第4話 きりぎりす

 師走に入ってまもなく晴れた寒い日に齋藤の三番隊の伍長が斬殺された。

 齋藤はすぐに隊を率いて現場に向かう。

 御所近くの竹林でその日非番だった村上伊助は前から袈裟懸けに斬られて倒れていた。

 近くの百姓が二人連れの若い浪人が「村上さん」と声をかけて振り返った村上を一刀のもとに斬り捨てて懐から何かを抜いていくのを見ていた。

 斎藤は村上の刀の鯉口も切られていないを不審げに見つめた。

 単純な物盗りにしては奇妙だった。伍長を勤める村上は腕もたったし、新選組隊士として用心もしていたはずで無防備に振り返って斬られたとすると、声に聞き覚えがあったか、ここで待ち合わせでもしていたか、いずれにしても知り合いの可能性が高い。

 斎藤は少し憂鬱になった。

 新選組には私闘を禁ずという不文律があり、隊内から犯人が出ると新たな死者が出ることになる。

「懐から何を抜きとった」と百姓に尋ねたが、百姓は怯えたように首を振り、死体に屈みこんでいる後ろ姿と、あったという声しか聞いていないと答えた。

 斎藤はため息をつくと、運んできた戸板に村上を乗せるように隊士に命じ、村上の死を伝えるべき縁者を知らないかと聞いた。

 誰もが顔を見合わせ首を振る。

「女の話とか聞いてないのか」

「きりぎりすなら」と誰かがぼそりと答えて、隊士の間で微かに笑いがおきた。

 村上伊助は斎藤同様に人づきあいが苦手でその上融通のきかない男だった。

 斎藤の隊は永倉、沖田の隊と共に精鋭隊で頻繁に出動があり、隊士が他の隊の応援にかり出されることも度々あったが村上は自分の隊以外の仕事には熱心ではなかった。また見廻りで二手に分かれて自分の側が終われば残りの援護に出るのを渋った。余計に働くのは損とばかりの態度に斎藤はむっとしたが「伍長は隊長に何かあった時に隊を率いるためにもやみくもに戦うべきではないかと」としたり顔で言われて返す言葉もなく、またそんな風に融通のきかないところもあったが、斬り込みの時にはそれなりに働くし、味方も助けるから、そういう性分なのかと思っていた。

 親しい者はなく、唯一の楽しみが浪人時代に小遣い稼ぎにやっていたきりぎりすや鈴虫の飼育で、初夏に捕りに行くきりぎりすは臆病でなかなか姿を現さない、足音を聞くとすぐに鳴くのを止めるのでいかに捕るのに工夫がいるのかを酒席で延々と聞かされたことがあった。

 そういえばそんな虫好きの同好の仲間に会いに時々出かけていたようだと隊士の一人が言ったが、誰も相手や会合場所を知らない、と言うより村上のそんな趣味に興味がなかった。

 結局、引き取り手のない遺体は一旦隊に運んだ後で近くの小さな寺に葬られた。

 形ばかりの寂しい葬儀の後、斎藤は村上が長州の間者で今は新選組の間者として長州の情報を運んでいたと土方から聞かされた。

 唖然とする斎藤に

「これは俺と近藤さんしか知らぬ。今後も他言無用で頼む」と土方はしれっと言い、「ところで最近、村上に何か変わったことはなかったか」と聞いた。

「さあ」,

「伊東達と親しげにしていたことは」

「いや、ない、と思う」と斎藤は自信なさげに答えた。部下として信頼はしていたがそれ以上の関わりはなかった。永倉、原田など他の隊の隊長がしきりに自分の隊の隊士を飲みに連れていくのに対して斎藤はそれを殆どしない。大きな捕り物の後には慰労をかねて飲みに行くが大抵一緒に仕事をした別の隊と一緒で、三番隊だけでいって仕事の愚痴や相談を聞くことはなかった。別に飲み代をケチっているわけではなく、相手のことに踏み込むのが苦手な性分のせいで、部下たちも斬り込みの時に頼りになるなら日常での斎藤のそんな距離感をよしとした。

「そうか、分かった。行っていい」と土方は言うと文机に目を落とし、書き物をはじめる。

 斎藤は釈然としない思いで土方を見ていた。

 土方は顔をあげる。

「なんだ」

「村上は長州に間者であることがばれて殺されたのか」

「たぶんな」

 たぶんではないだろうと斎藤は腹が立ってきた。だいたい一緒に斬り込みをする隊士に間者を紛れこませておいて事後報告で済ませるのはどうなのか。

「犯人捜しはどうする」

「ほう、仇を討つのか」と土方は意外そうに聞いた。

「当たり前だ。隊士は村上が間者だったとは知らぬ。部下が斬られて知らぬ顔の隊長に誰がついてくる」

 土方は肯いた。

「なるほど一理ある」

 斎藤は土方を睨んだ。

 一理もなにもそれが土方の方針だった。土方は戦闘以外で隊士が斬られると、監察方はもとよりその隊士の所属した隊で探索にあたらせた。(時には内部粛正で形ばかりのものもあったが)捨て駒ではないという意識を隊士に持たせることで隊士を結束させる一方で身内の私闘を防ぐためだった。

「犯人は十津川郷士らしい」と土方は言った。

「そこまで分かっているのか」

「ああ、たぶん長州の差し金だろう。だが証拠はないし、十津川郷士は帝の兵だ。簡単に手を出せる相手ではない。お前の部下には間者の話は伏せてそこだけ上手く話せ」

 斎藤は釈然としないまま立ち上がる。

 部屋を出る間際に振り返り

「なぜ伊東さんのことを聞いた?あの人には村上のことは知らせてないのだろう」,

「感づいて村上を長州に売ったかもしれんからさ」

 伊東は近藤と共に芸州に行っている。可能性は薄そうだが土方がそう思いたいのだろうと思いながら斎藤は部屋を出ると三番隊士の部屋へ向かう。

 総長の山南が死に、新選組を単純に最強の兵にしたい土方と、そこへ思想を持ち込み政治集団にしたい伊東の対立はどんどん大きくなった。近藤はどちらも新選組には必要だと考えて、己の器の大きさで初期の頃の山南と土方のように双方を上手く御したいようだが、所帯が大きくなり人数が増えた今、それは無理だった。いや、そもそも山南と土方も上手く御せなかったから山南は脱走し切腹したのではなかったか。

 とにかく村上の死に対する土方の態度が斎藤は腹立たしかった。

 村上の荷物はすでに片付けられ、何も残っていない。

 ふと庭に目をやると村上がきりぎりすを飼っていた甕が割れて庭の片隅に転がっている。

「あれなら卵がかえっても自由にすると思って」と内田という若い隊士が言うのを聞きながら斎藤は冷え冷えとした庭に下りるとしゃがみ込み、割れた甕を眺めた。

 融通のきかない男が間者の二股なんぞして、どんな思いで虫を育てていたのか。

 隊士達の視線を感じながら斎藤は無言で立ち上がると、屯所を出て下北通り烏丸にあるという十津川屋敷に向かった。

 険しい山に囲まれた十津川郷は米がとれず、その貧しさ故に、いにしえに兵を出すことで税を免除された。そのために奈良時代の壬申の乱の頃から戦と聞けば十津川の兵は朝廷のために駆けつけて働いた。南北朝の元弘の乱では護良親王がこの里に逃れ、以後南朝を支援し続けたように皇室と強い結びつきを有するこの里は天領となった今もことのほか勤皇の思いがあつい。文久三年、そんな勤皇の思いを募らせた郷士上平主税が中川宮に建白書を出し、十津川郷士は御所の警備をすることを認められた。

 孝明天皇は勤皇と言いながら時として己の権力闘争のために動いているような尊王攘夷志士よりもこの純粋で素朴な天皇の親兵を好ましく思い、翌元治元年には自分の儒官の中沼了三を十津川に送り、学問所を建てさせている。

 しかしながら奥山にある十津川は古くは義経、近くは大塩平八郎が落ちたと囁かれる隠れ里で、都を追われた攘夷浪士も何人も流れこんでいたために彼らとの縁も浅くはなかった。上平主税の建白書も彼らの協力があってこそ帝に届いたし、大和の天誅組の乱にも多くの十津川郷士が加わった。もっとも朝廷が天誅組を逆賊とすると政治思想よりも純粋に勤皇の思いが彼らの多くは離反したという。

 十津川屋敷は御所の近くにある。

 侍姿の山崎が斎藤を追いかけてきた。

「まさか十津川屋敷に乗り込む気やないやろな」

「いや」と斎藤は否定した。

「だがこのままではおさまらぬ」

 山崎はやれやれと首を振り、話した。

「斬った二人組にとられたんはたぶん長州の密書や」

 斎藤は驚いた。

「どういうことだ。新選組の間者になぜそんなものを預ける」

「京を追われた長州に関するところはどこも厳しい目が光っている。そんなところに怪しまれずに近寄ることが出来る」

「まさか」

「御用で新選組が見廻りにきたといえば大抵は入れるし、幕府方でそれを捕らえることもない。村上の役目は新選組を探る他に、禁門の変以来動き辛くなった連中の連絡のつなぎやった」

「しかし新選組が届ける手紙を信用出来るのか」

「それはやり方次第やろう。どこもかしこもとはいかんがそれでも下手な者がうろうろして捕まることを考えたら賢い」

「それでその密書に土方が目を通していたのか」

 斎藤はあきれた。

「まあな、実は半年ほど前から土佐が薩摩と長州を組ませようと動いている」

 薩摩は過激な行動をとる長州に反発し、文久3年に会津と薩会同盟を結び、禁門の変では会津と共に長州を都から追い落とした。

 このため長州人は討薩会奸と下駄の裏に書くほど薩摩を恨み、両藩は犬猿の仲となった。

 だが翌年に久光とあわずに一時島流しになっていた西郷隆盛が京に戻ってから薩摩に微妙な変化がおきる。

少しずつ会津と距離を置き始め、第一次長州征伐では長征軍の参謀を務めた西郷の長州に対する処分はかなり甘く、今回の二度目の長州征伐には腰が重い。

 それでも朝敵長州と手を結ぶことは簡単ではないはずだった。

「薩摩と長州をなんで」

「倒幕やろ」と山崎はさらりと答えた。

「たかが外様二つが手を握ったくらいで」

「その外様一つも潰せないのが今の幕府や」

 斎藤は暗澹たる気持ちで少し黙りこんだが再び口を開いた。

「しかし村上も土方もよく互いを信じたな」

 鷹揚に大将然と構えた近藤と違い、副長の土方は隊の引き締め役を自認しているだけあって疑り深い。大袈裟だが土方に目をつけられたら消されると思っている者は多く、山崎や沖田のように土方に全幅の信頼をおいてるほうが珍しい。

 山崎はしばらく黙っていたがぼそりと斎藤に聞いた。

「なあ、なんで間者何ぞ引き受けると思う」

「さあ、やむにやまれぬ事情があるのじゃないか」

「それもそうやろうが、わしはそこに居場所があるからやと思う」

「居場所」

「いくら命令でもそれだけで危ない橋はなかなか渡れん。村上は長州に天下のために仕事をしてくれと言われ、新選組に入った。楠や荒木田といった同じ間者が消される中でその思いで黙って働いた。だがある日、長州人の一人になぜ楠を助けなかったとなじられたらしい」

 その時に村上の中で居場所がゆらいだ。

 村上は村上なりに融通のきかない変わり者として毎日薄氷を踏む思いで過ごしてきた。だが芋つる式にばれることを防ぐためとはいえ、知らぬ仲間がいて、助けないとなじられる。なじった男には村上に対する軽侮もあっただろう。

「だから村上は間者であることがばれ、こちらに情報を流せば助けると言った副長の言葉にのった。そして副長はその後村上ががせのネタを掴んできた、というても後で向こうの都合で消えたネタやとわかったんやが村上を責めなかった」

 身勝手な長州に対し、許して村上を信用させた土方の方が一枚上手だったのかと斎藤が言うと山崎は不機嫌そうに

「そう言うたらそうやけど間者の辛さを使う者はわかってくれんと」

 斎藤は思わず山崎の顔を見た。山崎はそんな斎藤に困惑したように

「それが情言うもんや」と言った。

 自分は土方をそんなに信用出来る男だとは思っていないが山崎は土方を信じきっている。

 ふと沖田と交わした話を思い出した。

 沖田が一度、勝海舟の護衛についた時に勝は沖田に岡田以蔵が武市に命じられるままに人を斬り、最後は武市に見捨てられ、牢で毒を盛られて死に損なったあげくにそれまでの所業全てをぶちまけて死んだ話をした。

「武市も悪いが切れる刀があれば誰でも使いたくなる。おまけに馬鹿はそのうちに主へのお為ごかしに余計なものまで斬るだろう。それが主の首をしめるとも知らずに」 人斬りが嫌いな勝は嫌みたらしく「だからお前さんも腕じゃなく頭を使え」と続けたらしい。

 沖田はよほど頭にきたらしく自分も近藤もそんなことはないと言った上で

「けど人斬りなんて誰かのためだと思わなきゃやってられないじゃないですか」

と言った。

 斎藤には実はそれがよく分からない。

 斎藤が人を斬るのは生きる手段で近藤や土方のためではないし、彼らを信頼しているかといえば少々怪しい。どこか一歩ひいていた。

 だからといって沖田や山崎を軽蔑はしない。むしろ羨ましいと思う。自分の薄情さは結局同じところから発している、そんな思いもあった。

 竹林の先が急に開けてまだ新しい屋敷が見えてきた。

 十津川屋敷である。

 門はいかにも急ごしらへで屋敷自体もどちらかといえば安普請ではあるがさすがに交代で御所の警護にあたる三百人近くの住居とあって大きい。

 ちょうど警護の交代時なのか、門からぞろぞろと出てきた十数人の集団と斎藤と山崎はすれ違った。

 菱形に十字の入った茶の揃いの羽織の彼らは不審げに斎藤らを睨んで行く。

 若い者が多いが年輩者も数人いた。新選組も人のことはいえないがいかにも山の民らしく朴訥な垢抜けない集団だった。

 中にひときわ大きい男がいた。もじゃもじゃの髭面たが顔つきはまだ幼い。

 並んでいた小柄で目つきの鋭い若い男が斎藤達を睨み、

「なんだ、あいつら」と呟く。

「幕府の犬かもしれんな」と大きな方が言った。

 田舎者だから声が大きい、それとも斎藤達を挑発しているのか。

「ちょうどいい、長州様からもらった刀を試してみるか、熊」

 二人の腰には田舎侍にしては拵えの良い刀がさしてある。

 熊と呼ばれた大柄な若者は立ち止まり、斎藤達を振り返るが

「止めとけ、御所の警護が大事じゃ」と年輩者にたしなめられ、少しほっとした顔でまた歩き出した。

「なんだ、やらんのかよ」と小さい方は不満げだったが斎藤達を振り返りながらも熊の後を追いかけていった。

「刀をもらったと言ったな」と斎藤は彼らを見送りながら山崎に言った。

「ああ、熊か。調べるわ」

 斎藤は熊の顔を思い浮かべた。いつかは刀を合わせるだろうがあのどこか幼い表情に戸惑いもあった。村上の仇をうつなら、あの若者ではなく村上を斬るように頼んだ長州人を斬るべきではないか。

「依頼した長州人までたどり着けるか」と斎藤は山崎に聞いた。

 山崎は難しい顔で斎藤を見た。

「頼むよ」

 山崎は肩をすくめると歩き出した。

 斎藤は隊に帰ると三番隊の部下には村上が十津川郷士と争って斬られたらしいことだけは告げた。帝の衛士だけに手出しはそう簡単に出来ないことは彼らにも分かる。「だが今度現場であったら容赦はしない」と言うと何人かの隊士は肯いた。

 その顔を見ながら斎藤は自分に問いかけていた。

 何故自分は村上の仇うちにこだわるのか、村上を憐れんでいるのか、土方に反発しているのか。答えはでない。

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