第7話 確信的叛逆の功罪

 夏侯嬰は沛県の生まれで、若い頃から劉邦と行動を共にしてきた。太僕という官名のもとに、常に劉邦の乗る馬車を操縦し、数多い激戦をくぐり抜けてきた男である。その功績を讃えられて汝陰侯じょいんこうの爵位を得たが、広く彼は滕公とうこうと呼ばれ続けた。滕県の県令という意味だが、これは挙兵当時に得た彼の官職名に由来している。


 その汝陰侯滕公の客に、かつて楚の令尹れいいん(宰相)を務めた男がいた。その呼び名は薛公せつこうであり、これは夏侯嬰が滕公と呼ばれるのと同様で、本名ではない。しかし夏侯嬰もこの人物の本名は知らず、薛公自身もあえて自らの名を明かすことがなかった。楚の令尹であったという難しい立場であった彼にとって、漢の時代は生きづらさに満ちていたのだろう。


 しかし薛公は夏侯嬰の客となることで、保護を受けることとなった。これにより彼の生きづらさも幾分は解消されたわけだが、そのかわり夏侯嬰から何らかの求めがあった際は、これに応じなければならないという義務が生じた。


 夏侯嬰は過去に何度も馬車から叩き落とされた太子と魯元公主を拾い上げて救った経験がある。叩き落としたのは劉邦であり、そのため彼は拾い上げる度に叱責を受けた。しかし現在では、この行為によって彼は呂后からの信頼を得ている。「帝室を守護する者」として重用されているのだ。


 薛公はある日、その夏侯嬰から質問を受けた。

「薛公どのは、黥布と懇意な間柄か?」

「いえ、特にそのようなことはございません」

 彼は会話がそこで終わることを願った。過去をほじくり返されることは、どうにか避けたいのである。しかし夏侯嬰は薛公のその思いに頓着せず、話を続けた。相談に乗って欲しいということだろう。

「お上は、黥布が謀反を起こしたことに落胆し、どう対処するべきか迷っておられる。諸将は口を揃えて討伐の必要性を説くのだが……口で言うことは簡単だ。奴を生き埋めにするまでだ、とは言うが、それを実現する策に欠けている。いったいどうすればよいものか……」

 薛公は重い口を開いた。

「滕公さまは過去に太子と公主をお救いになったことがあると聞いております。私が聞くところによりますと、あの当時、お二人を車から落としたのは皇帝陛下ご自身であったとか。滕公さまが陛下のご意思に反してお二人を車に戻したのは、どのような思いがあったからか、お聞かせ願いたい」

 夏侯嬰は怪訝そうに聞き返した。

「その質問……今の話題と何の関係があるのか」

「皇帝陛下は、滕公さまがせっかく助けた太子を、今度は廃嫡なさろうとしているとか……。滕公さまと陛下との間にご意見の齟齬があっては、私が何を申しても聞いてはくださるまい、と思いましてな。伺っておきたいのです」

「それは、あなたの身の安全のためだな。楚の遺臣として黥布と通じているのではないかと陛下に疑われることを、あなたは恐れているのだろう」

「いかにも」

「では答えるが、確かにわしとお上との間に意見の齟齬はある。しかし、それはいつものことなのだ。お上は常に感情で物事を判断するから、傍にいるわしらの役目は、それを冷静に正していくことなのだ。念のために言うが、これは決してお上の判断力に問題があるということではないぞ。誰しも一人で判断を下そうとすれば、感情に傾くものだ。それを合議によって正しい方向へ導く……これこそが現在の漢の政治体制であるのだ」

 夏侯嬰は胸を張って言った。薛公は冗談だろうと感じたが、あるいは本気なのかもしれないと思い、その点には触れなかった。

「多少の意見の違いはあっても、お二人の関係性に影響はないということですな。ではこれから私が申すことをお伝えしても滕公さまが陛下から疎んじられることもないでしょう……黥布が叛くのは、まったく当然のことです」

 夏侯嬰は薛公の物言いに呆れた。

「お上は黥布のために土地を割いて王とし、爵を授けて貴い身分とした。南面して君臨させ、一万台を超える車を持つ大国の君主としたのだ。だというのに叛くとは何事だ」

 薛公は極めて短い言葉で、それに反論した。

「その見方は、あなた方の尺度に過ぎません」

「違う見方があるというのか」

 薛公の首が縦に動いた。遠慮がちだったためか、夏侯嬰にはそれが頷きを示す動作なのか、確認できなかった。

「滕公さまは皇帝陛下と同じ価値観で物事を見ていらっしゃいますが、客観的に申しますと黥布の現在の立場は当然と言うべきでしょう。多大な功績によって正当な俸禄を得た、それこそが真実です。それをあなた方は、あたかもくれてやったという言い方をする……彼らにとっては癪に障ることでしょう」

 夏侯嬰は聞いていて気分が優れなかったが、客の言うことを素直に聞かないことは、義に反することである。落ち着いた態度をとりながらも、先を促した。

「彼らとは? 黥布以外にもそう感じる者がいるのか」

「先の年には彭越が殺され、前の年には韓信が殺されました。黥布を含めてこの三名は功績も同等で、一つ仲間の連中です。災難がやがて我が身に降りかかってくると思い込み、だからこそ叛いたのです」


 しかし夏侯嬰はまだ納得できなかった。自分はこうして皇帝に忠誠を尽くしているというのに、彼らにそれが出来ないはずがない、せっかく漢という新しい国号で天下に安定をもたらすことが出来たというのに、なぜ騒動を巻き起こすのか、という思いを捨てきれなかったのである。

 薛公はそれを見抜いたのか、冷たい口調で言い放った。

「あなた方は常に皇帝と行動を共にし、内側から漢を支えてきました。しかし韓信・彭越・黥布の三名は常にあなた方とは行動を別にし、外側から漢という国を作ってきました。価値観が違うのは当然です」

「待て。いまあなたは、彼らが漢という国を作ってきたと言ったぞ。違う、作ったのはあくまで我々だ。彼らは戦略上の駒に過ぎぬ」

「駒が大きすぎましたな。彼らのうち一人でも欠けていれば、漢の大陸統一は成就しなかったでしょう。それをあなた方はわかっていないが、彼ら自身はわかっているのです。よって彼らはあなた方ほど、皇帝を崇拝する気持ちを抱いておりません。自分たちの能力を最大限に発揮すれば、自分たちが皇帝になり得たからです。それをしなかったのは、彼らが自制したからに過ぎません。これが、彼らとあなた方の価値観の違いです」

「む……」

 言葉に詰まった夏侯嬰であったが、彼は熟考の末、薛公を皇帝に会わせた。そこで薛公は黥布討伐の策を披露したのである。



「黥布の叛逆に不思議はございません。彼はそれ相応の能力を持っており、ともすれば叛逆が革命に変わる可能性もございます」

 召し出された薛公は、劉邦に対して言った。不安を煽るその言い方に、劉邦は怒りとも、絶望ともとれる表情を示した。

「……どのように対処すべきか」


 薛公はしかしそれに即答せず、ゆっくりと自身の持論を説明しだした。自分の策がしっかりとした論拠に基づくことを相手にわからせたかったのだろう。

「黥布が起こすであろう行動はいくつか予測されます。そこで大きくこれを三分し、それぞれを上策、中策、下策といたしましょう」

「ふむ」

「黥布がもし上策を採れば、漢の版図の東はすべて彼のものとなるでしょう。中策を採れば勝敗の行方は定まらず、下策を採れば、陛下は枕を高くしてお休みになれましょう」

 劉邦は心中いらついた。このような勿体ぶった話し方をして、何をそれほど焦らそうというのか。


「上策とは何か?」

 劉邦の問いは、これを意識してか非常に簡潔であり、答えだけを知りたいという彼の欲求を示している。しかし薛公はそれを気にせず、自分の主張を繰り出すばかりであった。

「東に呉をとり、西では楚をとり、その後斉を併合して魯をとり、檄文を燕と趙に飛ばし、しっかりとそれらの土地を守り抜けば、大陸の東はすべて彼の支配下となりましょう。漢は関中より西に閉じ込められます。これが上策です」

「……中策とは?」

「東に呉をとり、西に楚をとり、韓を併合して魏をとり、敖倉ごうそうに蓄えた穀物を抑え、成皋せいこうの出入り口を塞げば、勝敗の分かれ目はまだわかりません」

「下策とは?」

「東に呉をとり、西に下蔡かさいをとり、えつに食糧を送り、黥布自身は長沙ちょうさに帰りますれば、陛下は枕を高くしてお休みになられ、漢は安泰でございましょう」

 ここで薛公が言う呉とは荊国のことである。下蔡とは寿春の西にある地区であり、春秋時代に蔡国の首府があった地域である。長沙とは楚の南西にある奥深い地域で、やはり異姓王である呉芮ごぜいが支配していた地域である。黥布は項羽に仕える以前に呉芮にしたがっていた経緯があるので、長沙は黥布にとってゆかりの深い地である。ただ、呉芮はこのときすでに天寿を全うし、息子が長沙王の地位を世襲している。


 薛公の策を要約すれば、上策は大陸の東側を自分の領土とし、中策は漢との決戦を積極的に挑み、下策は自分の出身地を中心に地盤固めをする、というものである。このうち黥布がどれを採るかによって、漢の対抗策も違ってくる、というのだ。


「黥布はこれらの策のうち、どれをとるであろうか」

 問われた薛公は、ついに端的に答えた。

「下策を採ることでしょう」

「ほう……間違いないか」

「まさしく」

 劉邦はこの時点でやっと話に興味を示し始めた。薛公の言いたいことが理解できたようだった。

「上策と中策を採らず、下策を採るのはなぜだ」

「黥布はその昔、麗山りざんの懲役囚でした。始皇帝の墓を作っていたのですが、そこから成り上がった男です。自分自身の力で大国の君主にのしあがったとはいえ、彼の人生や性格を顧みるに、すべて我が身のためでありまして、後の世のことを考えたり、人民や万世を思ってのことではありませんでした。ですから下策を採ると申したのです」

「なるほど。……しかし黥布がそのような性格であると、なぜ貴公が断言できるのか」

 薛公は論拠を示さねばならず、過去の記憶を探った。

「黥布は、楚の時代に項羽から九江きゅうこう武王ぶおうとして、やはりりくに首府を置き、王者として君臨したことがございます。ですがその後、彼は項羽と共に戦うことをやめました。項羽がいくら催促しても僅かな兵を出すだけで、自分自身は決して六を出ようとはしませんでした」

「うむ」

「その状況を察した漢が、黥布を味方に引き込もうと使者を派遣して説得しましたが、不思議なことに黥布はなかなか決断を下さず、その意思を明らかにしようとはしませんでした。そのことにより、彼の屋敷の中で楚の使者と漢の使者が鉢合わせするような事態が起きたのです。その場での漢の使者の機転により、ついに黥布は漢に味方することに決めたのですが、彼はその代償として自分の一族すべてを楚によって殺されることとなりました」

 つまり黥布は六周辺を安住の地としているようであり、容易にそこを動こうとはしない。彼は自分の生まれ育った土地を愛し、その思いは項羽によっても動かされない。よって、黥布は下策を採るというのである。

「漢側が黥布に対抗するとならば、この動きをさらに加速させればよろしいでしょう。旧楚周辺に彼を閉じ込め、西へ進出させずにおけば、そのうちひとりでに滅びます」

「なるほど」

 ついに納得した劉邦は薛公を讃え、彼を千戸の大名に取り立てた。さらに黥布の淮南王の称号を剥奪し、息子の劉長をもってこれに替えた。しかしこのとき劉長は三歳に過ぎない。



——おかしい。どうも妙だ。

 黥布はそのような思いを拭い去ることが出来なかった。楚国の攻略が容易すぎたため、策略を疑っているのである。

「罠があるかもしれぬ」

 実際に彼は言葉にしてその思いを表した。不疑は、それにも敬意を払う。なぜなら、凡庸な将であれば、勝利に浮かれてそのような思いに至らないに違いないからだ。

「楚国はあえて通過させ、この先に大規模な防衛部隊が待ち受けているかもしれません」

 不疑はそう言ったものの、黥布の言うような罠の危険を、自分自身が感じたことはなかった。戦時の感覚が彼より鈍い、ということだが、それも仕方のないことだろう。生存している武人の中で、黥布は疑いなく第一人者なのだから。

「楚王劉交はあまりにもあっけなく我々を通過させた。劉交自身もどこかに逃げかくれてしまい、探しても見つからぬ。……見つからないということは、あらかじめ逃げる準備をしていたからだ」

「探すのですか」

「いや、すでにその意味はない」

 今必要なことは楚国内の鎮撫であり、支配権の確立である。下邳や彭城といった主要都市を制圧せねばならないし、その途中で劉交の軍と出会うことがあれば、これを掃討しなければならない。しかし劉交が国外に逃亡したとすれば、無理をしてそれを追う必要は確かになかった。

「南西に向かい、領土を広げよう」

 唐突に黥布は言い放った。下邳や彭城は北にあるので、逆方向である。不疑は驚きを禁じ得なかった。

「お、お言葉ですが……下邳や彭城を攻めないのですか」

 不疑の言葉に、黥布は確かに迷いの表情を見せた。が、口にした言葉はそれを否定するものであった。

「確かにそれらの城市を攻めることは重要だが……わしは今、味方を得たい。長沙まで至れば、それが得られると思うのだ」

「長沙国ですか……」

 長沙は洞庭湖どうていこの南にある。首府を臨湘りんしょうに置き、異姓王呉芮が治めていたが、このときはすでに呉芮は死し、息子の呉臣ごしんが王の座を継承していた。



 このとき呂沢は、商山の四皓の訴えを聞いていた。

「我々がここに来たのは、そもそもが太子の位を守るためであった。太子が将軍となっては、事が危うい」

「太子が将軍となって功労があっても、位の増すことはない。一方太子が功労なくして還られるなら、これから禍を受けるであろう」

「太子に同行すべき諸将は、皆かつて主上ともに天下を定めた勇猛の将で、今まさに太子に彼らを統率させるのは、羊を狼の将とするのと変わらない」

「誰も太子のために力を尽くそうとはすまい。したがって、太子が功を立てられないことは必定だ」

「君は取り急ぎ呂后に請い、この事実を帝に向かって言わせるのだ。その際、泣いて訴えるのがいいだろう。陛下は病臥なさってはいるが、そこをあえて自ら出陣していただくよう、お願いさせるのだ」

 次々に浴びせられる献策に、呂沢はどう返答したものか迷ったが、とりあえず頭に浮かんだ疑問を彼らにぶつけてみた。

「陛下はこれまでも太子を廃嫡しようとし、誰が説得してもその意思を曲げなかったのだが……このたびは言うことを聞いてくださるのだろうか」

 それに対する彼らの返答は、以下のようであった。

「呂后が泣きながら訴えれば、帝はうるさがり、自分で統率した方がましだと考えるだろう」

 呂沢は苦笑いするしかなかった。

「うるさがる……確かにそうかもしれぬ」

 建成侯呂沢はその夜のうちに呂后に会い、皇帝に哀訴するよう伝えた。

 その結果、ついに劉邦は意見を翻し、以下のように言ったという。

「わしも、あの小僧では遣わし甲斐がないと思っていた。わし自身が行くより他あるまい」

 結局、泣く妻には勝てないということであろうか。ただ、このままでは黥布に負けるという危機感が臨界に達したときを見計らって泣き落としたことが、成果を得た原因だと言えよう。皇帝は体調も万全ではなく、あるいは寝ながら軍を指揮することになるかもしれない。が、それでも全軍に与える影響力は太子を遙かに上回っていた。

 皇帝は大軍団を引き連れて東行し、居残りの群臣は覇上はじょうまで同行してこれを見送った。留侯張良も長安の東、曲郵きょくゆうまで身を運び、皇帝に謁見した。

「わたくしも従って参るべきですが、どうにも体調を崩してしまい……」

 劉邦はこれを皮肉な口調で迎えた。

「子房、わしはお前がうらやましいぞ。お前は病だと言って休んでいられるが……わしだって具合が悪い。これであの黥布と戦わねばならぬとはな」

「申し訳ありません。主上には、どうか指揮に徹していただき、楚人と直接矛を交えることのございませぬよう。彼らは剽悍で素早い」

「わかっておる。言われるまでもない」

「それと、太子を将軍として、陛下がお留守にしている関中の兵を監督させますよう」

 それを聞くと、劉邦はしばしの間、考え込む仕草を見せた。しかしやがて、

「子房は病中であろうが、強いて頼む。臥しながらも太子の師傅しふとなってくれ」

 と、言った。当時太子の師傅として、叔孫通しゅくそんとうという人物が太傅であったが、張良は少傅としてこれに従った。



 黥布は軍を南下させて長沙国への道を採った。楚国内にいながら、劉交の存在は無視しようという思い切った決定である。

「楚王劉交が逃亡して趙や斉に援軍を求めたら、厄介なことになります。もしくは関中に入って中央の軍と合流したら、対応するのが難しくなりませぬか」

 不疑は何度かその種の質問をして、暗に黥布に考え直すよう仕向けたのだが、彼は首を縦に振らなかった。

「その危険性は認識している。だから長沙を味方につけるのだ」

「可能でしょうか? 長沙国が必ず味方に付くという保証があるのでしょうか」

 黥布は、その質問に自信ありげな笑みを浮かべながら答えた。

「無論だ。長沙王呉臣は、義理の弟なのだ。血族をすべて失ったわしにとって、唯一の姻戚関係にある男だ。裏切るはずがなかろう」

 黥布は若い頃刑罰を受けて、麗山で労役させられていたが、そこで仲間と結託して挙兵した。そのときに頼ったのが、当時人望のあった呉芮である。

 呉芮は秦末には番陽はよう(鄱陽)の県令であった。秦末の地方の役人といえば、腐敗していたという印象が強いが、呉芮はすこぶる民心を得ており、番君はくんと呼ばれて親しまれていたという。その呉芮が、多くの小国に分かれていた越族(百越という)の人々を率い、陳勝の蜂起に呼応して兵を挙げた。黥布はこのとき呉芮の軍に合流し、縁組みをした。つまり、呉芮の娘を妻として迎えたのである。

「まさか、呉翏さまでは?」

 不疑が驚いたのも不思議ではない。言うまでもないが、姓が同じだからである。


「いや、あれは側室だ。呉芮どのの娘ではない。もっとも、呉という姓が本人の器量以上に……わしにとって魅力的に映ったから側室に迎えたのかもしれないが」

 いずれにしても、呉翏は呉芮と無関係で、本人は会稽出身だとのことであった。

——旧来の……呉国に由来を持つのか。

 不疑は思ったが、この場で重要なことは、黥布が「呉」という姓に惹かれた、ということであろう。呉芮に対する印象、妻として迎え入れたその娘に対する印象がよくなければ、彼が単なる姓に惹かれるはずがなかった。

 呉芮と黥布は連れだって項羽の配下となり、そこで功を立てて二人とも王に封じられた。純粋な項羽配下の将軍で王に封じられた者は少なく、黥布はその数少ないうちの一人とされていたが、呉芮もまたその立場にあったのである。

「わしと呉芮どのは、ともに命じられて……義帝を弑した」

 これこそ黥布が項羽の元を離れる原因なのではないか、と不疑は思った。

「項王は、とにかく殺せ、というばかりでな。詳しい説明は何もなかった。范増が強力に推し進めていた策らしいが……わしらはそれについて論じることをお互いにやめた。その後、呉芮どのは漢に鞍替えをした」

「誘われたのですか?」

「いや、そのようなことはない。しかしわしと呉芮どのは姻戚関係にある。敵同士になるということは、妻にとっても耐えがたいことだったようだ。そこでわしも漢への帰属を考え始め、最終的にはその通りになったのだ」

 黥布の漢への帰属は、楚漢の争いに決定的な影響を与えた。戦力の均衡が崩れ、楚は孤軍となったのだ。劉邦はこれらの事情をすべて知っていたのか、呉芮のことを非常に高く評価している。

「長沙王は忠義である。それ令に定著せよ」

 本来であれば、劉氏以外は王たり得ないことが前提であるにもかかわらず、呉芮は例外であり、特別に許可することを律令に記せ、と命じた言葉である。影響力は明らかに黥布が上回っていたにも関わらず、劉邦が呉芮の方を高く評価したことは、やはり彼の人柄によるところが大きかったのだろう。そして黥布がいまだに呉芮を頼ったのは、後を継いだその息子にも父親の人柄や生き様が投影されていると考えたのかもしれない。

「長沙国とは、同盟関係でありたい。したがって、長沙に至るまでの道を掃き清めなければならぬ」

 黥布はそう言って軍を南西に向けた。つまり、彼は薛公が言うところの「下策」を採ったのだった。


 かくて、黥布の軍は陳への途中、のあたりで敵の存在を確認した。待ち伏せを受けたのである。



「朝廷の軍でしょうか」

 不安に襲われた不疑のつぶやきを、黥布は叱咤するように否定した。

「当たり前だ。それ以外に何があるというのだ」

 劉交の軍が早々に退却した意味がわかってきた。朝廷は、黥布が長沙に入ってしまうと対応が難しくなると考え、楚国領内でこれを迎撃しようと考えたに違いなかった。

「誰が大将の任を司っているのでしょうか」

「そこが重要なところだな。今、探らせている」

 黥布の態度は落ち着いていて、あたかもこのような事態を予測していたかのようであった。相手が誰であろうと、勝つ自信があるのかもしれない。

「まさか、皇帝陛下ご自身では?」

 黥布はこの疑問に対して、以下のように答えた。

「お上は、すでに年老いた。戦争に飽き飽きしている。きっと来ることはなく、将軍らを派遣するであろう。将軍の中で恐るるに足る存在は韓信と彭越だけであるが、今や二人ともこの世に存在しない。あの二人が死んでしまった今、他の将軍たちの襲撃など心配するに及ばぬ」


 その言葉はまさに黥布の本心であっただろう。しかし裏を返せば、皇帝自身が前線に姿を現すと、自分にとって不利になるだろうと考えていることを示している。

 やがて探索の結果、それは明らかとなった。黥布が感じていた悪い予感は的中したと言える。つまり、皇帝が前線で指揮を執っていたのであった。

「あの老いぼれめ。自ら出てくるとは……。しかも、この地を我々が通ることを予測していたとは、油断ならぬ相手だと言わざるをえん。こうなったら激しく攻め立てよう。一気に攻撃を仕掛け、息の根を止めてやる」

 そう言うと黥布は、全軍を前方と後方の二つにわけ、それぞれに重厚な方陣を敷かせた。前軍が中心となって目の前の敵を攻撃し、それを後軍が俯瞰して側方からの攻撃などに対応するというものである。黥布は後軍の一番先頭に自らを配した。


 その陣形を維持したまま西へ進軍し、会甀かいすいという地に到達した時点で、漢軍と遭遇した。

「前陣の軍は脇目も振らずに攻撃せよ! 後陣の軍はその間に漢軍の陣容を探れ。誰が部隊長かを把握しておくのだ」

 やがて黥布は敵の中央に位置する劉邦の姿を見つけたのか、自ら前進して前軍の先頭に立った。総大将が先鋒を務める姿は、往年の項羽に重なるものがある。そして、楚兵たちは強い武将に率いられることによって、限りない力を発するのだった。劉邦はその光景に激しい嫌悪を示した。


「黥布め! あの男、やはり漢の敵だった! あの姿は、まるで項羽そのものではないか!」

 猛烈な正面への攻勢が敵を怯ませ、さらに断続的な打撃を与えつつあった。劉邦は全軍に後退を指示し、それが皇帝自身の命を救う結果となった。

 会甀の後方にはようという城がある。皇帝はそこに逃げ込み、全軍を退避させたのだった。


「逃げたられたか。……こんなところに都合よく城があったとはな。やはりお上は周到に準備を重ねていたのかもしれぬ」

 黥布はそう言い、攻撃の手を緩めた。

「籠城するつもりでしょうか?」

 息を切らして追いついた不疑であったが、疲れ切ったその表情にも関わらず、気分を高揚させていた。勢いに乗ったときの黥布の戦いぶりは凄まじい。彼は今日初めてそれを肌で感じることが出来たのだった。

「いや、そうではなかろう。あくまで機先を制されたことによる態勢の立て直しだと、わしは見ている。今見る限り……兵数は向こうの方が多いようだった。籠城してこちらが飢えるのを待つ、というわけではあるまい」

「なるほど」

「こちらも陣営を立て直す。方陣を五つに分けて城壁を取り囲め。それと不疑どの、貴公は目立たぬよう兵たちの間に身を潜めよ」

「は……?」

「貴公は皇帝に顔を知られていよう。以前には灌嬰とも会ったと聞いておる。……二人ともいるぞ。気取られてはならぬ」

 黥布はこの短い間に彼らの存在を確信したというのか。皇帝はともかく、灌嬰の存在を確信しているとは、戦場における目利きの良さを証明しているようでもある。間もなくもたらされた配下の者の報告により、それは明らかとなった。


 皇帝の右に酈商れきしょう率いる一軍が布陣し、皇帝の前面に灌嬰の軍があった、と。皇帝の乗る戦車には夏侯嬰が御者として傍におり、兵数はおよそ五万に至る、とのことであった。

「樊噲や周勃はいないようだな。北の陳豨を相手に戦っているのだろう。兵数ではこちらが劣るが、少なくとも希望は出てきた」

 黥布の率いる淮南の軍は、途中で併せた荊国の兵を併せて三万五千程度であった。兵力の差を考えると、きっと黥布は最初の一撃で皇帝にとどめを刺したかったに違いない。彼の発した言葉には希望の色があったが、表情には再び刺青の縁取りが目立つようになった。憂慮の色は、やはり取り除かれていなかったのである。



「黥布のあの布陣を見ろ。実に気に入らん。昔、項羽が布いた陣形と変わらぬ。奴は、結局のところわしなどより項羽を信奉していたのだ。あれが、その証拠だ」

 傍らにいる滕公夏侯嬰を相手に毒づいた皇帝劉邦は、楚兵相手に戦うことの厄介さを改めて感じさせられていた。

「腹が立つ……。このわしももともと沛の生まれだというのに。もともと沛だって楚の一部であるにもかかわらず、奴らは項羽を軍神のように崇めたて、心の底ではわしのことをないがしろにしている」

 夏侯嬰はまともに取り合わなかった。しかし、意外にこのことは劉邦の本心であったかもしれない。

「たとえそうだとしても、今どうこうできる問題ではありません。どう対抗するかを考えましょう」

 劉邦はしかし腹の虫が治まらなかったらしく、怒声を放った。

「説教してやる! 黥布の腹の底がどうなっているのか、直接確かめてやるまでだ!」


 そして彼はずんずんと城壁の上に歩いて登り、危険も顧みず、その見張り台の上に立ったのである。夏侯嬰はそれを止めることも無意味だと思い、やりたいようにさせた。


「黥布! 顔を見せろ」


 突然の展開に、確かに黥布は驚いていた。しかしすぐに落ち着きを取り戻すと、やれやれといった表情で陣の最前列に移動し、劉邦と向き合った。


「黥布! 朕は貴様に広大な領地を与え、高度な自治権を与えた。生まれ故郷を封地とし、国替えを命じたこともない! なんの不満があって叛いたりしたのか!」


 劉邦は感情の趣くまま、顔を紅潮させながら問い詰めた。自分としては、最大限の褒賞を与え、功績に報いた扱いをしていたつもりだったのである。自分の気持ちがなぜわからないのか、と言いたかったのだろう。

 黥布はこれに対して、わざとらしいほどの冷笑を浴びせた。そして言う。


「勘違いするな。余に不満などない」


 劉邦は、この場で黥布を論破しようとしていたのである。彼は、広武山で項羽を相手に同様の手法を用いたことがあり、それに自信を持っていた。黥布が、不満などない、と答えたことを、返答に詰まったと考えたのである。劉邦はさらに追い打ちをかけるように問いかけた。


「では、なぜ叛くのか!」


 しかし黥布はこれに動じることなく、次のように答えたのである。


「俺自身が皇帝になりたかっただけさ!」


「なんだと! 貴様!」

 劉邦は地団駄を踏み、激怒を態度に表した。……しかしこれほど明確かつ痛快な叛逆の理由がかつてあっただろうか。不疑は我知らず歓喜する自分に気がついた。周囲の楚兵たちも同様に、拳を突き上げながら興奮の声を発していた。

 黥布の表情は、不遜を絵に描いたようなものであった。顔に刻まれた刺青からあたかも毒気が吹き出すような、それでいて余裕を感じさせる、強者のそれであった。


 しかしそれは、兵力の劣勢を自覚した彼の精一杯の虚勢であったのかもしれない。

 激怒した劉邦は有無を言わさず兵を繰り出し、対応した淮南軍との間で大激戦が展開された。


 当初は拮抗していた状況も、兵数の差によって生じる変化が顕著となってくる。戦場は庸城から次第に移り、その流れの中で部隊は分散していった。局地戦が各地で繰り広げられる中、黥布は劉邦の在所を常に離れず、執拗に付け狙う。しかしその間に散り散りになった軍は、討ち破られていくのだった。


 穎陰侯灌嬰は、この戦いの中で破格の活躍を見せた。彼の軍は淮南の上柱国じょうちゅうごく(首相)の軍と大司馬(元帥)の軍をそれぞれ討ち破り、将軍二人を斬り、さらには自分自身が左司馬一人を生け捕るという快挙を成し遂げた。次将やその他の将校などの犠牲は、数知れないほどである。

——なぜだ。兵の質は淮南軍の方が上を行くはずなのに……。

 必死に姿を隠し、なおかつ応戦する不疑にとって、当然すぎる疑問であった。個の力では決して劣らぬはずなのに、いざ決戦すれば敗れるのはどういうわけなのか。

——淮南王さまの運気が下がっているためか。いや……時流がそうさせるのか。


 かつて人相見は、黥布のことを「刑罰を受けるが王になる」と予言したというが、「皇帝になる」とは言わなかった。それを黥布自身が皇帝になると言い放ったことで、淮南軍は大義を持たぬ反乱軍となってしまったのではないか。

 あたかも善が悪を懲らしめるように、正が邪を除くように……漢側にそのような使命感を持たせてしまったことは、黥布の失敗であったかもしれない。


——このままいけば、負ける。

 その思いは不疑のみならず、黥布に従う淮南軍の兵が等しく抱いたものであっただろう。しかし、指揮官たる黥布は、それを認めるわけにはいかなかった。

「お上さえ討ち取れば、形勢を逆転することが出来る!」

 黥布はそう叫び、執拗に劉邦を付け狙った。ありったけの矢を射かけるよう命じ、歩兵には弩の連射をさせ、自らも鉾を手に皇帝の胸元まで肉薄する。劉邦はたまらず逃げ出した。


「逃がすな! 追え!」

 火を噴くような勢いで追撃戦が展開された。その瞬間、確かに黥布は皇帝が車上で膝をつく姿を見たのだった。


 黥布は会心の笑みを漏らした。劉邦の脇腹に矢が深々と突き刺さっていたのである。


彼は、まだ負けてはいなかった。

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