13,スズメバチからの逃避行

「エスケープフロムホーネット! ウィーアーピンチングデンジャラスアンドエマージェンシー! ベーリィベーリィスキャーリーいぇーい!」


 スズメバチとのなるべく戦闘を避けたい明日香、沙雪、アキアカネの一行は、やや速足で森を進み、隣町のラチエンコーストを目指している。スズメバチといえば現実世界でもアキアカネより遥かに強いオオカマキリを肉団子にして子に与え、猛毒により人間をも死に至らしめる危険生物。この世界でも当然危険と考えられ、アキアカネの焦燥具合からしてそれはほぼ確実。ただ明日香には片言の英語を喋る余裕があるようだ。


「ボビー! 私の家にある超強力な殺虫剤を送って!」


 きっとこの辺りはスズメバチの縄張りで、私たちはそこを勝手に通っているだけだというのに、無闇に攻撃するのは理不尽だと思う。ボビーに殺虫剤を頼んだのは、襲撃してきたスズメバチの動きを一時的に止めるため。この世界の大きな虫は、少しくらい現実世界の殺虫剤を浴びても死なないと思った。といえば綺麗に聞こえるけど、ぶっちゃけいざとなったら命懸けの戦闘をしなきゃ私たちが殺されちゃうという考えのほうが大きい。


「移動してるとロケットランチャーを出すタイミングが……」


 見上げると、先ほどまで空いっぱいに飛び交っていたアキアカネが一頭も見当たらない。スズメバチの接近に気付き避難したのだろう。困ったな、ロケットランチャーは車輪こそ装着されているものの、子どもや蜻蛉の力で転がすには重すぎる。この場で立ち止まって森ごと焼き払っちゃえばスズメバチを殲滅せんめつできそうだけど、重い刑事罰を科せられそうだし、そもそも私たちも大怪我もしくは死亡するかもしれない。ロケットランチャーを使用するときは発射角度や周囲の環境、敵の強さなどを総合的に考慮して慎重に。


「ロケットランチャー出さなくていい! アキアカネ重い!」


 先ほどから思っていたけれど、明日香ちゃんがロケットランチャーの使用に反対するとは意外だった。ヘイヘイジャンジャン撃ちまくるぜー! とか調子に乗って弾切れを起こすかもと懸念していたけれど、杞憂だったようだ。


「悪いな、子孫繁栄のため交尾体勢を解くわけにはいかねぇから、ロケットランチャーの嬢ちゃんに分譲して乗るわけにはいかねぇんだ」


「それなんだけどさ、言語を喋る動物として、人前での交尾は恥ずかしくないの?」


「交尾の何が恥ずかしいんだ。お前はまだ子どもだからわからないだろうが、敢えて解りやすく質問すると、お前は植物の種に肥料を与えて発芽させるのが恥ずかしいか?」


「え、そういう感覚? むしろ遊びで雄蕊おしべ雌蕊めしべを擦り付けたりしてるよ」


「そうか。つまるところ、そういうものだ。しかしなるほどな、人間は生殖行為を恥とみなす、不思議な生き物なんだな。俺たちが恥ずかしいのは獲物を逃がしたときや、棒に留まろうとしてバランスを崩したときだ」


 明日香ちゃんとアキアカネさんは生殖行為について議論する余裕があるようだ。5年生の保健の授業でヒトの誕生の仕組みを学ぶと、多くの児童はそういったことに興味を示すようになるようだ。けれど、いまはそれよりも遥かに重要な問題が、目の前にある。


「あの、あれは?」


 明日香はアキアカネの重みにより下を向いて歩いているが、正面を見ながら歩いていた沙雪は、うろこ模様をした2階建て住宅ほどの黄土色の楕円形のかたまりが数メートル先の道を塞いでいると気付き、一同に問うた。


 どう考えても最悪の事態に陥ったとしか考えられないアレだけど、一応訊いてみた。やっぱりロケットランチャーで一撃必殺といこうか? いっちゃおうか!?


「どうした沙雪? なんか目がキラキラしてるけど」


「ううん、なんでもない。それよりあれは?」


 沙雪、きっとロケットランチャー使いたくてたまんないんだ。昨夜はあんなに怯えてたのに、武器を持たせた途端、目の色変えてウキウキし始めたのは明らか。この子、ミステリアスなようで意外とわかりやすいのかも。


 私は物凄い破壊力を持つ殺戮兵器であるロケットランチャーを使うのは反対だけど、冷静になって考えてみると、いざとなったら使うしかないんだと思う。


「あれはキイロスズメバチの巣だ。これはまずい。あの中には少なくとも百頭以上のはちが住んでいるだろう。捕まったらもう競馬に行けないな。仕方ない、俺たちは一か八か上空から逃げるか。ここまでの運賃は振り込んどくから安心しろ」


「いやいやいやちょっと待って! 今度は私が航空運賃を払うから乗せてってよ!」


「そうは言ってもお前らは身体が大き過ぎる。蜻蛉でいえばギンヤンマくらいの大きさに相当するぞ。ギンヤンマといえば、俺たちアキアカネにとっては決して敵わぬ大敵。縄張りに入ってきた奴らを追い払うことはあるが、チワワがドーベルマンに立ち向かうくらいの度胸が要るぞ」


「自分で言ってて惨めじゃない?」


「何を言う。日本人にとって蜻蛉といえばアキアカネなんだろ? つまり俺たちは主人公だ。アキアカネは夏に羽化して遠く離れた山へ旅立ち、秋にはこうして故郷の平地へ戻る。まるで物語の主人公が過酷な冒険のなかで多くの試練に立ち向かい、ボロボロになりながらも生き残って故郷へ生還するようじゃないか」


「ふぅん」


「ふぅんじゃねぇよ。ナメた態度取ると運ばねぇぞ」


「すんごくドラマチックで壮大な物語だね!」


「仕方ない。運んでやろう」


 言って、二頭は交尾体勢を解き、雄は明日香の、雌は沙雪の胴体をがっしり抱きかかえた。二頭は翅をブルブル震わせ離陸を図ると、雌は地から離れみるみる上昇したが、雄はなかなか離陸できない。


「お前体重何キロだ!?」


「レディーに体重訊くなよ。沙雪と同じくらいだよ。たぶん」


 アキアカネが「沙雪ってのはロケットランチャーの嬢ちゃんか」と問うと、明日香は「そう。私は明日香」と自己紹介をした。明日香はアキアカネにも名前を訊ねたが、名付けの概念はないそうだ。


「ちょっとアンタ! なにやってんの! 羽音が近付いてきたわよ!」


 上空から雌の野次。沙雪は教室で読書をしているときのポーカーフェイスで上空からの景色を堪能し、明日香と雄を心配しつつ、自らを抱える六本脚の刺々とげとげしさに耐えている。沙雪は黙っているとき、殆どポーカーフェイスだ。勿論、ロケットランチャーを構えるときも。


「こいつが思いのほか重いんだ!」


「何言ってんの! ギャンブルに明け暮れて運動してないから筋肉が弱ったんでしょ!」


「うるせぇごもっともなこと言うんじゃねぇ! なんだ明日香、じっとりした目で見上げやがって。こうなったら俺の本気見せてやるよ! おらああああああ!!」


 少しずつ、少しずつ、明日香を抱えた雄は斜め上へ高度を上げてゆくが。


「だめだ、もうだめだ」


 離陸からわずか数十秒。失速した雄は明日香を抱えたままひょろひょろと墜ちてゆく。落下した先は……。


「しまった。ここ、スズメバチの巣の上だ」


「ちょっと! アンタ何やってんの!」


「アーオ、イッツソーペイン! アイアムインジャード! おっ、殺虫剤やっと来たよ」


 雌が心配しているが、雄は力尽き、その場から動けない。その頃、ちょうど殺虫スプレーが現実世界から転送され、明日香の目の前に落下した。明日香は落下時に腕を蜂の巣に擦り、軽微な擦り傷を負った。


 巣の中を移動する蜂の音は人間である明日香にも聞こえるほど大きく、このままでは餌食えじき必至。


「アンタああ!!」

 

 上空の雌が叫ぶ。落下物に気付いた鈍い羽音の無数の蜂は次々と巣から繰り出し、ものの数秒で明日香と雄を取り囲んだのだ。地球に例えれば北極部分にいる明日香とアキアカネは、赤道付近から出てきた蜂に気付けなかった。スズメバチの大きさは50センチ前後のアキアカネと同じくらい。こちらも現実世界のものより遥かに大きい。


 この状況でロケットランチャーを使ったら明日香ちゃんたちまで犠牲になってしまう。沙雪はこういうときこそ平静が大切と理解しながらも心拍数が上昇し、ポーカーフェイスを保ちつつ、はぁ、はぁ、と息を荒げ、混乱状態だ。


 ロケットランチャーを除く所持中の武器ではスズメバチに太刀打ちできない。このままでは私たちまで餌食になってしまうと思うと、いっそ遠くへ逃げてロケットランチャーを使用して明日香ちゃんと雄のアキアカネさんもろともなどと我ながら恐ろしい発想に至るけれど、それは絶対にしてはならない。


 では現実世界の所持品で使えるものは何だろう。鉛筆、消しゴム、ランドセル、書籍、1リットル瓶入り最高級りんごジュース……。だめだ、どれもスズメバチを退治できるほどの武器にはなりそうにない。


 だめだ、成す術がない。

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