ちっこい鉛筆

 貴方は小学校の頃にどれくらいの短さまで鉛筆を使っていましたか?

 私は小さくなるまで使っていました。


 使ううちに鉛筆が短くなるのが単純に楽しかったんです。


 長いのや短いの中くらいのなど長さが違う鉛筆が並んでいると、自分がどれだけ鉛筆を使ったのかが一目瞭然で不揃いな長さが個性的で楽しかった。

 筆箱の中で高さの違う鉛筆が並んでいるのを見ると、五線譜に乗っかる音符を見るようで音楽が流れてくるような気がして面白いとも思った。


 そのうちに鉛筆に愛着が湧いてきて最後まで使いたい、使い切ってみたいと思い始めた。そして、どれくらい短くなるまで使えるのか挑戦してみたい気にもなってきたんです。



 ある程度使うと電動鉛筆削りでは削れなくなり、手で持ってクルクル削る鉛筆削りに変えました。


 手持ちクルクルで更に短く出来ましたが、今度は短くなり過ぎて書きづらくなってくる。困りました。まだまだ短くできるのに書けなくては先が丸くなりません。


「横倒しにして擦ってみるか?」


 それでは使用しているのではなく、短くするために消耗させてるだけだ。その時の私に消耗って言葉は浮かびませんでしたが、短くなるまで使いたいという当初の目的からずれているという事には気づいた。


 あれこれと考えてひとつ思いつく。


「そうだ、紙で軸を作って継ぎ足したらどうだろう?」


 早速、鉛筆にくるくると紙を巻き付けてみました。やった! と思ったのですが、書こうとすると紙の筒の中へするっと鉛筆が落ち込んでしまいます。試行錯誤を重ねて上手くいき学校でも使っていました。


 こんな私の鉛筆に気づく人が現れます。反応は人それぞれでした。


「それ何?」

「何でそんなことしてるの?」

「捨てたらいいのに」

「新しいのと取り替えたら?」


 一人一人に同じ説明をしました。

 納得する人、納得できない人、継ぎ足して使う発想に驚く人や良い事だねと共感する人。色々な反応がありました。短い鉛筆を使うための道具があることを教えてくれた人もいましたよ。


 そんな中で私が衝撃を受けた言葉がありました。


「貧乏くさい」


 おっと!(・・;)


 紙を継ぎ足しているからそう見えたのかもしれないですね。

 この言葉で惨めに感じる人もいるでしょう。


 でもね、私はその言葉で惨めな気持ちにはならなかった。それよりも、大切に物を使うことを貧乏くさいと思う人がいることが驚きだった。


 たぶん、今思えばですが・・・。


 その言葉に触れる前に色々な意見や反応を受けていたから、貧乏くさいも沢山の意見の中のひとつにすぎなかった。だからそれ程心に刺さらなかったんだと思うのです。


 一番最初にかけられた言葉が「貧乏くさい」だったらどうだったのだろう?


 私も惨めな気持ちになっていたかもしれない。



 人はそれぞれに様々な感じ方をして色々な考え方を持っていますね。


 もしも、貴方の言動を突き刺す言葉に出会ったら、その相手だけに目を向けず身近な人達に聞いてみるのもいいですよ。同調してくれる仲間だけではなく、いろんな人に聞いてみるといいですよ。



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