はじめての戦闘

12,Sympetrum frequens

「うわ~、お祭りの後は滅茶苦茶だなぁ」


 アケミさんに見送られ、次の目的地、シックルウェアを目指して朝の静まり返ったメインストリートを南東へ進む。舗装されていない粘土質の道にはハロウィーンイベントで発生した無数のゴミが散乱しており、街並みこそファンタジックであるものの、とても美しい景観とはいえない。店はどこも閉まっていて、ゴミ拾いをしている人は一人もいない。


 マップアプリによると、ここビギンズタウンから東へ約10キロ離れたシックルウェアを目指すには、メインストリートから続くヴァージンロードという道を抜け、ラチエンコーストとビヨンドダイドチャイルドという二つの街を経由しなければならないらしい。自動車や列車に乗れば十数分の距離も、整備されているかさえわからない道を歩くとなると、どれくらい時間を要すか予想できない。日本ではあまり意識しなかったけれど、交通網が整備されていないのは不便なものだ。


「わあお! イッツふぉれすと! ミギ森、ヒダリ森、マエ切通きりとおし、ウシロビギンズタウンいえーい!」


 明日香ちゃんの言う通り、市街地を抜けるとすぐ森へと入った。住宅の裏に森があることから、ビギンズタウンは森を切り開いて形成された街と思われる。


 無数の常緑樹で鬱蒼とする森の中にも何本か真っ赤な衣装を纏ったかえでが立っていて、青空一面に蜻蛉とんぼが飛び交っている。


 そうか、もうすっかり秋なんだ。


 ハロウィーンなどの人為的なイベントで秋を感じることはあれど、自然の景色で秋を感じたのはいつぶりだろうか。自然豊かな青森に住んでいてもなかなか外出する機会がなく、身近な素敵をすっかり見逃していたとバーチャル世界で気付かされるとは、なんとも滑稽で寂しい話だ。


「ん!?」


 感傷に浸っていたそのとき、事件は起きた。不意に頭部にチクリと痛みを感じると同時に、立っているのが困難なほどの重荷がのし掛かり、身体がフラフラして後ろへ倒れそうだ。


「えっ、なに!? なにこれっ!?」


「おーお、超でけー。沙雪の頭に50センチくらいのアキアカネが留まってるよ!」


「アキアカネ!? へっ!? ひゃあっ、へえっ、どうしようどうしよう!」


 まさか上空の蜻蛉がそんなに大きいとは思いもしなかった。アキアカネではなく古代蜻蛉のメガニューラではなかろうか。


「沙雪は虫嫌いなの? でも大丈夫だよ。よくプールサイドで水泳帽被りながら座ってると留まってきたりしない?」


 いやいや虫嫌いとかそういう問題じゃないよお! 虫は苦手じゃないけど、蜻蛉は肉食昆虫なんだよ!? 50センチもあるってことは、私を食べに来たんじゃないの!?


 パニックに陥りながらも「ひゃあああっ!」と悲鳴を上げながらロックンローラーのようにブンブン頭を振って抵抗を続けた。


「はああ、はああ、はああ……」


 死ぬかと思った。本当に死ぬかと思った。もう、腰が抜けそう。


 抵抗の甲斐あってか、蜻蛉は間もなく飛び去り、沙雪は事なきを得た。混乱してロケットランチャーを召喚する余裕もなかった。両手を膝に着いて息を整えている沙雪は、これが野生の世界なのかと、自然界の厳しさをほんの一口かじった気がした。


「ほーら、大丈夫だって言ったじゃん! 赤とんぼの唄発祥の地出身の私が言うんだから間違いないよ! それより手ぶらで旅ができるって最高だわ! アプリ万歳!」


 確かに、アプリのおかげで重たいロケットランチャーを実体のまま携帯せずに済むのは助かるけれど、いざというとき咄嗟に召喚できるか、いま一歩自信がない。実際、蜻蛉に留まられたときはパニックで何もできなかった。


「おや!? んんん!? な、なんか肩が急に重たくなってきた! しかもチクチクする!」


「うん。明日香ちゃんの肩に交尾中の蜻蛉さんが掴まってるよ」


 とってもとっても大きな蜻蛉さん。ゲームの世界でも生命の営みは行われるようだ。交尾中の蜻蛉さんはハートマークのような形をしていて、心なしか幸せそう。


「わあお! ってことは2頭!? オーマイガー! イッツソーヘビー! ドラゴンフライハズバンドオンマイショルダー! これじゃあリュックより重いし脚の爪でがっちり掴まれてチクチク感半端ない!」


 片言の英語を喋る明日香ちゃんは蜻蛉さんの重みに負けて徐々に前屈みになってゆくけれど、それでも歩を止めない。どこか男気を感じる凛々しい姿だ。


「アアオ、ア~オ! タイリョクノゲンカイダァ。この子らいつまでオンマイショルダー?」


 歩き続けて約20分、明日香ちゃんの体力は限界のようだ。長時間歩行する際は疲れていなくても20分おきに休憩すると良いというし、どこか腰を下ろせる場所はないだろうかと周囲を見渡すと、ちょうど10時の方向に倒木があったので、そこに腰を下ろした。腰を下ろしたのに蜻蛉さんは明日香ちゃんの肩にぶら下がったままだ。


「あぁ、めんごめんごー、うちら子作りで疲れちゃってるからさぁ、ラチエンコーストにある緑地まで乗せてってくれる?」


「ごめんね。もう私たち、体力の限界なの。ね、ア・ナ・タ。ふふっ!」


「わぁ蜻蛉が喋った! っていうか私タクシーじゃないよ!」


 明日香とは相反して、ゲームの世界なので喋る蜻蛉にあまり驚かない沙雪は、現実世界のアキアカネをそのまま大きくしただけの彼らの表情はいまのところ読み取れないなと、右人差し指を唇に当てながら昆虫観察をしていたとき、明日香の発言からふと思いついた。


「ちょっと待って明日香ちゃん。運賃頂ければ資金の足しになるかも」


「ちょっと沙雪!? 他人事だと思って! 第一蜻蛉がお金持ってる訳ないじゃん!」


「金ならあるぜ! 電子マネーだけど、ネットバンクに振り込んでおくから安心しな! で、お代はいくらだ?」


「お金持ってるんかい! じゃあ初乗り2キロで710円、じゃなくて710ペイで、そこから5百メートル毎に50ペイ加算で!」


「おいおい随分割高だな。だが問題ない。競馬で1万ペイ勝ったから今日に限っては払えるぜ」


「あなた、まだ競馬なんてやってたの!? もう子供産むんだからやめてってあれほど言ったのに!」


「競馬だけじゃない。パチンコもスロットもやってる」


「なんだとコラァ!! テメェ尻尾しっぽから食われてぇのか!!」


 蜻蛉の共食いは珍しくないが、決して目の当たりにはしたくないものだ。


 この世界の蜻蛉は育児をするのだろうかと、沙雪は秘かに疑問を抱くと同時に、空を彩る蜻蛉の可愛らしいイメージが、この2頭の態度によって大きく変わった。


「わあわあ蜻蛉が競馬とか突っ込みたいけど私の肩ではねバタバタさせながらうちの両親みたいな喧嘩しないで!」


 トンボ科やヤンマ科の蜻蛉の顔を正面から見ると、通常は黒い瞳で口を開けながら笑っているように見えるが、おすの尻尾に後頭部を引っ掛けて連結されているめすきばを剥き出しにして、このときばかりは肉食昆虫の威厳を感じる。


「まあまあそう怒るなよ」


「ちょっと待ってあなた!」


「なんだよ、あまり言い争ってもいいことないぞ」


「そうじゃなくて、よく耳を澄ませて」


 一同は黙って耳を澄ませたが、沙雪と明日香には風や木の葉の掠れる音しか聞こえなかった。


「スズメバチの羽音はおとだな。一頭しかいないようだが、それでもかなり危険だ」


「うぇ!? スズメバチ!? 最初に遭遇するモンスターって小さいネズミとか小鳥ことりみたいなザコキャラじゃないの!?」


「もう蜻蛉さんと遭遇してるよ」


「そっか!」


「お前らなに呑気のんきにしてるんだ! 肉団子にされるぞ!」


「わあそうだやばいやばい! 武器武器!」


「ロケットランチャー」


「それ使ったらこの森とビギンズタウン吹っ飛ぶ! とりあえず私の部屋にあった殺虫剤をドミニクに出してもらおう!」


 いや、角度によってはこの辺りが焼けるだけで済むだろう。極端に強い武器と弱い武器しか所持していない現状で、大は小を兼ねる。ここはロケットランチャーを用意したほうが良い場面だ。


 沙雪は冷静に最適解を導き出し、同行する皆の命を守るべく、初戦に備えた。

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