいつまでああなのかねぇ…」


 その呟きにすぐに応えることはできなかった。




***



 カレーを作っている間に母さんは夕食の分を終えていた。俺の手際が悪いにしても経験の差を感じさせる。


「終わった? なら、未来呼んできてくれる」


「はいよ」


 階段の前まで行き、声をあげる。


「未来、ご飯だぞー」


「…」


 無視というか聞こえてないのは珍しいことではない。最近は反応が返ってくる方が珍しい。

 仕方がないので階段を上り、未来の部屋のドアをノックする。


「入るぞ」


 未来の部屋は目に見える埃こそないが、ノートやら何やらが散乱している。片付けてほしいとは思うものの、自分の部屋ではないのであまり強くも言えない。


「勉強してたのか?」


「…」


 未来がこちらに気がついた様子はない。原因は耳につけられたヘッドホンだろう。そしてその視線は机の上に注がれている。

 仕方がないので手を伸ばし、肩に触れる。


「っ!」


 ビクッと腰を浮かしたかと思うと、すぐにヘッドホンを外し、こちらを睨んできた。


「いきなり何?」


「一応ノックしたんだけど」


「聞こえなかったし!」


 机の上に突っ伏すようにしてノートを隠していた。別に隠す必要もないのに。


「そりゃそんなものしてたら聞こえないだろ。というか、曲聴きながら集中できてるのか?」


「うっさいって言ってるでしょ! 勉強してるんだからほっといてよ!」


 最近では、いきなり怒鳴られるのも慣れてしまった。だが、それを責めるつもりはない。


「夕飯だから呼びにきたんだよ」


「…区切りのいいところで下りる」


「はいよ」


 未来はヘッドホンを元に戻そうとして、そのままそばに置き、こちらを睨んでいる。


「…」


「…」


「何?」


「何が?」


「いつまでそこにいるのかって聞いてるの!


「区切りがつくまで?」


 未来は立ち上がると、こちらにやってきて、扉の前で待っていた俺の体の向きを180度回転させる。


「…い・い・か・ら! 出て、って!」


 強めに背中を押されて、部屋の外へと追い出される。そのまま廊下で待っていても仕方がないので、階段を下りる。


「未来は?」


「区切りがついたら下りるって」


「なら、先に食べてようか」


 出来上がった料理を運ぶ。


「いただきます」


「はい、召し上がれ」


 続けて母さんもいただきます、と手を合わせながら小さく言う。


「そういえば、光、今日は少し遅かったの? 連絡した時、まだ学校にいたんでしょ?」


「あー、なんか今年から部活入ることになった」


「え? 2年から? なんの部活?」


「相談部」


「なにそれ? なんか変な部活じゃないでしょうね?」


 食べる手を止めてこちらを見つめてくる。


「なんだよ、変な部活って」


「ほら、あんまり聞いたことないし… それで、その、相談部?には馴染めそう? 2年からなんて難しいでしょ?」


「いや、今年から始まった部活だから、人間関係も出来上がってない感じ」


「あっ、そうなの。ならまだ安心ね」


「だから、これからも遅くなるかも」


「了解。あんまり遅くなるようなら連絡するようにね」


「うん」


 しばらくして未来が下りてきて、俺の隣の椅子に座る。そこは未来の定位置。その対面の今は空席となっているのは父さんの椅子だ。


「…いただきます」


「はい、召し上がれ」


「区切りはついたのか?」


「…」


「機嫌悪いのか?」


「…別に」


 俺と話す気は無いらしい。


「光ね、部活に入ったんだって。相談部とか言うの」


「そ」


「やっぱり高校生なら恋の相談とかくるのかしら。それとも勉強とか? なんにせよいい勉強になりそうよね」


「…」


 明るく話す母さんに対して、未来は手を止めることなく、黙々と食べ続ける。


「…未来、いつまでも拗ねてても仕方がないでしょう?」


「別に拗ねて無いし」


「受験に失敗したのあんただけじゃ無いのよ?」


「わかってるし」


 未来は、掻き込むように夕食を食べていく。


「お母さんは中学出たらすぐ働きに出たからわかんないけど、今から合格でした、なんてことはないんだからグジグジしてたって仕方ないでしょう。」


「わかってる」


「なら、しゃんとしなさい。転校するために頑張ってるのはわかってるけどね、他をおろそかにするなら、転校してからもやってけないわよ」


「うん…」


 未来は食べるペースを落とす。未来は今年の2月、坂之上学園を受験したが、合格することはできなかった。そのため、今は別の高校に通いながら転校するために必死に勉強している。

 うちは親が転勤や失業はしていないし、未来がいじめを受けているわけでもないので、学力で転校を認めてもらうしかない。

 幸運なことに、坂之上学園は転校希望に対して寛容で、9月頃に受験のように試験を受けることができ、それで一定以上の点数を取れば、転校が認められる。実際、去年の俺のクラスにも転校してきた人がいた。


「というか、光に教えてもらったら?」


「いい」


「この前まで見てもらってたじゃない」


「いいって言ってんじゃん!」


 母さんは、いきなり声を荒げた未来に驚いていたが、すぐに元に戻る。


「なに意地になってるの」


「別に意地になってない」


「まぁ、本人がいいって言ってるんだから、強制するもんでもないだろ。未来なら一人でもしっかりやるだろうし。な?」


 口喧嘩が始まりそうだったので口を挟む。


「…」


 未来がこちらを睨んだ気がする。何故だ。


「光、あんたねぇ… 未来はお兄ちゃん子なんだから…」


「違うから! お母さん、なにいってるの!」


「…最近はあんまりそういう言い方しないのかしら… えっと、ブラコン?」


「ち、違っ、違うからぁ!」


 未来はおもむろに立ち上がると、階段の方へ向かう。


「ちょっと未来、もういいの?」


「お腹いっぱい! ごちそうさま!」


 ドタドタと階段を駆け上がっていった。その横顔は怒りからか真っ赤に染まっていた。


「母さん… 未来は勉強のストレスでイライラしてるんだから、あんまりからかうのはどうかと思うよ」


「あれはただの思春期でしょ。未来はいいから光はたくさん食べなさいよ」


 夕食後、母さんが風呂に入っているのを見計らってか、未来が下りてきて、自分の残した分を俺を睨みながら食べていたのは別のお話。

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