第2話──ケーキと哀愁
「僕、インドア派だからあんまり遠出したくないんだけど」
「良いじゃない。今日はくりすます、って言うおめでたい日なのよ?」
「そうなのか?よく知らない」
商店街で僕達は、人間たちのあいだを掻い潜ってなんとか歩いている。先立って進んでいるのはもちろん彼女で、僕は渋々それに続いている。
猫である僕たちの世界にはあまり時間という概念が存在しないので、今日がくりすますだろうとなんだろうと猫には関係ない。
というより、理由もなく何かにつけて生き急ぐ人間よりも、我々はもっと気ままで動物的であるから、とりあえず今が朝か夜かさえ分かれば特に問題は無いのだ。
端的に言えば、ご飯が食べられて寝場所さえあれば何の文句もない。猫からすれば、人間の方がよっぽど欲深い。
話は逸れたが、とはいえ、そういった人間たちの営むイベント事に全く関心が無いかと言えば……嘘になる。
「付き合ってあげても良いけれど、やっぱりあんまり遠出は出来ないな。何しろ日が沈むまでに戻らないと、帰ってこれるか──……」
そこまで言ってからハッとする。帰る場所……僕にとって、帰る場所って、どこだ?
彼女の方を見る。彼女は後ろを向かずに無言で、相変わらず歩みを進めている。
試しに、僕は聞いてみた。
「……ねえ。君は、僕が可哀想だと思う?」
すると彼女は突然歩みを止め、それから僕の方を振り向く。危うくぶつかりそうになった。
彼女は僕の目を見つめ、暫く考える素振りを見せてから言った。
「……とても可哀想だと、言って欲しい?」
意外な応えに、少し拍子抜けしてしまった。
「君は、とてもいじわるな子だね」
彼女はクスクスと笑った。
けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
彼女がまた前へ向き直った時に早足で駆け出したので、続く僕も同じように走り出す。
刺々しくからだに刺さる痛いくらいの寒気も、今だけは寧ろ心地よく感じた。
「凄い……こんなところがあったのか」
「ここは人間のふぁっしょんを高めるための場所よ。私たちには無縁だけどねー」
残念そうな彼女だが、声には隠しきれない高揚感が含まれていた。
恥ずかしながら、その気持ちは少しわかる。
最初はコーヒーの苦い香りばかりしていた商店街が、いつしかショーウインドーが並ぶ街並みに変化していて、色んな照明で人形が照らされ空調で微かに揺れている衣服が、キラキラ、キラキラ、と輝いている。
これは……猫心が擽られる……。
元来、猫は光るもの、もとい、光って動くものが大好きなのだ。本能には逆らえない。
掴み掛かりたい気持ちをなんとか抑えて、彼女に着いていく。
すると、ある場所の前まで歩いて来たところで、彼女は立ち止まった。
「……。」
「どうしたの?」
「……ここで、昔はくりすますの時期になるとけーきを買ったのよ。ここは私でも食べられるものも作ってくれるから」
そこはケーキ屋だった。確かに、店から出てくる人の持っている箱から、甘い匂いが漂ってくる。
彼女は僕の方を見る事なく、じっとショーウインドーの中のサンプルを見ていた。
「まあ、もう終わった話だからね」
「……戻りたいと思う?」
彼女はしばらく黙り、それからまた僕の目を見て言った。
「いいえ、戻らないわ」
「……そう」
僕たちは綺麗に彩られたケーキを眺めていた。彼女はケーキに夢中なようだった。
──その行為が、とんでもない秘密を紐解いてしまうとも知らずに。
「……!」
「……どうしたの?」
怪訝な顔で彼女は僕に尋ねる。それでも僕は動けなかった。
すると彼女は、僕の肩を心配そうに揺する。そこでやっと我に帰ったかのように気がついた。
「ご、ごめん」
「大丈夫?なんか凄い顔してたけど」
「いや、ちょっとびっくりしちゃっただけ」
「そう?まあ、あんまり目にすることも無いものね」
彼女は気にしてない様子なので、ひとまず安心した。
彼女は再び歩きだし、しばらくしたところで言った。
「……そろそろ公園に戻ろうか」
「……そうだね」
もう、日が暮れてきていた。
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