第2話 淮陰侯誅殺のあと
一
張良は体つきが大きくなく、常に風邪を引いているような男であった。容貌も婦人のような華奢なものであり、切れ長の目と細い鼻だちがその印象をさらに際立たせていた。その彼が、挙兵間もない劉邦と出会った最初の地が「留」であり、彼がその地を領地としたのは、その最初の出会いを由来としている。
そもそも張良は、戦国時代の韓の遺臣であった。その祖父は三代の王のもとで宰相を務め、父は二代の王のもとでやはり宰相を務めた。張良自身は官職に就いた経験がなかったが、それは当時の年齢が若かったからに過ぎない。
彼の若かりし日々の目標はただひとつ、韓を再興することにあった。その足がかりとして、そのころ有力であった楚軍に参加しようと歩を進めたところ、その途中で偶然劉邦に出会ったのである。
そして彼は劉邦の軍師として類い希なる智力を発揮し、ついに彼を覇者たらしめ、漢の国号で天下を統一した。これは偉業ともいえる出来事であったが、その大部分が彼の頭の中で練られた軍略によってなされた出来事であった。これは決して大げさな表現ではない。彼は、漢帝国の「策」の部分をほぼひとりで担当していたのである。
その張良が皇帝の招聘によって赴いた長安から、留に戻ってきた。迎えたのは長子の不疑である。
「父上。都の様子はいかがでしたか」
不疑は父親と違い、背の高さが特徴的な男である。しかし線は全体的に細く、剛勇のような印象はない。多くの点で、父親からの血を受け継いでいる男であった。
「うむ。実は長安でたいへんなことが起きていた。……
「なんですと! 淮陰侯が!」
不疑は思わず大きな声をあげた。それだけこの事件は重大なものであった、ということである。張良は、状況を説明し始めた。
「淮陰侯は……謀反の疑いをかけられ、皇妃さまによって殺害された。いや、疑いという言葉は正しくない。彼は確かに謀反を計画し、それはほぼ完成していた。いま北方の地で
「淮陰侯は、何を狙ってそのような謀反を?」
「陳豨はもともと皇帝陛下の信頼が厚い男であった。その陳豨が北の地で叛乱を起こせば、陛下は自らこれを鎮めようとなさるであろう。都である長安をからにして、親征するのだ。淮陰侯はその隙に皇妃さまと太子を虜にしようと計画し、実際に陛下は都を離れた。彼の計画はほぼ完璧であった」
「それがどうして失敗したのですか」
「……淮陰侯は非常に……なんと言えばいいのか……真面目な男であったために、人の不正を許さなかった。彼は自分の家臣が租税を横領していたことを発見し、これを許さず厳罰に処そうとしたが、その家臣の弟の告発によって計画が露呈したのだ。彼は騙されて宮廷に姿を現し、そこを捕らえられて皇妃さまに処刑されてしまった」
淮陰侯とは、本名を韓信という。「策」を担当した張良、「治」を担当した蕭何と並び、漢建国の功臣三傑のひとりであった。淮陰侯韓信はもっぱら「戦」の部分を担当し、その武勲は並び称される者がいない、とされる。彼は大将軍の地位を得て、秦を倒し、魏を討ち、趙を討ち、燕を従え、斉を破った。そして最終的にはあの項羽率いる楚を討ち破り、劉邦に皇帝を称させたのである。
「私は漢の軍師として様々な戦略を陛下に提案し、それなりの成功を得たのだが……それらはひとえに淮陰侯韓信の武勇と用兵家としての能力を当てにしていたからこそできたことだ。彼無くして漢の建国はあり得なかった。英雄として子々孫々まで讃えられる人物だったのだ。それをいとも簡単に皇妃さまは誅殺なされた。……あってはならないことだ」
不疑は父親の言うことに不安を覚えた。それというのも淮陰侯韓信という男は、自分の武勲を盾に自ら斉王を名乗り、それがもとで皇帝の不信を買ったという曰く付きの人物だという印象を持っていたからである。つまり、神聖不可侵たる皇帝を凌ごうとしたような男を賞賛するなど、恐ろしいことだと思ったのだ。
「父上。あまり滅多なことを申さないほうがよろしいかと。淮陰侯が謀反人として処罰されたからには、我々も彼に対する言動を控えなければならないでしょう」
それを聞き、張良は笑った。そのようなことは、お前に言われずとも心得ておる、と言いたいようであった。
「お前は未だ若いからよく理解しておらぬだろうが、この私が留などという小さな城市の領主たる身分にとどまっていることをよく考えてみるのだ」
「よくわかりませぬ。確かに父上の功績から考えると不相応な身分ではないかと思いますが。……しかし父上はあえて自らをそのような立場に置いたと言うのですか」
「まさしくそうだ。韓信は……淮陰侯は大国である斉を滅ぼした際に斉王を称した。これは勝手に彼がそうしたわけではなく、陛下の許しを得ている。また、彼は漢の統一が成ったあとに国替えを命じられ、新たに楚王となった。かつての項羽の故地であり、韓信自身も楚の生まれだ。たいへんな栄誉だが、これは何も大げさな処置ではない。彼の功績に対する相応の処置だ」
「それが父上の身分とどのような関係が?」
「わからぬか。彼はその能力と功績によって、王位を得て権力を手にした。極めて正当な権利によって手にした権力だが、それが皇帝陛下や皇妃さまの不信を得る原因となったのだ。この世の中……優れた者が能力に応じた権力を得ることは危険極まる。私は、留侯にとどまることで宮廷から距離を置いているのだ。聞けば……韓信もそのような人生を望んでいたというが、時代の流れが彼にそうさせなかったのだ」
張良の本音はここにあった。彼ほどの功績を持つ人物が相応の権力を得ると、皇帝を凌ぐほどの存在となりかねない。彼は自らその危機を回避したと言うのだ。
「しかし距離を置きすぎるのも考えものだと、今回の事件で私は悟ったよ。淮陰侯の誅殺は皇妃さまの独断によって行われ、陛下はその事実をあとから知って深く思うところがあったようだ。……陛下は皇妃の独断専行を抑えようと考えているらしく、太子の廃嫡を決意なされた。それを知るのが遅すぎて、もはや私には対応の策が思い浮かばない」
皇妃である呂氏の産んだ男子は、
父親である張良の顔色が、いつもにまして青ざめている。それは不疑の直感を裏付けるものであった。
二
張良は自室に戻ると、回想に浸った。閉じた目の裏に浮かび上がるものは、皇帝劉邦の姿である。劉邦とは長安で再会したが、その姿はすっかり年老いており、かつて艶やかであった自慢の髭は、白く変色していた。
「
子房とは、張良の
「二人とも壮健です。親の私などより、よほど健康ですよ。陛下のご子息……太子のご様子はいかがですか」
そう聞かれた劉邦は、苦々しげな皺を額に刻みながら答えた。
「あいつのことはどうでもいい。お前も噂は聞いておるだろう。わしは、あいつを廃嫡するつもりなのだ」
「しばらく都から離れておりますと世情に疎くなりまして……その噂については、私は初耳です。太子には陛下が廃嫡を宣言するほどの問題があるようには見受けられませんでしたが……いったいどういう経緯でその結論に至ったのですか」
常に多弁で、軽口を叩く傾向のある劉邦が、一瞬言いよどんだ。付き合いの長い張良としては、感じるところがあった瞬間である。
「……盈は、性格が弱い。わしの子であるのが不思議なくらいだ。あれでは後事を託せぬ」
張良はその発言を疑った。確かに劉盈には気持ちの優しいところがあり、自ら好んで他者を滅ぼす、というような気概はなさそうである。しかし、帝国による大陸統一が成ったいまとなっては、求められるものはむしろそのような性格ではなかろうか。大陸がいつまでも血で血を洗う抗争に満ちている状態を抜け出すためには、統治者自身が愛情を持つことが一番の近道だとも考えられる。
しかし、もともと劉邦は息子である盈への愛情が薄かったのかもしれない。劉邦はかつて
このとき御者であった
「こいつらが乗っているから馬が疲れるのだ。子などというものは、わしさえ存命ならいくらでも作ることができる」
ただそのときは限りなく事態が逼迫していたときであったため、劉邦も正常な判断ができなかったとも考えられる。張良は、いまの劉邦の決断に息子への愛情の有無以外の問題が隠されている、とみた。
「……思うに陛下のご決断には、皇妃さまに対するお考えが影響しているのではないでしょうか」
問われた劉邦はいともあっけなく本心を晒しだした。もともと明け透けな性格の男なので、隠す必要が無い相手には、簡単に秘事をも明かしてしまう男なのであった。
「
劉邦の言うとおりであれば、
「陛下が現在の太子を廃嫡するとして……そのかわりに誰を太子の座に据えるおつもりですか?」
「
——劉如意どのか……。
劉如意は劉邦の息子であるが、側室の
しかしもともと趙国は
これにより、娘の魯元も王妃の身分ではなくなった。母親の呂后としては、一つ自分の勢力を失ったことになったのである。
「趙王であられます如意さまを太子にたてることになれば、必然的に戚夫人と皇妃さまの対立が生まれましょう。魯元公主さまから王妃のご身分を剥がしただけでも皇妃さまには屈辱でありましょうに」
「確かにそうだが、后めにはしおらしいところが全くないのだ。人を殺してでも自分の勢力を強めたいという欲望ばかりが目につくようになった。それに比べて戚夫人はわしを頼ってくれるし、厳しかった項羽との戦いの際にも常にわしの傍にいてくれた。わしには、彼女の貢献に報いたいという思いもあるのだ」
確かに呂后は楚との戦いのさなか、項羽によって捕らわれ、以後は一貫して楚の捕虜として暮らしていた。それが漢の軍事行動の制約となり、機会がありながらも思いきった攻撃ができなかった経緯がある。
淮陰侯韓信は、呂后に殺される間際、本人に対して言ったという。
「お前は、自身の愚鈍さによって楚に捕らわれたのだ。自分の愚鈍さが漢軍の足枷となっていたことをわかって口をきいているのか!」
と。殺される寸前に腹立ち紛れに放った言葉だが、彼の残した言葉は、楚漢の争いの本質を突いている。漢軍全体を指揮する立場であった劉邦にしても、ある程度同じ思いは持っていたに違いない。
しかも呂后は楚が滅び、捕虜の身から解放されてから性格が豹変した。もともとは劉邦が卑賤の立場だった頃の
——ややこしいことになった。いままでは、いかにして楚の項羽を倒すかだけを考えていればよかったが、政治に女たちの愛憎を巻き込んでしまっては処理しきれない。陛下は御していく自信があるのか……。
張良は深く関わらないように心を決めた。
三
もともと張良は道家に通じている。そのきっかけは、ある老師との出会いであった。まだ張良自身、若者だった頃の話である。
韓の遺臣であった彼は、自分の国を滅ぼした秦を滅ぼそうとして、そのための資金を蓄えた。費えを惜しむと言って弟が病死しても葬儀も出さず、全財産を傾けて秦王を刺すための刺客を雇うつもりだったのである。
しかし、彼はそれに失敗した。ため込んだ資金で力士を雇い、重量百二十斤に及ぶ鉄槌を作らせたが、目的は果たせず終わったのである。
秦はついに大陸を統一し、秦王は史上初めて皇帝を称した。始皇帝というその憎き人物が
これにより天下の犯罪者となった張良は、名を変えて
その下邳の橋で、彼は老師に出会った。とはいうものの、当初それはただの薄汚い老いぼれにしか見えず、それが師と呼ぶべき存在などとは、彼は露ほども思わなかった。
その老いぼれは、橋の上でわざと自分の吐いている靴を川に落とした。
「若いの。拾ってきてくれ」
張良は当時若かったこともあり、これに相当腹を立てた。しかしこの大陸では一般に老人を敬わなければならない風習があったので我慢し、川岸まで降りて靴を履かせたのである。
老人は満足そうに笑いながら立ち去ろうとしたが、その途中で振り向いて言った。
「若いの。五日後の早朝にまたここで会おう。教えておくことがある」
張良はその言葉の通り、五日後の夜明けにその橋を訪れた。ところがその老人はすでに来ていて、自分を待たせた張良を叱責したのである。老人はまた五日後に会おうと言い残し、その場を立ち去った。
そういったことがさらに二度繰り返された。ついに張良は夜中のうちに橋に赴く羽目になった。会ったからといって自分に何がもたらされるのか不明であったにも関わらず、彼がそのような努力をしたということは、意外に潜伏の時期が退屈であったことが理由として挙げられる。潜伏期間中は、得られるものがあまりにも少なかった、ということであろう。
夜中に訪れると、さすがに老人はまだ来ていなかった。やがて現れた老人は自分より早く来ていた張良の姿に喜び、一巻の書物を彼に与えたという。
「これを読めば、王者の師となれる。これによってお前は十年後に興起して、十三年後には再びわしと会うことになろう。済北の穀城山の麓に黄色い石を求めよ。それがわしの本来の姿である」
——何を馬鹿な。
張良はそう思ったが、渡された書物を見ると、それは周の太公望による兵書であった。太公望とは周が殷を破った際に功績があった軍師であり、その功績を認められて斉に封じられた人物である。これにより、太公望は斉の始祖とされている。なお、本名は呂尚といい、太公望とは彼の死後に
張良は潜伏期間中に、その書物を食い入るように読みあさった。そしてその知識をもとに漢に天下を取らせたのである。
そしてこのときから十三年後、張良は皇帝に従って諸国を周遊したが、はたして穀城山の麓に黄色い石を見つけた。彼があのとき出会った老人を崇めるようになったのは、実はこれが最初である。彼はその黄石を宝として祀ったが、この出来事が彼を道家へと誘ったのである。
四
「以後私は穀物を断ち、門を閉じて外出せぬ。道引(気血を充実させるための道家の養成術。具体的には特有の呼吸術を身につけ、身体を屈伸して体全体を軽くする術)に専念するため、訪問者とは会わぬつもりだから、皆そのつもりでいるように」
張良は息子たちや家令にそう告げると、実際に屋敷の奥にこもった。この人物はこのようなことを本気で行おうとするが、他の者たちにそれを強要したり、あるいは勧誘することもなかったので、理解が得られない。周囲の者たちは、彼の気が触れたのかと思った。
「うちの殿様は、どうなさったのだ」
と家令たちは囁き合ったが、誰もそれに対するはかばかしい回答を得ることがなかった。
この状況を案じた不疑は、道引の最中である父親のもとに面会を求め、空気のように軽くなろうとする父親の努力を中断させた。
「父上。いい加減にしないと逆にお体を壊してしまいます。いったい……何を考えておられるのですか」
詰問するような不疑の口調に、張良は動じる気配もなく答えた。
「わからぬのか。陛下が私にご自分の意思を吐露したという事実は、暗に協力しろということなのだ。しかし私が陛下に加担して太子廃嫡に積極的に動けば、確実に国は乱れる。側室の戚夫人と正妻の呂后の対立は激しくなり、国内に二つの派閥が生まれることとなろう。私は、自分の責任でそのような事態を引き起こしたくないのだ」
不疑は納得がいかぬようであった。建国の功臣たる人物が、そのような消極的な態度でよいのか。本人はそれでよくても、彼を担ぎ出して勢力の増強を図ろうとする人物は、おそらく事欠かないだろう。
「では、父上はこのまま太子が廃嫡されることになっても構わない、と思っていらっしゃるのですか? たとえ父上が加担しなくても、陛下は単独でご自分の思いを実行なさる権限をお持ちです。父上が屋敷の奥に引きこもっていても、たいして事態に変化は生まれないと思うのですが」
「いずれ私は利用される。そのときは私も動かざるを得ないだろう。しかし、その際はできるだけ穏便に事を運びたいのだ。淮陰侯が死んだいま、国の犠牲は彼を最後にしたい。私は、私なりに彼を供養しているつもりなのだ。私は、彼の武勇と軍事統率の力を頼りに軍略を練ることができた。つまり、彼なしでは漢は成立しなかったのだ」
「呂后は淮陰侯の誅殺に留まらず、他の諸侯も始末しようとするでしょう。あるいは太子廃嫡の動きに先んじて趙王如意さまや戚夫人などを害することもあるかもしれません。その意味で、私には陛下のご意思が正しいように思えます」
張良は息子の意見を静かに聞きながら頷き、やがて言った。
「不疑、お前の言うことはおそらく正しく、呂后によるこの先の横暴は、私も予測している。しかし廃嫡を認めると、国家が二分されてしまうだろう。思い描いてみよ。皇帝派と皇后派に分かれた内乱の図を。夫婦間のもめ事が戦争に至ってしまっては、もうそれは地獄絵図としか言いようがない」
「では……」
「うむ。呂后の専横は抑えなければならぬが、陛下の太子廃嫡のお考えは撤回してもらうしかない。これはたいへん難しい話で、私も今のところ方法が見いだせぬのだ。そして……お前が忘れていることがひとつある。それは、この私も諸侯のひとりだということだ。行動の仕方、言論のあり方によっては、私も淮陰侯のように誅殺されるかもしれない存在だということだ」
しかし、若く未だ血気盛んな不疑は、この言葉に動じなかった。
「父上は弱気に過ぎます。父上の影響力を持ってすれば、呂后の行動は抑えられるはず。どうしてそのように恐れるのですか」
それに対して父親である張良は、現実を諭すような口ぶりでこれに答えた。
「お前は諸侯という立場の微妙さをわかっていない。生前の淮陰侯は、謀反を起こす前に家臣に対して話したそうだ。曰く『皇帝の一挙手一投足をいちいち恐れ、びくびくしながら毎日を過ごさねばならぬ人生などはご免被る。実際、諸侯王としての毎日はそのようなものだ』と。いまの問題の対象は皇帝ではなく皇后だが、彼の言うことは間違っていない。本来であれば、太子を廃嫡する、しないは夫婦間の問題だ。できることなら関わりたくない、というのが本音だ。無論、私の発言の影響力によって呂后を抑え、皇帝を動かすことはできる。しかしそれは最終的に皇帝が皇后を殺すという事態につながるのだ。私にはそのような悪逆な行為に加担することはできない」
五
一方皇帝である劉邦には、そこまで深い考えはない。自分は皇帝なのだから、すべての者に優先して物事を決める権利があると信じるだけであった。その傍らには戚夫人が常にいて、特徴的な柔らかな笑顔を振りまいていた。
しかし、時折彼女は涙を浮かべるのである。
「どうしたのだ」
と皇帝が聞くと、夫人はさめざめと泣き出すのが常であった。
「我が子である如意が不憫でございます」
同じ劉邦の種から生まれた子には違いないというのに、その将来が頭打ちである、と言うのであった。それに対しての劉邦の答えはいつも決まっている。
「しょせん、不肖の子を愛子の上におらしてはおけない」
いつかは太子を廃し、如意をその座に据えてやる、というのである。
劉邦には呂后や戚夫人のほか、男子を産ませた妻が三、四人ほどいる。薄夫人などはその代表だが、いずれも戚夫人ほどの寵愛は受けていない。戚夫人が美人だったこともあり、劉邦は好んで彼女を傍らに侍らせていた。
これに対し、呂后は年配であり、そのため今さら人に愛想を振りまくということもしない。楚軍の捕虜になったという経験が彼女の性格を険しいものに変え、宮廷の大臣たちは彼女の目をまともに見ることができなかったという。劉邦があまり彼女の前に現れなくなったという事実も、無理はないといえるだろう。
この事実だけを見ると、彼女の勢力は低下するだけのように思える。しかし、彼女には彼女の権力を当てにして、それをもり立てて自らも出世しようという親族たちの力があった。さらには呂后自身の戚夫人を恨む心が、自らの行動を加速させたのである。
「あんな女はお払い箱だ」
劉邦は、戚夫人に対しては呂后のことをそのように言う。しかし他者の前では絶対に言わない。内心で彼女のことを恐れているからだ。察しのよい戚夫人はそのことをわかっていて、自分の前での劉邦の強気な発言内容を他者に漏らすことは一切しない。自身の力が圧倒的に足りないことを、彼女自身がよくわかっているからであった。
しかし、それでも呂后が独断で淮陰侯を誅殺したことを劉邦がよく思っていないことは周知の事実であった。おそらく、呂后自身の耳にも入っているに違いない。
「あやつは、朕が陳豨の討伐に行っている最中に勝手に韓信を処罰した。韓信は知っての通り、建国の功臣だ。あやつが勝手に処断できるような低劣な人物ではなかった。朕が長安に帰還するまで処断を待つべきであったのだ」
漢は、国策として異姓の諸侯王を廃し、劉姓を持つ皇帝の親族にそれを替えようとしている。斉王であった韓信は国替えを命じられたあと楚王となり、その後に淮陰侯に格下げされた。理由はとってつけられたような謀反の疑惑である。また、同じような処置は趙王であった張敖にも与えられており、彼は臣下が皇帝弑逆を計画したとの理由から、王位を廃されて
しかし皇帝自身は、格下げした異姓の諸侯を極刑に処したことはない。張敖の場合、臣下の計画は事実だったが、その計画に張敖自身が関わっていた形跡がないことを認め、彼を赦免している。韓信の場合は、宮廷に招いて雑談するなど、ある種の親しみの表現などもしていることは事実だ。
これらのことから、皇帝劉邦には国土を粛清の場とする意思はなく、単に安定を望んだだけであることがわかる。しかし、妻である呂后がその意思を正しく読み取らなかったのであった。
「あやつは、今後何をするつもりか。もはや朕にもそれが読めぬ」
張良は、皇帝がそう口にするのを耳にした。皇帝にも読めぬ妻の行動が、赤の他人である張良に読めるはずがなかった。
「不疑。私はしばらくの間、ここを出ぬ。よって、外界の事情はお前が収集せよ。その事情をもとに、私は策を練ろう」
張良はそう言うと、不可思議な呼吸術を再開した。不疑にとってはやや乱暴な指令ではあったが、部屋住みの、若い彼にとっては初めて与えられた使命である。自らの血気の盛んさを持て余し気味だった不疑は、これを喜んで受け入れた。
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